おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

おらおらでひとりいぐも

2023-09-19 06:32:36 | 映画
「おらおらでひとりいぐも」 2020年 日本


監督 沖田修一
出演 田中裕子 蒼井優 東出昌大 濱田岳 青木崇高 宮藤官九郎
   田畑智子 黒田大輔 六角精児 大方斐紗子 鷲尾真知子

ストーリー
74歳になる桃子(田中裕子)は都会の片隅で一人暮らしをしている。
桃子の脳裏に若き日の自分(蒼井優)が亡き夫・周造(東出昌大)と共に過ごした頃の姿が浮かんできた。
桃子はなんだか自分の頭がおかしくなってきたのではないかと不安げになっていたところ、突然自分と同じ格好をした三人の男(濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎)が現れ、こたつを囲んで笑ってきた。
実はこの三人男の正体は桃子の心の寂しさが擬人化して現れたものであり、やがて桃子と三人男はジャズを奏でて踊り始めた。
翌朝。桃子の枕元には彼女の朝専用の擬人化男、通称“どうせ”おじさん(六角精児)が現れた。
桃子は病院の診察を受けに行ったが、いつものように問題ないことを告げられ、その後図書館に本を返しに向かった。
図書館の司書(鷲尾真知子)はいつものように桃子を習い事に誘ったが、桃子はいつものように断った。
帰宅した桃子を出迎えたのはいつもの寂しさ三人衆だった。
桃子は三人衆と賑やかに過ごし、そしていつものように翌朝“どうせ”に起こされた。
テレビには東京オリンピックに関するニュースが流れており、桃子はふと1964年に開催された最初の東京オリンピックの頃を思い出していた…。
桃子は周造に先立たれた哀しみを紛らわすかのように“脳内歌謡ショー”を催した。
故郷の古いしきたりから逃れ、“新しい女”になるはずだったのがいつしか自分も結局はしきたりに流されてしまったことを桃子は振り返り、周造の死によって“愛よりも自由”という心境に達したことも振り返っていた。
そんなある日のこと、桃子の元を娘(田畑智子)が孫を連れてやってきた。
かねてから疎遠状態に陥っている娘は孫の塾の費用の名目で桃子に金をせびり、その言葉に桃子は以前に自分が“オレオレ詐欺”に引っかかった時のことを思い出した。


寸評
ビッグバンが起き宇宙ができて地球が誕生し、やがてその地球に生命が誕生し人類が生まれ、大勢の人が済む発展を遂げた人間社会の中に桃子さんは一人でいる。
二人の子供は結婚し、長男は遠くに住んでいて音信もなく桃子さんは居ないものと思うことにしており、長女は近くに住んでいて孫に会えるのを楽しみにしているが、訪ねてくれば借金のお願いだったりするので、老人にとっては実の子供たちもあてにならない存在となっている。
桃子さんは夫の周造に先立たれて一人暮らしなのだが、桃子さんと同じような年齢になってきた私の回りにもそのような家がやたらと目についてきたから他人事ではない。
明日は我が身で、桃子さんの話は私の話でもあるのだ。

桃子さんの脳は若かりし頃を思い出し、自らを慰め鼓舞する空想の妖精を誕生させる。
桃子さんがお世話になっている現実の世界の一つは町の病院で、そこは待つこと2時間、診察時間は5分という事が行われている。
先生は診察もせず「お変わりありませんか?なければお薬を出しておきましょう」と言うだけで、認知症の相談をすると大きな病院へ行けと指示するだけ。
診察をすれば「様子を見ましょう」との答えしか返ってこない老人医療現場が皮肉られる。
以前は親身になって家族状況まで把握して住民のことを気遣ってくれるベテランの町医者がいたものだが、今は若い先生ばかりで多くは患者よりもパソコンを見ている人の方が多いような気がする。

幼なかった時、若かった時、そして現在の桃子さんがどのシーンにも登場して、息子や娘だけのシーンはない。
この映画は桃子さん一人の映画なのだ。
桃子さんは周造が亡くなってからが自分が一番輝いている時だと言う。
それは愛していた周造からも自立して、彼との愛の代わりに自由を得たからである。
一人になってしまうと話し相手もいない淋しい日々を連想するが、しかし僕がそうなったとしたらそれからを自由を得た輝く日々の再来にしたいと思う。
脈々とした命が受け継がれてきて今の自分があることを忘れてはならない。
そうであればこそ無駄に生きてはならないのだ。
僕に残された時間はそう多くはないと思うが、一人で生きていくことになっても想い出を背負いながら前を向いて歩いていくぞと思った。

沖田修一らしい滑稽なシーンが散りばめられている。
退治したゴキブリが新聞紙にこびりついているといったクスッと笑うものから、クソ周造の歌を唄う場面のように大笑いしてしまうシーンまで多岐に渡っている。
桃子さんのダンスシーンも愉快であった。
エンドクレジットのあとで節分の豆まきで撒かれた一袋が残されていて、桃子さんが焼く目玉焼きの音がかすかに聞こえる。
桃子さんは今日もいつもと変わらぬ日を送っているということだろう。