東京-大阪 単身赴任 旅物語

2003年10月1日から2012年9月30日まで経験した単身赴任。帰省旅行の思い出と、お得情報を綴っています。

朝の東海道軟弱移動作戦

2007-07-29 06:05:00 | 列車
快速アクティ
往路:7月29日(日)
   →天王寺:阪和線普通
天王寺→大阪 :大阪環状線
大阪 →米原 :快速長浜行き
米原 →大垣 :快速岡崎行き
大垣 →豊橋 :新快速豊橋行き
豊橋 →熱海 :こだま570号
熱海 →横浜 :快速アクティー
横浜 →八O子:横浜線快速
運賃:青春18きっぷ1回分+¥5,670+¥750

きたぐに寝台券当初の予定では、きたぐにB寝台で糸魚川まで出て、大糸線の風光明媚な車窓を楽しんでから帰京する予定であった。が、悲惨な地震のお陰で、信越本線を経由する列車は全て、当分の間は運休となっている。

残念ではあるが、日常生活に苦労されている方々を思うと、何のこれしき。という感がある。

大糸線に執着するなら、金沢行き夜行バスという手もあったのだが、これだと、東京着が夕方になってしまい、ちょっと困る。本日昼下がりに、一度、社に寄らなくてはならないからである。

結局、大糸線探訪は諦めて、日曜日の早朝、自宅を出発し東海道を上っていくことにした。

早朝4時40分に起床。歳のせいか夏の早起きはそれほど辛くは無い?

5時11分発の阪和線で天王寺まで、日曜日というのに意外と混んでいる。駅は未だ閉まっているので、青春18きっぷのスタンプは大阪駅で押して貰うことにする。

豊橋-熱海間ワープ用の新幹線きっぷ天王寺で大阪環状線内回りに乗り換えて、大阪で降りる。まだ5時台である。

ここでみどりの窓口へ直行して、豊橋→熱海の新幹線乗車券と特急券を購入。5時30分から営業しているのは流石である。客は皆無で、直ぐにきっぷは購入できたので、予定より一本早い6時05分発の長浜行き快速乗車を目指す。

本当なら、大阪駅で食料を調達したかったのだが、日曜のこの時間帯、Heart-inKIOSKも開まっている。

ホームに上がると、既に、長浜行き快速(700K)は入線していた。

12両も繋いでいるので、結構空席が目立つ。しかし、完全空席の座席を探して探して、結局一番端の車両まで来てしまった。新快速営業時間前の列車なので、それなりに需要は高いようである。

昼間の快速とは違って、高槻~京都間も各駅停車ではなく、長岡京に停まるのみである。

見慣れた車窓をぼんやりと眺めながら、睡魔がやって来るのを待っていたところ、高槻出発直後、突然、列車は急停車した。

ゲゲッ人身事故? と思ったが、このあたりには踏切も何も無いはず。実際、外側線も下りも動いている。

暫くして、列車内の非常ボタンが押されたため停車したとのアナウンスが流れる。

何事かいな??

と思っていると、再びアナウンスが入り、8号車で急病人発生を知らされる。

運転手が急がしそうに、車内を行ったり来たりしている。これはただ事ではなさそうだ。しかし、高槻駅のホームにかかっているならまだしも、列車は既に駅から微妙に離れた地点まで来ている。

どうするのだろうか? 列車をバックさせるのか?? それとも、高槻駅から担架を持ってくるのだろうか? と、内心、ハラハラしながら事態の推移を見守る。

決して人事では無い。小生だって、いつ車中倒れても不思議では無いのだから。

程なく、列車は動き出すが、急病人救護のため、次の山崎駅に臨時停車する旨アナウンスがあった。大丈夫なのだろうか? と祈るような気持ちになる。

山崎に臨時停車。

恐らく、ここで救急車が待機しているのだろう。暫く停車する。そして、運転手もホームへ出て走って行く。

運転手も大変である。しかし、見ている限り、普段から充分訓練されているようで、異常事態発生時の機敏な対応は素晴らしかったと思う。JR西日本も努力しているようである。

長岡京出発後は、223系本来の快走ぶりで回復運転。京都で遅れは10分に回復した。

米原始発敦賀行き521系だがだったの2両編成とは草津を過ぎたあたりで、再びアナウンスが入る。長浜行きだが、遅れのため米原で抑止とのこと。まぁ適切な判断だろう。直ぐ後に米原始発の敦賀行きがあるのだから。

草津を過ぎたあたりから、漸く睡魔がやってきて2度寝モードに入る。気が付いた時には、河瀬を出発した所であった。この程度では寝足りない。

程なく終点の米原に到着。結局、遅れは6分まで圧縮された。ゆとりダイヤのゆとりを使い切った感じがするが、7分も回復させたのは大したものである。
当該列車は米原で抑止相変わらず米原で乗り換える人は非常に多い

さて、18きっぷのシーズン、昼間の時間帯なら、名古屋方面への乗り継ぎ米原バトルが開始されるわけであるが、次に乗車する8時12分発の岡崎行きは8両編成のはず。従って、慌てなくとも充分着席できる。

しかし、米原行きに化けた快速長浜行き列車の遅れの影響を受けて、出発ホームは7番線に変更される。事前情報によると岡崎行きの快速は117系らしいので白の↑の所に並ぶ。

大垣方面から、列車はやってくる。はやり117系である。JR西日本の117系に比べて、内装は原型を留めている感じがする。予定通り、8両編成であるため、乗車率は30%程度。空席も多い。
快速岡崎行き空いている!

ここで、小生、腹が減ったので、ホームの売店、位筒屋で睡眠薬と弁当を購入する。在来線で食事をするのは流石に抵抗があるのだが、ガラガラなので、特に問題なしと判断した。

先行列車の遅れの影響を受けた米原行き快速の到着を待って、2分遅れで米原を出発。きちんと接続を取ってくれるのは評価できる。小生も本来の予定通りなら、この列車に乗るべきであったのだから。

当該列車からの乗り換え客は1両につき数名程度。結局、空席を沢山残したまま、米原を出発する。

伊吹山麓の車窓を眺めながら、早速ブランチとしゃれ込む。
味くらべ味くらべ

位筒屋で購入したのは、味くらべ¥600也。揚げ物と焼鮭をメインのおかずとするごくありきたりの弁当であるが、腹が減っていたので非常に美味しくいただいた。最後に食べた梅の実のデザートが良いアクセントだった。

食後は、睡眠薬を服用し、3度目の睡眠を誘発させる。後、2時間程度は眠っておかないと、夕方、社に出向いた時に辛くなる。

大垣で乗り換え特に、トラブル無く大垣に到着。

ここで、トイレを済ませて大垣始発の豊橋行き新快速に乗り換える。名古屋方面からの折り返しなので、出発は1番ホーム。やってきたのは、昨年秋から走り出した、JR東海の新型車両313系5000番台6両編成である。

休日の朝なので、6両編成でも結構空席が目立つ。前に座ったオバサンコンビが大声で喋るものだから、耳栓とアイマスクを装着して眠りに入る。
313系5000番台改良された車内

このオバサンコンビが喋る名古屋弁は、耳栓を通しても入ってくるほど強烈であったが、睡眠薬が効いてきたせいか、意味不明の外国語のように認識されて、いつの間にか眠りに就いた様である。岐阜到着は覚えていない。

記憶が戻ったのは、間も無く豊橋、飯田線の線路が見えてきたあたり。大垣~豊橋の90分をほぼ、眠ったまま過ごした。気分はかなり爽快である。

時間の制約が厳しくなければ、豊橋で、ホーム向かい側で待っている普通浜松行きに乗り継いでも良かった。この列車、4両編成でセミクロスシートなので、着席できれば(そんなに混んではいなかったので、席を選ばなければ多分OK)まぁまぁ快適に移動できたかも知れない。

が、ここで、5分弱の連絡でこだまに乗り換えなくてはならないので、階段を駆け上がる。
豊橋でこだまに乗車

新幹線ホームに降りると、丁度、こだま570号が入線する所であった。小生は、喫煙車を目指して、ホームの端へと歩を進める。こだま570号は名古屋始発なので、空いているはずと予想してたのだが、やはり、2人掛、3人掛け、席は選び放題である。
新幹線珈琲ガラガラ

丁度、車販のワゴンがやってきたので、美味しくなったと評判の珈琲¥300也を頂く。

うーん、たしかに、美味しい。少なくとも空港のラウンジや機内サービスのものよりはずっと美味しい。

しかし、しかしである、鉄道の旅では、こうやって、少しずつお金を落としていく事になり勝ちなので、注意しないと出費が嵩んでしまう。その点、飛行機なら、タダで賄える物が多いのだが。

ここからは、ガラガラの新幹線のシートに身を委ねて再び眠っても良かったのだが、いつも上空から見下ろす風景を地上から見る折角の機会なので、車窓を楽しみながら、紀行文作成を開始する。

浜松、掛川、静岡、と停車するたびに女性車掌が通路に姿を見せるが、検札は無い。

それにしても、新幹線の女性車掌の風貌は、どことなく冷たさを感じる。飛行機のCAさんのような優しさは微塵も無い。どちらかというと、婦人警官のような印象を持つのは小生だけだろうか?

新富士、三島も過ぎた。

残念ながら、太陽は顔をのぞかせてはいるものの、曇りがちの天気で富士山の姿は、どこにも無い。

トンネルを抜けると、間もなく熱海である。

快速アクティ店じまいをして、こだまから降りる。ここで、4分の連絡で、快速アクティーに乗り換えないといけないので、階段を下りて、在来線ホームへと急ぐ。

熱海始発ではあるが、既に、多くの乗客が居る。もちろん、席は空いているのだが、贅沢に慣れてしまった小生は、ホーム中央のSUICAグリーン券売機を目指した。

後、1分少々で発車であるが、先客操作中である。たしか、磁気券時代には券売機は2台あったはずだが。なぜに1台に減らしたのか?

なんとか、SUICAを突っ込んで処理完了。グリーン車に乗り込み、階下席へ。
グリーン車

程なく、扉が閉まり、発車。ここから暫く、18きっぷの旅が再び始まる。

熱海出発時点では、ガラガラなのだが、東京に近づくにつれて、乗客が増えてくる。グリーン席と言っても、特急のレギュラーシート並なのに、追加料金を払ってでも乗ろうとする人が、かくも多いとは、やはり、東京の混雑はタダ物では無い。

グリーンアテンダントところで、グリーン車に乗ると、例のグリーンアテンダントのお姉さまに出くわすのだが、物腰の柔らかさは、先ほどのこだま号の女性車掌と好対照をなしている。なんとなく、JALのCAさんのような感じがしてならない。同じ鉄道でもエライ違いである。と言うか、JR東海の相変わらずの殿様商売ぶりの現れか?

さて、大船を過ぎた段階で、窓側は全て埋まったようであるが、小生は次の横浜で降りる。

横浜からは、横浜線快速で八O子まで、ここからは極めて退屈な時間ではあるが、滅多にやってこない横浜線快速に乗車できたのは、まだ幸いだった。

八O子到着は、14時30分。

朝5時に自宅を出てから、9時間30分の長旅が終わった。飛行機に比べると旅費は半額だが、時間は倍ほど掛かっている。体感的には、そんなに時間が経過しているようには思えなかったのは、車窓を楽しんだり、思いっきり爆睡したためだろうか?

毎週、毎週、こんなことをしていては身が持たないが、偶には、このような鉄旅も悪くは無い。

その後、予定通り社に寄ってから、夕方帰宅。流石にその夜も爆睡したのは言うまでも無い。



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