東京-大阪 単身赴任 旅物語

2003年10月1日から2012年9月30日まで経験した単身赴任。帰省旅行の思い出と、お得情報を綴っています。

さよならJAL192便

2012-04-02 00:59:08 | JAL

復路:3月18日(日)      →関西空港 :関空快速 関西空港 →羽田空港 :JAL192便 羽田空港 →立川   :空港バス 立川   →八O子  :中央線高尾行き 運賃:¥780+¥6,670+¥1,700

帰京の旅、いつもの関空快速で関空へ。

Peachスカイマークが就航したりという新しい流れの中で、小生にとって貴重な移動手段であった、JAL192便がとうとう廃便になってしまう。

JAL192便は、偶々、八O子方面の空港バスとの接続が良かったので、大変重宝していた。JAL192便を使うと、大阪宅から4時間半ほどで東京宅に到着するうえ、地上交通機関の乗り換えが不要なので、毎週の移動もそんなに苦痛ではなかった。

一番強烈な思い出は、バードストライクに遭遇した、2007年4月8日のこと。

一旦、関空へ引き返して、機材を交換し、再び羽田に向かったのは良いが、到着は24時を廻ってしまい、JAL負担でタクシーに乗車して羽田から八O子へ。

また、かつてのJAL192便は遅刻常習犯で、羽田到着は大抵10分程度遅れ、その結果、八O子方面の空港バスとの接続がとれなかったり、必死になって羽田空港内を走ったことは、今となっては懐かしい。

機材は色々と変わったが、JAL192便の後方座席や非常口座席には、JALの職員の方々が多数搭乗していた。

また、名前こそご存知無いが、日曜日の夜、いつも顔を合わせる方々が居た。

今回の搭乗をもって、これら全てが思い出に昇華してしまう。

今宵の翼はJAL192便羽田行きである。今回がJAL192便、最後の搭乗。

関空到着後、直ぐに専用保安検査場を通過して、サクララウンジへ入場。

サクララウンジは比較的空いていた。JAL192便廃便の暁には、関空サクララウンジを利用する機会は、きっと激減するはず。

ラウンジでは睡眠薬服用。

21時30分にラウンジを出て、26番搭乗口へ。

JAL192便、これで、最後かと思うと、色々な思いがこみ上げてきて、胸が熱くなる。

日本海やきたぐにの廃止と違って派手さは無い。が、ありがとうと言いたい気持ちは理解できる。できれば、かつての様に、スカイマークとコードシェアして、復活する道はないのだろうか?

搭乗開始、機内へと入る。

当便は空いており、3席専有状態で非常に快適。だが、この空き具合が廃便の一因であることは否めない。皮肉なものであるが。

今宵は、特にたくさんのJAL職員の方々が当便に搭乗している。彼(彼女)達は、今後どうするのか? 機会あれば伺ってみたいと思っていたが、そのような機会はついぞ無かった。

離陸後、直ちに爆睡開始。

そして、着陸のショックで目が覚める。最後の搭乗は、あっけなく終わってしまった。

JAL192便は、22時50分、17番スポットに到着。所定よりも10分も早い。

急げば、23時発の高尾行きのバスに間に合ったかと思うが、最後の最後まで羽田マラソンは止めておきたい。

ゆっくりと歩いて、23時05分発の立川行きのバスに乗車。

立川行きのバスも空いており、非常に快適。

そして、24時前に立川駅に到着。立川から中央線高尾行きに乗車して、八O子まで。

帰宅は、24時30分頃。

沢山の思い出が詰まったJAL192便、もう搭乗することは無いのかも知れない。

4月からは、伊丹のJAL138便か、関空ならANA150に頼るしかない。段々と制約が多くなってくるのは本当に困る。

さよならJAL192便、そして、最後まで本当にありがとう。

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