あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

女医殺人、警察官襲撃事件の犯行動機は、誰にもわからない。(自我その135)

2019-06-19 22:40:38 | 思想
山形市の女医殺害事件も、大阪府吹田市の警察官襲撃事件も、誰にも、その動機はわからない。本人にさえ、その動機はわからないからだ。しかも、自分の犯行であるという自覚も無い。だから、警察調書の署名にも応じていない。しかし、彼らは嘘を言っているのではない。嘘を言えるほど正常な精神があれば、誰の利益にもならない、こんな事件を犯さないだろう。このことについて、順を追って説明しようと思う。人間は、いついかなる時でも、ある構造体に所属し、あるポジション(ステータス、地位)を得て、その役目(役柄)を担い、それを自我として行動して、暮らしている。例えば、家族という構造体では、父・母・息子・娘などを自我とし、学校という構造体では、校長・教頭・教諭・生徒などを自我とし、会社という構造体では、社長・部長・課長・社員などを自我とし、コンビニという構造体では、店長・店員・客などを自我とし、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などを自我とし、仲間という構造体では、友人を自我とし、カップルという構造体では、恋人を自我として行動して、暮らしている。もちろん、その行動は、考えて行われている。しかし、自ら意識して考えているのではない。表層心理という意志や意識が考えているのではない。深層心理が、無意識の範疇で、考えているのである。深層心理が考えて、感情を生み出し、行動の指針をする。それが、深層心理の欲望である。表層心理は、深層心理の欲望を意識しない場合と意識する場合がある。意識せずに行動する場合、無意識の行動と呼ばれる。例えば、歩くという行動は、たいていの場合、無意識による行動である。しかし、捻挫したり、怪我をした場合、表層心理は、歩き方を意識するのである。また、表層心理は、深層心理の欲望を意識して、その行動を止める場合がある。それが、心理学で、抑圧と言われる現象である。表層心理が、深層心理の指針通り行動すれば、後で、不利益になると判断したからである。例えば、会社で、上司に厳しく叱責された時、深層心理が、怒りの感情と共に殴れという指針を出すが、表層心理は、そうすると、会社にいられなくなることを考慮し、深層心理の欲望を抑圧して、自ら謝罪して、この場を切り抜けようとするのである。しかし、深層心理の欲望が強過ぎると、表層心理の抑圧は功を奏さないことがある。例えば、ストーカーの深層心理が生み出した苦悩と危害を加えろという激しい欲望を、表層心理が抑圧できず、相手女性に危害を加えてしまうのである。さて、深層心理の欲望は、深層心理自らが行う、対自化・対他化・共感化の作用によって生まれてくる。対自化とは、人は、物や動物や他者に対した時、それをどのように利用するか、それをどのように支配するか、彼(彼女)がどのように考え何を目的としているかなどと考えて、対応を考えることである。対他化とは、他者に対した時、自分が好評価・高評価を受けたいという気持ちで、彼(彼女)が自分をどのように思っているか、相手の気持ちを探ることを言う。共感化とは、他者と、敵に当たるためにと協力したり、友情を紡いだり、愛情を育んだりすることを言う。人は、物や動物や他者に対した時、この三化のいずれかの姿勢で当たる。この三化の中で、深層心理の欲望が最も激しく動くのは、対他化である。喜怒哀楽の感情のほとんどは、対他化によって起こっている。精神疾患の原因の全ては、対他化によって起こっている。それほど、他者の評価が、人の気持ちを左右するのである。例えば、会社員が、会社へ行くと、仕事上のことで、毎日のように、上司に叱られる。理不尽なことが理由ならば、誰かに相談できるのだが、自らの力不足が原因だから、誰にも相談できない。自分でいろいろやってみるのだが、一向に向上せず、叱られてばかりいる。そうすると、深層心理は、それの解決法を考える。最も簡単な解決法は会社を辞めることだが、これは一大決心は必要であり、表層心理の抑圧もあり、容易には決断できない。そこで、深層心理は、大きな決断も必要せず、表層心理の抑圧が働かない、解決法を考える。その解決法が、精神疾患に導くことになる。人の気質によって、深層心理は、次の三つの解決法の一つを考える。いずれも精神疾患に繋がる。しかし、現況から逃れるためには、いずれかを解決法として採用せざるを得ない。。一つ目の解決法は、会社に行かないことである。こうすれば、必然的に、上司に叱られることは無い。そこで、深層心理は、自らを鬱病にするのである。鬱病になれば、気分が重すぎて、会社に行けなくなるからである、しかし、一旦、鬱病になると、日常生活の全てが、鉛のような重い気分に支配されて、苦しく、ほとんど、何もできない状態になるのである。二つ目の解決法は、自分の行動を自分でしたという実感がないようにすることである。そうすると、会社に行って、上司に叱られても、責任を感じることが無くなり、自分の力不足を嘆き、苦悩することも無くなるのである。それが、離人症に繋がるのである。離人症になれば、会社に行って、上司に叱られても、誰の仕事上の失敗なのかという風に思うことができ、責任を感じることが無くなり、自分の力不足を嘆き、苦悩することも無くなるのである。しかし、一旦、離人症になると、日常生活の全ての場面において、自分・他者・外部の世界の具体的な存在感・生命感が失われ、それらが見えていながら、それらと自分とのつながりの実感を失い、無味乾燥の精神状態に陥ってしまうのである。この場合、表層心理の意識も意志の働きも、抑圧の働きも無い。自分の深層心理の欲望が動いた結果でも、自分以外の人の深層心理の欲望が動いているように錯覚しているのだから、自分の表層心理が働けないのである。三つ目の解決法は、自分の現実を映画を見ている時のように実感のないようにさせることである。そうすると、会社で、上司に叱られても、映画を見ている気持ちで実感無く受け止めることができ、自分の力不足を嘆き、苦悩することも無くなるのである。それが、統合失調症に繋がるのである。しかし、確かに、統合失調症になると、上司の叱責は、全く実感に響かず、苦悩することは全くなくなるが、日常生活全てにおいて、人格の自律性が障害され、他者との自然な交流はできなくなるのである。そこにおいて、意識や意志という表層心理は、映画のような夢の世界では、存在価値がないから、消滅している。深層心理の欲望は、このような映画の世界では力を発揮できず、力が有り余っているから、時として、幻聴・幻覚として、本人を悩ますことになる。実際は、深層心理の働きに意味があるのだが、表層心理がそれを受け止めて解釈することがないから、幻聴・幻覚として思われるのである。そうして、表層心理が働かないから、抑圧もなく、深層心理の欲望が、向き付けで、強力な形で、幻聴・幻覚として、本人を襲うのである。統合失調症の人が、幻聴・幻覚に襲われて、抗することができず、罪を犯すことがあるのはこのせいである。そして、逮捕された統合失調症の人が、警察官の取り調べで、「誰かに命令されて。」、「夢の中で自分が。」、「別の自分が。」、「自分はやっていません。」と答えるのは、嘘ではなく、彼の正直な気持ちの答えなのである。山形市の女医殺害事件も、大阪府吹田市の警察官襲撃事件も、離人症、統合失調症に罹患している人、若しくは、同種の精神病に罹患している人が、犯したのだと思う。恐らく、誰にも、その動機はわからないと思う。深層心理と表層心理が、正当に機能していないから、本人にさえ、その動機はわからないからだ。しかも、自分の犯行であるという自覚も無い。だから、警察調書の署名にも応じていないのである。しかし、彼らは嘘を言っているのではない。彼らは、嘘を言えるほど健常者に近ければ、初めから、誰の利益にもならない、こんな事件を犯さないだろう。しかし、ますます、この手の事件は増えていくように思われる。なぜならば、現代社会は、自由な社会だと言われ、誰しも、そう思い込んでいるからである。自由な社会は、自分に実力があれば、のし上がっていける社会である。しかし、挫折すれば、誰にも責任転嫁もできず、自分の力不足を嘆き、苦悩することになる。そのような人の中で、深層心理が思いあぐね、この状況から逃れるために、自らを、離人症、統合失調症、若しくは、同種の精神病に罹患させるからである。根本的に、社会そして人間を捉え直さなければ、この手の事件は増えることはあっても、減ることはないだろう。