あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

欲求と欲望(自我その125)

2019-06-06 20:08:54 | 思想
一般に、人間にとっての欲求と欲望の区別は難しく、国語辞典でも、定義の仕方が異なり、定まらない。しかし、心理学では明確に分けている。欲求は、食欲、睡眠欲、性欲などであり、人間が生命を維持し、子孫を残すためには欠かせないものとされている。それは、他の動物にも、存在しているとされている。しかし、欲望は、支配欲、安定欲、名誉欲などであり、それ自体が目的であり、生命を維持し、子孫を残すためには、不必要なものとされている。そして、それは、他の動物には、存在しないとされている。しかし、人間にとって、食欲は、食糧を支配したいという欲望であり、性欲は異性を支配したいという欲望であり、睡眠欲は、安定した体調や精神状態を求めたいという欲望であると考えるならば、食欲も、睡眠欲も、性欲も、欲望の範疇に属することになる。つまり、人間にとって、純粋な欲求は無く、欲求は、全て、欲望に形を変えていることになる。確かに、人間にとって、単に、食欲を満たすという行為は存在しない。食材をそのまま食べることはほとんど無い。調理し、形を変えて、食している。一般に、調理されていない物には食欲が湧かず、調理されている物に対してこそ食欲が湧いてくる。人間にとって、食材を調理するとは、単に、生命の維持のために消化しやすくするためでなく、自然を自分の都合の良い形に変えて支配することなのである。それは、他の動物たち、例えば、馬が人参を、猫が魚を、犬が肉を洗うことさえしないで、生のままに食べるのと大いに異なっている。また、人間にとって、単に、睡眠欲を満たすという行為は存在しない。他の動物たちは、安全性が確保されれば、そこで寝ることにし、眠りに落ちることが早く、不眠症も存在しない。しかし、人間は、安全性以外に、明かりや音や温度の程度・布団やベッドの硬度・抱き枕やぬいぐるみ・添い寝者の有無などの環境が自分に合わなければ、眠ることができないのである。つまり、眠る時にも、環境を自分の都合の良いものでなければ、つまり、環境を支配していなければ、眠ることができず、体調や精神状態に安定性を求めることができないのである。そして、人間にとって、単に、性欲を満たすという行為も存在しない。それは、他の動物が、発情期が来ると、自然に交尾し、妊娠し、出産するのと大いに違っている。そもそも、人間には、発情期は存在しない。言わば、一年中、発情期である。しかも、妊娠中も、更年期を迎えても、性欲が存在する。また、人間は、ただ単に、セックスするのではなく、そこに愛情という相手への思いが存在しなければ、基本的にはセックスしない。なぜならば、人間にとって、性欲とは、相手の愛情を求める気持ちであり、セックスができるとは、相手の愛情を手に入れたという証なのである。つまり、性欲とは、異性の心を支配したいという欲望なのである。このように、人間には、純粋な欲求は存在しない。それは、全て、支配欲という欲望に変換させられている。食欲は、自然の動植物を支配したいという欲望である。睡眠欲は、環境を支配して、体調・精神状態を安定したいという欲望である。性欲は、異性の心を支配したいという欲望である。そして、ここでは説明しなかったが、名誉欲は、大衆に認められたい、大衆の心を支配したいという欲望なのである。つまり、全ての欲望は、支配欲に、深く関わっているのである。そして、この支配欲が、人間世界に、文化、学問、芸術を生み出し、発展させてきたのである。