あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人間の性格について(自我その121)

2019-06-01 21:06:26 | 思想
人間の性格は、先天的なもので、誰しも、変えることはできない。なぜならば、性格の傾向は、個々の人間の生まれつきの深層心理によるものであるからである。深層心理とは、一般に、無意識と言われているものだが、一般的に、無意識の行動と言われるような、例外的な、臨時的な働き方をしていない。常に、深層心理は働いている。ラカンが、「深層心理(無意識)は言葉によって構造化されている。」と言うのは、深層心理が言葉で(を使って)考えているという意味である。言葉による構造化とは、一見難しそうに見える言葉だが、人間誰しも普段行っている、考えるという行為なのである。人間誰しも言葉を重ねて論理的に考えを進めていくのである。だから、言葉による構造化とは考えるという行為を意味するのである。人間は、意志などという表層心理から始まるのではない。ニーチェが言うように、「意志は意志できない」のである。人間は、深層心理の活動から始まるのである。まず、深層心理が、外部(自らの体内の肉体の状態や自らの体外の社会的な状況・人間関係)を考えて(に反応して)、ある感情と行動の指針を生み出すのである。感情と行動の指針の一体化したものを、深層心理が、まず、生み出すのである。例えば、深層心理は、怒りの感情ととともに殴れという行動の指針を出すのである。この場合、間髪を入れず、殴ってしまえば、一般的には、無意識による行動だと言うだろう。しかし、殴ることもやむなしと思ったり、迷ったあげくに殴れば、一般的には、意識しての行動だと言うだろう。また、深層心理から来る怒りの感情ととともに殴れという行動の指針を、表層心理が意識し、抑圧して、手を上げなければ、それも意識しての行動だと言えるだろう。つまり、無意識による行動であろうと、意識しての行動であろうと、起点は、深層心理なのである。つまり、人間は、何事も、深層心理から、始まるのである。深層心理が、まず、感情と行動の指針の一体化したものを生み出すのである。この、深層心理が生み出した、感情と行動の指針の一体化したものこそ、自我の欲望である。だから、人間は、自我の欲望から始まるとも言えるのである。人間の心には、常に、静かなものにしろ激しいものにしろ、深層心理から生み出された自我の欲望が、浮かび上がっては消え、消えてはまた別のものが浮かび上がってくるのである。さて、人間には、深層心理の敏感な人と鈍感な人がいる。深層心理の敏感な人は、深層心理が激しく活動する。それ故に、深層心理の敏感な人は、心が傷付きやすい。しかし、それは、深層心理の鈍感な人は、心が傷付きにくいということでも、ほとんど心が傷付かないということでもない。深層心理の鈍感な人も、深層心理の敏感な人と同じような状況に陥れば、深層心理の敏感な人と同じように傷付くのだが、その傷は浅いから、表層心理の抑圧が利くとともに、その心も、長く続かないのである。言わば、立ち直りが早いのである。しかし、深層心理の敏感な人の心の傷は深く、激しく痛むから、その傷付いた心を早く癒やそうとして、深層心理の生み出した感情と行動の指針の一体化したものが強く働くのである。つまり、深層心理の敏感な人とは深層心理が強い人なのである。深層心理が強いから、先の例で言えば、自分の心を傷付けた人に対して、無意識のうちに、間髪を入れず、深層心理に従い、深層心理が生み出した怒りの感情ととともに殴れという行動の指針に従って、殴りかかるのである。表層心理で意識しても、表層心理の抑圧が利かず、殴ることもやむなしと思ったり、迷ったりしても、殴ってしまうことがあるのである。それでは、人間は、どのような場合に、心が傷付くのであろうか。それは、対他存在が傷付けられた時である。対他存在とは、人間が、いついかなる時でも、深層心理に持っている、他者から評価されたい、他者に馬鹿にされたくないという思いである。ところが、他者から無視されたり、低く評価されたり、侮辱されたりすると、対他存在が傷付けられ、心が傷付くのである。特に、深層心理が敏感な人は、激しく傷付くのである。そうすると、深層心理は、一刻も早く、心の傷を癒やそうとして、怒りの感情ととともに殴れという行動の指針を、その人に与えるのである。なぜ、殴れと深層心理は言うのか。それは、心が傷付けられたままにしておくということは、心を傷付けた相手の下位の状態に置かれ続けることを意味するから、この下位の状況を一挙に打破し、相手の上位に立つために、深層心理は、怒りの感情ととともに殴れという行動の指針を与えたのである。殴るということは、最短時間の名誉回復の手段だからである。相手を殴り、相手を侮辱することによって、自らの屈辱を晴らし、相手の上位に立とうとするのである。もちろん、そこには、相手からの激しい反逆・復讐、周囲の人たちからの低評価を考えていない。表層心理の働きで、そのようなことを考えたとしても、深層心理が敏感だから、深層心理が強いから、表層心理の抑圧は功を奏さないのである。そうすると、言うまでもなく、相手から激しい抵抗に遭って逆に打ちのめされたり、相手に殴り勝っても周囲から顰蹙を買ったり、時には、犯罪者になったりするのである。もちろん、本人も、他の人がそのようなことをしようとしたら、止めに入るだろう。しかし、自らの場合、深層心理が敏感であったり、強かったりすると、愚かな過ちを犯すのである。それゆえは、深層心理が敏感とは、深層心理としては強いが、人間としては、弱いと言えるだろう。深層心理が敏感とは、心が傷付きやすいということであるから、人間として弱くなるのは当然である。しかし、傍目には、深層心理が敏感な人とは、表層心理の抑制が利きにくい人だから、何をしでかすかわからない人であり、恐い存在である。その典型がやくざである。彼らこそ、社会的に通用する、何をしでかすかわからない存在者である。彼らは、深層心理が敏感で、心が傷付きやすく、人間として弱い存在である。彼らが、因縁を付けるのは、些細なことで心が傷付くからである。彼らが、庶民に罵声を浴びせたり、怒声を与えるのは、傷付いた心を一挙に癒やそうとしているのである。彼らは、平常心を保てないから、庶民を脅迫するのである。弱い庶民を脅迫することによって、庶民の上位に立とうとしているのである。だから、彼らは、政治権力者には逆らわない。政治権力者に逆らっても勝てず、ますます、惨めになるからである。もちろん、彼らとしても、初めから、やくざであったわけではない。彼らは、ある時、自らにとって屈辱的なことがあって心が傷付き、それを一挙に挽回しようとした行為が犯罪だったのである。それから、周囲の白い目に堪えられず、同じような者同士が集団となって、世間の目に抗しようとしたのである。類は類を呼ぶのである。また、何をしでかすかわからないというやくざ集団、暴力団ということで、世間が恐れているから、それを旨味として、庶民から金銭をかすめ取っているのである。命が惜しければ金を出せというわけである。しかし、深層心理が敏感で、心が傷付きやすく、深層心理の強い人が、皆、やくざになるわけではない。やくざになる人はほんの一部である。それは、どれだけ、深層心理が敏感であっても、犯罪までは心の癒やしの手段としないからである。また、深層心理が鈍感で、心が傷付いても浅く、長続きしない人の中にも、やくざはいる。しかし、それは、親がやくざであったり、騙されたり、貧しくてやくざになるしかなかったり、過ちを犯して出所したらやくざしか相手にしてくれなかった人である。しかし、深層心理が敏感であるとは、決して、マイナスなことばかりではない。深層心理が敏感であるとは、感動も深いからである。芸術家は、例外なく、深層心理が敏感である。感動を表現したものが芸術である。また、革命家も、深層心理が敏感である。現状に、堪えきれないほど不満を抱くから、現在に社会を破壊しようと考えるのである。また、思想家も、深層心理が敏感である。他者の思想になじまず、自らの思い(深層心理)に準じて、思想を構築するのである。そして、言うまでもなく、深層心理の敏感な人は、精神疾患に陥りやすいのである。精神疾患に陥るのは、周囲の状況に、あまりにも、敏感に反応するので、心が傷付くまで傷付き、究極まで行き、深層心理が、本人に、周囲の状況を見せないようにするために、自ら、精神疾患に陥ったのである。ところで、一癖ある深層心理の敏感な人に対して、深層心理の鈍感な人は、バランスの取れた人間だと言われることが多い。周囲の人に合わせ、波風を立てないからである。確かに、このような人は、心が深く傷付くことがないから、温厚な性格をしている。しかし、このような人は、斬新なものは生み出せない。このように、先天的に、深層心理の感度は決まっていて、後天的にはどうしようもない。深層心理の感度が人間の性格を決定している。人間の意志や意識や努力などで性格を変えられるはずが無い。人間の意志や意識や努力などという表層心理のできることは、自分の性格に真正面から、向き合い、正確に捉えて、社会状況や自らの現実に対応して、自らを生かそうとすることである。