おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

エリザのために

2023-09-11 07:24:03 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/3/11は「家族ゲーム」で、以下「かぞくのくに」「学校」「カッコーの巣の上で」「勝手にしやがれ」「葛城事件」「カティンの森」「彼女の人生は間違いじゃない」「蒲田行進曲」「神々の深き欲望」と続きました。

「エリザのために」 2016年 ルーマニア / フランス / ベルギー

          
監督 クリスティアン・ムンジウ                             
出演 アドリアン・ティティエニ マリア=ヴィクトリア・ドラグス
   リア・ブグナル マリナ・マノヴィッチ ヴラド・イヴァノフ
   ジェル・コルチャグ ラレシュ・アンドリチ ペトレ・チュボタル
   アレクサンドラ・ダビデスク ルチアン・イフリム

ストーリー
ルーマニアの小さな町に暮らす警察病院の医師ロメオ(アドリアン・ティティエニ)には、愛人がおり、家庭は決してうまくいっているとはいえない。
ある朝、妻(リア・ブグナル)に代わってイギリス留学を控える娘エリザ(マリア・ドラグシ)娘のエリザを学校まで車で送ることに。
しかし愛人のもとへ急ぐ彼は、エリザを学校の少し手前で降ろしてしまう。
その結果、エリザは登校途中に暴漢に襲われてしまう。
幸い腕を負傷しただけで大事には至らなかったが、彼女の動揺は大きく、留学を決める最終試験に影響を及ぼしそうだ。
英国留学を控える彼女には、大事な最終試験が翌日に迫っていたのだ。
本来ならば成績優秀な彼女には何ら問題ない試験のはずだったが、とても試験をこなせる精神状態にはなかった。
ロメオは娘の留学をかなえるため、警察署長(ヴラド・イヴァノフ)や副市長(ペトレ・チュボタル)、さらには試験監督(ジェル・コルチャグ)とツテを頼り、試験に温情を与えてもらおうと奔走する。
だが当の娘には反発され、ロメオには検事官(ルチアン・イフリム)の捜査が迫ってくるのだった……。


寸評
主人公のロメオは娘エリザのイギリス留学を実現させるために、ありとあらゆるコネを使って最終試験の不正を画策する。
父親の考える子どものためというのは独りよがりのものかもしれない。
本当に子どものためなのか、子どもはそれを求めているのか、もしかするとそれは父親の自己満足の為ではないのか。
そのような疑問を呈せられると、父親の正当性は揺らいでしまう。
ここまでの不正を画策する父親は稀だろうが、しかし少なからずそのような気持ちを持っているのが父親というものでもある。
コネがあれば「よろしく頼むよ」ぐらいは言うだろうし、自分のコネで子供の就職先をあっせんした父親もいるはずだ。
この男の私生活を含め、彼に共感する観客はひとりもいないだろうが、彼の犯した間違いや彼の取りつくろう嘘は僕たちにもある。
だから彼に対する見方は一方的な非難だけではないものがあり、彼の行動の滑稽さと悲しさはこの映画の魅力となっている。
彼の抱える行動の滑稽さは、僕たち自身の滑稽さでもあるのだ。
父親がとってしまうばかげた行動を描き、一歩間違えば喜劇映画になってしまいそうな作品に広がりを持たせているのが、この映画の持つ政治性だ。

1960年代から80年代にかけての24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨していたのがニコラエ・チャウシェスクである。
1989年12月に起きたルーマニア革命でチャウシェスクは完全に失脚し政権は崩壊、その後12月25日に逃亡先において、革命軍の手によって妻エレナとともに公開処刑されたという事実を思い浮かべなくてはならない。
エリザの両親は、チャウシェスク時代には海外に逃避していたが、民主化に期待して戻ってきたらしい。
父親は娘を説得するために、「1991年、民主化に期待し母さんと帰国したが、失敗だった。自分たちの力で山は動くと信じたが、実現しなかった。後悔はない、やれることはやった。でも、お前には別の道を歩んでほしい」と言う。
彼のいう山とはチャウシェスク時代の国家ぐるみの不正だったはずだ。
労働者とエリートたち、人種差別、軍と警察という権力執行者、国家機構と党機構という組織、官僚と一般国民、これらの対立を利用しながら強権と私利私欲をほしいままにしたチャウシェスクの作った社会そのものであろう。
しかし革命後のルーマニアでは、相変わらずコネとワイロが方々にはびこっていて、正直者が馬鹿を見る社会が続いている。
映画はそんな社会を告発しているようでもある。
ところが、父親のロメオは社会を告発する正義の代表者として存在していない。
警察病院の医者である彼は、患者から金を受け取ろうとしない正直者であるのだが、その彼でも娘のために最終試験での不正に奔走してしまうのである。
その本能的ともいえる父親の性(さが)で彼を正当化していないのである。
ロメオは妻がいながらサンドラという愛人がいて、エリザが襲われ病院から連絡を受けたときにも、ロメオがいたのはサンドラのアパートだったという事実を突きつける。
さらに娘のエリザも妻のマグダも、ロメオが不倫していることを知っているようなのだ。
ロメオはサンドラの生理が遅れていると伝えられてもまともに取り合わず、サンドラの幼い息子とも目を合わせようとしない。
実に身勝手な男なのである。
この男の身勝手さが共感を呼ばないのだが、それなのにどこかで彼に同化している自分がいる。
彼らが住んでいるのは殺伐とした街だ。
ロメオはエリザにロンドンの公園がどんなに素晴らしいところかを語る。
愛する娘のためなら、自分の手を汚すのを躊躇わないという、その思いつめた心情だけがは物のようなことがそうさせたのかもしれない。

エリザを襲った犯人は誰なのかは分からない。
班員を目撃したと思われるマリウスの処遇も不明のままである。
ロメオの家に石を投げ込んだのはサンドラの息子だったのだろうか。
娘が留学してしまった後、ロメオとマグダは離婚したのだろうか。
ロメオの子供を身ごもったサンドラはどうしたのだろう。
数々の疑問を残したまま、ロメオは「はい、チーズ」と欺瞞の写真を撮る。
ルーマニアもロメオ一家も危うい状態で成立している。