あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

深層心理と表層心理の兼ね合いによる人生(自我その227)

2019-10-14 17:29:36 | 思想
人間は、常に、構造体という組織・集合体の中で、あるポジションを自我として行動し、深層心理が、自我を生かすために、他者を対他化・対自化・共感化のいずれかの機能を働かせて暮らしている。深層心理とは、人間の無意識の心の働きである。対他化とは、深層心理が、自我に対して他者から評価を得ようという思いから、他者が自我をどのように思っているかを探ることである。対自化とは、深層心理が、自我が他者を支配したい・自我が他者の上位に立ちたいという思いから、他者の動向を探ることである。共感化とは、深層心理が、自我が他者と愛し合ったり・理解し合ったり・協力し合うように、自我を動かすことである。深層心理は、対他化の場合は、自我を他者の下位に置き、対自化の場合は、自我を他者の上位に置き、共感化の場合は、自我を他者と同等の立場に置く。さて、現在、パソコンやスマホが普及し、多くの人が、ラインなどを使って、親しい人、知人、見知らぬ人と、短文で連絡を取り合っている。多くの人と簡単に連絡を取り合うことができると、色々な人から、色々な情報や考え方を得ることができ、また、自分の存在を知ってもらうことができるので、非常に便利である。特に、見知らぬ人と知り合いになるのは、夢がある。しかし、ここに、落とし穴がある。相手の表情が見えないから、相手の言葉だけで、感情を募らせることである。つい先日も、ラインの自分の意見を非難した文章に怒り、それを書いた女性を捜し出し、殺害した女性がいる。二人は、知人を介して、ラインで知り合い、互いに、相手のことをよく知っていなかった。文章だけで、恨みを募らせたのである。しかし、ラインに悪口を書いた女性も、殺人を犯した女性も、特に、異常な女性ではない。誰でも、相手の顔が見えなければ、好き放題に悪口を書き、そして、悪口を書かれた人は、その文章から相手の自分に対する気持ちを推し量り、怒りを増大させるのである。ラインのように、面と向かって話さない場合、常に、このような事件が起こる可能性がある。それは、深層心理が、ラインという構造体の中で、ライン仲間という自我を持ち、自我を対他化して、他者から認められたいと思っているのに、逆に、悪口を言われたために、相手の顔が見えないから、より心が傷付き、強い怒りが湧いてきて、自我を凶行に走らせるからである。私たちは、普段どれだけ優しく接してくれている人に対しても、普段親しく交わり深い信頼関係を築いている人に対しても、あることがきっかけで、不信感を抱く時がある。父や母が自分に愛情を注いでいることを知っている子供でさえ、時には、憎しみや恨みを抱き、幾度か、「お父さん(お母さん)は家に帰って来なければ良いのに。」とか「別の家に生まれれば良かった。」とか思うことがある。時には、それを面と向かって言いたい衝動に駆られる。しかし、当然ながら、大抵の子供は、抑制する。それを口にすれば、必ず、父(母)が、怒って、暴力を振るったりして、復讐してくるのがわかっているからである。ところで、「父(母)が家からいなくなれば良いのに。」や「自分は別の家に生まれたかった」という思いは、深層心理が生み出すのである。そして、父(母)の怒りの暴力などの復讐を避けるために、その言動を抑圧したのが、表層心理である。このように、私たちの感情は、全て、深層心理から生まれて来る。そして、その感情には、常に、ある具体的な行動の指令が伴っている。深層心理が、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。そして、表層心理が、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令を、そのまま実行するか、それを抑圧して他の行為に行動に変えるかを思考するのである。つまり、人間の行動は、深層心理と表層心理との兼ね合いで決定されるのである。深層心理が、思考して、自分の意志や意識という表層心理に関係なく、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出す。心の奥底で行われる、無意識による思考だから、深層心理と名付けられたのである。深層心理が、つまり、自分の心が、無意識のうちに、思考し、ある感情とある行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。愛情や憎しみや怒りや恨みなどの感情は、もちろんのこと、全ての感情は深層心理が生み出す。そして、この感情には、常に、ある具体的な行動の指令が伴っている。つまり、人間は、怒ると、怒りの感情が湧いて来るだけではなく、殴ってやりたいなどの自我の欲望(行動の指令)が伴うのである。同様に、愛情を感じた時には、愛の感情が湧いて来るだけではなく、愛の告白をしたい、抱きしめたいなどの自我の欲望(行動の指令)が伴うのである。しかし、人間は、必ずしも、深層心理が出した行動の指令のままに、行動しない。表層心理は、殴った後の刑罰や復讐を考慮して、深層心理が出した行動の指令を抑圧し、実行しないのである。表層心理は、愛の告白をしたり、抱きしめたりした後で、相手に受け入れてもらえなかったり、嫌われたりして、自分の心が傷つくことを恐れ、深層心理が出した行動の指令を抑圧し、実行しないのである。しかし、時には、深層心理が生み出した感情が強すぎるので、表層心理の抑圧が功を奏さないない場合がある。そのような場合は、当然のごとく、殴ったり、愛の告白をしたり、抱きしめたりする。つまり、殴ったり、愛の告白をしたり、抱きしめたりするのは、そこには、深層心理が生み出した強い感情が存在していることを意味しているのである。犯罪は、常に、表層心理が、深層心理が生み出した感情が強すぎるので、深層心理が出した行動の指令を抑圧できなかった時に起こる。ストーカーが、殺人を起こし後、自殺することが珍しくないのは、彼の表層心理は、殺人行為の後の非難や刑罰を知っているが、深層心理が生み出した感情が強すぎるので、深層心理が出した行動の指令を抑圧できず、深層心理の言うがままになって、罪を犯してしまったからである。犯罪の後、社会的な非難や刑罰が待ち受けているのがわかっていて、それらに堪えられそうにないから、自殺するのである。マスコミは、よく、ストーカーの行為を、精神異常者の行為のように言うが、そうではない。表層心理が、深層心理が生み出した感情が強すぎるので、深層心理が出した行動の指令を抑圧できなかった悲劇である。誰しも、相手から別れを告げられ、失恋しても、すぐには、相手を忘れることができず、未練が残ってしまう。つまり、誰しも、深層心理は、ストーカーの心情に陥るのである。しかし、ほとんどの人は、表層心理がそれを抑圧するから、ストーカーの行動を起こさないのである。そうしているうちに、自然と、徐々に、相手に対する愛情が冷めていくのである。しかし、深層心理は、悪い要素ばかりを持っているのではない。良い要素も多分にある。何事も、マイナスがあればプラスがあるのである。感動や同情心も、深層心理が起こしているのである。誰しも、自然の風景に感動して、歓声を上げることがある。この、感動、歓声も、深層心理がもたらしたものである。表層心理は、歓声を上げても、周囲に迷惑にならず、非難されない場合は、これを抑圧しない。日本人は、日本のサッカーチームがゴールすると、感動して、大きな声を上げたくなる。もちろん、それも、深層心理のなせる業である。そんな時、サッカースタジアムにいれば、周囲の人と一緒に歓声を上げるが、家やアパートにいれば、表層心理が、近所の人の迷惑や非難を考慮して、声を低めたり、声を出さないようにしたりする。また、大震災の被災者に同情して、義援金を出したいという気持ちも、深層心理の思いである。そして、表層心理が、自分の経済状況を考慮して、金額を決めたり、時には、出さなかったりする。このように、私たちの日常生活での行動の全ては、深層心理に始まり、深層心理と表層心理の兼ね合いで決定される。さて、ラインの怖さは、相手が自分のそばにいず、互いの声が聞こえず、互いの表情が見えないところにある。その怖さは、フェイスブック、ツィッター、チャット、ブログ、ブログのコメントなど、メール形式全てのものに及んでいる。相手が見知らぬ人であっても、見知った人であっても、そばにいれば、相手の反応を直接に知ることができるから、それを見て、自分の言動を修正することができる。しかし、相手がそばにいないと、見知らぬ人の人の場合であっても、見知った人であっても、相手の反応が、現在、直接に自分の身に及ぶ可能性が無いから、表層心理が、自らの言動を強く抑圧しようとはしない。そんな場合、往々にして、深層心理の独壇場になり、言いたい放題の状態に陥る。そして、こちらが言いたい放題に言えば、相手も言いたい放題に言うようになる。言葉の激しい応酬が始まり、挙句の果てに、それは非難合戦にとどまらず、殺人事件に繋がることがあるのである。また、相手と直接に面していないと、誤解を生じやすい。例えば、相手が見知った人であっても、こちらが、相手を軽くたしなめるつもりで、「バカだなあ。」とメールしても、相手は、本当に馬鹿にされたと誤解し、こちらを罵倒してくることがある。そうすると、こちらも、激しく言い返す。そうして、後々まで、しこりが残り、これまでの仲の良い関係が簡単に壊れることがある。だから、メール形式のものには、深い注意が必要なのである。韓国の俳優で、自分のブログのコメントに、多くの批判文が書き込まれ、自殺した人がいる。その人は、真面目に捉えすぎたのである。ブログのコメントは、大抵の場合、見知らぬ人が書き込むので、書き込み者には、表層心理の抑制が無く、深層心理の思いのままなのである。つまり、言いたい放題に言っているだけなのである。だから、ブログのコメントなどは、軽く読み流すか、最初から読まない方が良いのである。また、ラインなどをする場合、自らの言葉にひたすら注意し、相手から失礼な言葉があっても、あまり真剣に取り合わないことである。そのような失礼な言葉は、表層心理の反省や抑圧の無い、深層心理だけによる、無責任な、思い付きの言葉だからである。また、子供は、社会性が乏しく、表層心理の抑圧や反省の成長が未熟なので、深層心理のままに言ったり、行動したりすることが多い。よく、「子供は正直だ。」と言われるが、この現象は、簡単に評価すべきではない。正直であるとは、深層心理のままに言ったり、行動したりすることだからである。だから、時として、子供は、大人以上に残酷なことをする。その最たるものが、いじめである。大人の世界にもいじめは存在するが、子供の比ではない。残酷な事件は、自分の心に正直に行動した時に、つまり、表層心理の抑圧が無く、深層心理の指令のままに行動した時に、起こるのである。さて、深層心理の感度は、一様では無い。敏感な人と鈍感な人がいる。それが、性格である。短気な性格の人は、深層心理が敏感な人である。気の長い人とは、深層心理が鈍感な人である。感情の起伏が激しい人とは、深層心理が敏感な人である。深層心理が敏感な人は、何事に対しても、感情が動きやすい。心が傷付きやすく、悩みやすく、考え込みやすく、感動しやすい。よく笑い、よく泣く。喜怒哀楽がはっきりしている。また、深層心理の敏感な人は、自らの心情に正直に言動したり、行動したりすることが多い。そのために、魅力的に見えることがある。しかし、友人や恋人に、そのような人を選ぶと、手痛いしっぺ返しを受けることが多い。深層心理の敏感な人は、感情の起伏が激しく、精神的に不安定な時が多く、こちらの思惑を気にせず、言動したり、行動したりするからである。しかし、自分自身が、深層心理が敏感であることに気付かないでいると、相手にそのような迷惑を掛けているのである。しかし、深層心理の感度は、生まれつきのもの、所謂、先天的なものである。そして、深層心理の動きは、表層心理の力の及ばないところにある。だから、深層心理の敏感な人は、誰しも、自らの深層心理を鈍感にすることはできない。もちろん、深層心理を有しない人も存在しない。深層心理を有しない人は、何の感情も抱くことができず、何の行動もできない。だから、人間である限り、鈍感、敏感の違いはあっても、必ず深層心理を有している。私たちにできることは、深層心理が生み出した感情と行動の指令という自我の欲望を、表層心理で、どのようにコントロールしていくかを学ぶことである。例えば、ストーカーに陥るのは、ほとんど男性である。だから、男性は、恋愛関係に入る前には恋愛に憧れを抱かず、恋愛関係に入ってからは、万が一の失恋を予想して、深層心理の虜にならないように、常に、表層心理が深層心理を警戒することが必要である。女性の場合、失恋すると、相手の男性を憎悪し、軽蔑して、相手の男性より上位の立場に上ることができるから、深層心理の言うがままになることは少なく、ストーカーになる可能性が小さいのである。さて、私たちの一日は、深層心理と表層心理の兼ね合い、葛藤から始まるのである。まだ寝ていたいという深層心理と、このまま寝ているわけにはいかない、起きてしなければいけないことがあるという表層心理の、兼ね合い、葛藤から始まるのである。そして、深層心理と表層心理の兼ね合い、葛藤が連続し、そして、一日が終わるのである。人生も、また、この繰り返しである。これが、ニーチェの言う、永劫回帰である。私たち一人一人が、永劫回帰の人生をどのように捉えて、生きていくかが課せられているのである。