あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

人はなぜ罪を犯すのか(自我その127)

2019-06-09 21:56:52 | 思想
植木等が歌っていた「スーダラ節」に、「わかっちゃいるけど、やめられない。」という歌詞の一節がある。この一節の言う通り、この歌は、悪い結果になるとわかっているのに、欲望に負けて行動し、失敗する、人間の性が主題である。失敗例が三例歌われている。最初の例は、これ以上飲むと体に悪いのはわかっているが、止めることはできずに、はしご酒をし、気が付けば、ベンチにごろ寝をしているありさまである。酒をもっと飲みたいという欲望が、体に悪いからこれ以上飲むのはやめようという抑圧に打ち勝つのである。この、酒をもっと飲みたいという欲望が深層心理であり、体に悪いからこれ以上飲むのはやめようという抑圧が表層心理である。はしご酒になってしまったのは、表層心理の抑圧の力が深層心理の欲望の力に負けたからである。深層心理の酒をもっと飲みたいという欲望が強過ぎるから、表層心理の体に悪いからこれ以上飲むのはやめようという抑圧が、押しとどめることができなかったのである。第二の例は、馬券で儲けた人がいないのを知っているが、馬券を買うことをやめることができず、、気が付けば、ボーナスが無くなっているありさまである。一儲けしたいという欲望が、儲けるはずがないから馬券を買うのはやめようという抑圧に打ち勝つのである。この、一儲けしたいという欲望が深層心理であり、儲けるはずが無いから馬券を買うのをやめようという抑圧が表層心理である。ボーナスが無くなってしまったのは、表層心理の抑圧の力が深層心理の欲望の力に負けたからである。一儲けしたいという欲望が強過ぎるから、表層心理の儲けるはずが無いから馬券を買うのをやめようという抑圧が、押しとどめることができなかったのである。第三の例は、上手く行かないのがわかっているが、止めることはできずに、一目惚れした女性に声を掛け、気が付けば、騙されて捨てられているありさまである。一目惚れした女性をものにしたいという欲望が、上手く行くはずがなく騙され捨てられるから声を掛けるのはやめようという抑圧に打ち勝つのである。この、一目惚れした女性をものにしたいという欲望が深層心理であり、上手く行くはずがなく騙され捨てられるから声を掛けるのはやめようという抑圧が表層心理である。騙され捨てられたのは、表層心理の抑圧の力が深層心理の欲望の力に負けたからである。深層心理の一目惚れした女性をものにしたいという欲望が強過ぎるから、表層心理の上手く行くはずがなく騙され捨てられるから声を掛けるのはやめようという抑圧が、押しとどめることができなかったのである。この歌がヒットしたのは、歌詞が、多くの人の日常生活での自らの経験と合致したからである。さて、人間の行動は、深層心理の思考から始まる。それが、ラカンの言う、「無意識(深層心理)は、言語によって、構造化されている。」の意味である。まず、深層心理が思考し、喜怒哀楽の感情とともに行動の指針を生み出す。これが欲望である。深層心理の欲望である。どのような場合でも、必ず、僅かな高まりにしろ、感情が存在し、それに伴う行動の指針がある。これが深層心理の欲望のあり方である。感情の無い行動は存在しない。感情が行動の燃料になるのである。また、この深層心理の思考の動きは、本人に、知られることはない。そういう意味で、深層心理の思考の動きは、無意識である。深層心理と対照的に、表層心理は、感情や行動の指針を生み出すことはできない。表層心理は、深層心理の思考の結果としての感情や行動の指針を意識する。つまり、表層心理は、深層心理の欲望を意識するのである。しかし、人間は、表層心理が、意識して、換言すれば、自らの意志で、感情や行動の指針を生み出すことはできない。表層心理ができることは、深層心理が生み出した感情や行動の指針、換言すれば、深層心理の欲望を意識し、それに賛意したり、抑圧しようとしたりすることだけである。しかし、表層心理は、深層心理が生み出した感情やそれに伴った行動の指針の全て、言い換えれば、深層心理の欲望の全てをを意識するわけではない。表層心理に意識されないで、人間は、行動することがある。これが、一般的に、無意識の行動と言われる現象である。つまり、人間の活動の指針は、人間が意識していないところで、言い換えれば、深層心理で、思考され、感情とともにに生み出され、それが、深層心理の欲望であり、それを、表層心理が意識することも、意識しないこともあるのである。この深層心理の欲望は、スーダラ節で歌われた、飲酒、金銭、愛情という欲望にとどまらず、侮辱したい、殴りたい、挙げ句の果てには、殺したいという欲望まで行くのでのである。深層心理は、人間の無意識下の思考であるから、表層心理の抑圧は利かず、非道徳的なもの、悪事まで呼び起こすのである。なぜならば、深層心理の欲望の基本は支配欲であるからである。飲酒をするのは、日常生活の束縛から解放され、自分の生活を自分で支配しているような気持ちになれるためであり、金銭を求めるのは、他者の束縛を受けず、自分の生活や他者を支配しやすくなるためであり、愛情を求めるのは、相手の恋愛感情を支配するためである。さて、深層心理は、他者に対して、対自化、対他化、共感化の三形態で接する。対自化とは、相手がどのような性格をし、どのような考え方をしているかなどの観点で、相手の特徴を探ることであるが、それは、相手を支配したいがため、そして、その手段を考えるためである。対他化とは、相手から好評価・高評価を得たい気持ちで、相手が自分をどのように思っているかを探ることであるが、それも、相手の気持ちを支配したいがため、そしてその手段を考えるためである。共感化とは、相手と気持ちが通じ合っている状態であるが、それは、第三者と対抗し、第三者に屈服せず、できれば、第三者を支配したいがためである。犯罪も、支配欲から起こる。深層心理の基本にある支配欲が、犯罪を呼び起こすのである。人間は、相手を侮辱したり、殴ったり、殺したりするのは、そうしなければ、自分が、相手に支配され続けると思うからである。もちろん、そのように思考するのは、深層心理である。深層心理が、本人に、怒りの感情とともに、相手を侮辱したり、殴ったり、殺したりするのを指示するのである。当然のごとく、表層心理は、それを意識し、侮辱したり、殴ったり、殺したりした後、周囲から非難を浴びたり、罰せられたりすることを想定し、それを意識し、意志でそれを抑圧しようとする。しかし、深層心理が強過ぎると、表層心理の抑圧は功を奏さないのである。その典型的な例が、ストーカーによる犯罪である。ストーカーは、自分が交際していた人に、もしくは、自分が交際していたと思っていた人に、別れを告げられ、相手につきまとう人である。多くの失恋者は、相手を嫌悪し、軽蔑することによって、自分の恋愛感情を支配することによって、今までの恋愛感情から別れを告げることができる。ストーカーに、女性が男性より断然少ないのは、女性は、容易に、相手の男性を嫌悪し、軽蔑することができ、自分の恋愛感情を支配することにができるからである。失恋者は、全て、一時的にストーカー的心情に陥るが、表層心理が、カラオケ、アニメ、漫画、映画鑑賞、友人との長電話などで気分を紛らわし、自分の気持ちを、相手を嫌悪し、軽蔑するようにし向け、究極的に、自分の恋愛感情を支配することによって、今までの恋愛感情から別れを告げることができるのである。しかし、ストーカーは、深層心理が強過ぎるために、表層心理が、いろいろなことを行って気分を紛らわし、自分の気持ちを、相手を嫌悪し、軽蔑するようにし向けても、自分の恋愛感情を支配できず、今までの恋愛感情に別れを告げることができず、失恋という敗北感から脱せないのである。ストーカーの中には、深層心理が非常に強く、全く、表層心理が抑圧に向けない人もいる。ストーカーが殺人というという罪を犯すのは、失恋という敗北感に支配されている自分を解放させるためである。たとえ、相手を危害を加えたり脅迫したりして、相手が謝罪しても、相手の気持ちが戻って来ないのがわかっているから、危害や脅迫を越えて、殺人にまで及ぶのである。もちろん、ストーカーも、その後、どのように自分が周囲の者や世間から顰蹙を買い、どのように非難されたあげくに罰せられるか知っているから、それを避けるために、行為の後に自殺を図る者が少なくないのである。表層心理は、結末がわかっていて、抑圧しようとしても、深層心理の支配されている苦悩から脱したい気持ちには叶わないのである。一般に、人間は利己的な動物だと言われているが、誰しも、ストーカーの行為を利己的な産物だ言わないだろう。被害者は、もちろんのこと、自分自身にも利益がもたらされないからである。それがわかかっていながら、行為に及んでしまうのである。つまり、人間とは、自我的な動物なのである。自我とは、構造体の中で、自分に与えられた社会的なステータス(ポジション)を、自分と思い、行動する主体である。例えば、会社という構造体ならば、社員、課長、学校という構造体ならば、高校二年生、中学一年生、家族という構造体ならば、父、母、息子、娘、カップルという構造体ならば、恋人、仲間という構造体ならば、友だちなどである。人間は、自分と関わりの無い他者に対しては、善事、悪事を為す観点から自己判断するが、自分の関わりのある人に対しては、自我を基にして、支配するか、支配されるか、共同して第三者のできる人かなどの自我判断するのである。自分の自我を守ってくれたり認めてくれたりする人に対しては、相手(の心)を支配したり、共同で第三者を支配できる人だと思い、満足できるが、自分の自我を無視したり、侮辱したりしてくる人には、このままにしていたら、相手に支配されることになると思い、反撃したり、復讐したりするのである。ストーカーが殺人という罪を犯すのは、相手から別れを告げられて、カップルという構造体が壊れ、恋人いう自我が失われているのに、相手への気持ちを断つことができず、失恋という敗北感に支配されている自分を解放させるためである。このように、人間は、深層心理が、支配欲を基本に、思考し、支配欲を維持するために、つまり、プライドを守るために、大いなる怒りの感情とともに非道徳的な行為、犯罪を指示することがある。それを考慮し、自らの深層心理が暴走しないために、常に、表層心理が行動を考慮する必要がある。自らの、性格(心の傾向)を理解し、深層心理が、支配欲が絶望に落とされ(プライドを傷付き)、大いなる怒りの感情が湧き上がらないような場所に行き、大いなる怒りの感情が湧き上がらないような行動をし、大いなる怒りの感情が湧き上がらないような人と接することが大切である。それでも、大いなる怒りの感情が湧き上がるような事態に遭遇したら、逃げることが大切である。そして、最初から、他者にも、自分にも、大きな期待を掛けないことである。ストーカーに陥る人は、恋愛に期待を掛けているからである。他者の心の維持にも、自分の心の維持にも期待を掛けているからである。むしろ、恋愛を、恋愛ゲームとして、見れば良いのである。人生そのものを、人生ゲームとして見れば良いのである。