あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

深層心理の働き・対他存在としての人(自我その124)

2019-06-05 20:16:57 | 思想
人は、常に、自分が他者からどのように思われているか気にして生きている。このような他者の視線、評価、思いが気になるあり方を対他存在と言う。ここで、他者と言い、他人と表現しなかったのは、他人では、赤の他人などと使われ、主観的な思いが込められているからである。人にとって、どのような人でも、自分以外の人の思いが気になるから、他者と言ったのである。また、ここで注意しなければいけないことは、気にするのではなく、気になるのである。つまり、自分の意志で気にしているのではなく、自分の意志や思いとは関わりなく、自然と、いつの間にか、気になっているのである。気になるという気持ちは、自分の心の奥底から湧いてくるのである。だから、気にならないようになりたい、気にしないでおこうと思っても、気になってしまうのである。自分の心の奥底の世界を、誰一人として、覗いたことがない。また、これからも、誰一人として、覗き込むことはできないだろう。誰しも、自分の顔を直接に見ることはできない。鏡などの反射する物を使ってしか、自分の顔を見ることはできない。しかし、自分の心の奥底を映す鏡のような物は存在しないから、見ることができないのである。しかし、自分の心には、自分では覗くことができず、自分の意志では動かすことができない、奥深い世界があるのである。だから、気にならないようになりたい、気にしないでおこうと思っても、気になってしまうのである。この、心の奥底の世界が深層心理である。一般に、無意識と言っているが、ただ単に、本人が意識せずに行動しているという意味を表しているだけで、そこに価値を置いていない。そうではなく、深層心理こそ、我々を動かしているのである。我々の意志ではどうしようもできない、深層心理がまず働いて、我々はそれに動かされているのである。さて、先に述べたように、人は、他者に会ったり、他者の視線を感じたり、他者がそばにいると、自分がその人からどのように思われているか気になってしまう。それは、自分の意志にかかわらず、自分の心の奥底からもたらされたものである。つまり、深層心理が、他者を対他化し、その人の自分に対する思いを探るのである。そのような人間のあり方を他他存在と言う。しかし、深層心理は、他者に対して、対他化するばかりでなく、対自化する時もあり、共感化する時もある。対自化とは、他者に対応するために、他者の狙いを探るのである。共感化とは、他者を他者の垣根を取り払い、味方として、仲間として、愛し合う存在としてみることである。当然のごとく、対自化の人間のあり方が対自存在であり、共感化の人間のあり方が共感存在である。しかし、深層心理の働きとして、対他化が、対自化や共感化よりも、優先するのである。他者の自分に対する思いが最も気がかりなのである。それが、「人間は社会的な存在である」からである。言うまでもなく、人間のあり方としても、対他存在が、対自存在や共感存在よりも、優先している。深層心理の対他化の働き、つまり、人間の対他存在のあり方の特徴は、ラカンの「人は他者の欲望を欲望する。」(人間は、他者の思いに同化しようとする。人間は、他者から評価されたいと思う。)に集約されている。例えば、父親が東大出ならば、息子は両親の思いを汲んで、自らも東大に合格して、両親に褒められようと思うのである。それは、両親の息子に対する対自化(対自存在)の影響でもあったのである。深層心理の対自化の働き、つまり、人間の対自存在のあり方の特徴は、「人は自己の欲望を他者に投影する。」(人間は、自分の思いで他者を評価する。人間は、自分の思いを他者に植え付けようとする。)に集約されている。先の例で言えば、父親が東大出ならば、両親は、息子にも、東大を目指すように仕向けるのである。その悲劇が、元農林水産省事務次官の息子殺しであった。息子は、両親の期待に応えようとして東大を目指したが、挫折し、引きこもり生活を送り、その苦しみを、両親に暴力を振るって、逃れようとした。父は、息子の暴力から、自らの身と妻の身、そして、外部の他者の身を守るために、息子を殺した。息子が、生前、たびたび発していたという、「俺の人生は、誰のための人生だったんだ。」という言葉に、この事件の原因が集約されている。息子は、自らの深層心理の対他化の働き(対他存在のあり方)によって殺されてしまったのである。両親は、自分たちの深層心理の対自化の働き(対自存在のあり方)によって、息子を殺してしまったのである。しかし、両親が、息子を東大を目指すように仕向けたのは、息子が東大に合格すれば、他者から、東大生の息子を持つ親として、褒められるからである。そういう意味で、本質的に、両親は、自分たちの深層心理の対他化の働き(対他存在のあり方)によって、息子を殺してしまったと言えるのである。マスコミは、この事件について、いろいろ述べている。しかし、今のところ、息子や両親の深層心理について、触れている所が一社もない。嘆かわしいことである。この事件に限らず、自らの精神状態、行動について、深層心理にまで踏み込んで分析しない限り、人間の本質は捉えられない。それゆえに、このような悲劇は、永遠に、繰り返されるだろう。