おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

カツベン!

2023-09-25 06:32:02 | 映画
「カツベン!」 2019年 日本


監督 周防正行
出演 成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾 音尾琢真 徳井優
   田口浩正 正名僕蔵 成河 森田甘路 酒井美紀 草刈民代
   山本耕史 池松壮亮 竹中直人 渡辺えり 井上真央
   小日向文世 竹野内豊

ストーリー
時は大正、映画は“活動写真”と呼ばれており、まだ音はなかった。
弁士に憧れる少年・俊太郎と、女優に憧れる梅子は、活動写真の小屋に忍び込んで活動写真を鑑賞する。
俊太郎が盗んできたキャラメルを食べながら、2人は活動写真や活動弁士について楽しそうにお喋りを交わす。
それから10年の月日が流れ、染谷俊太郎(成田凌)は偽の活動弁士として泥棒一味の片棒を担がされていた。
安田(音尾琢真)率いる泥棒一味は、著名な活動弁士の名を語って活動写真を上映し、人を集めたその隙に家から物を盗んで逃げるという悪事を繰り返していた。
活動弁士が大好きな熱血刑事・木村(竹野内豊)に嘘を見破られて逃げる中で、俊太郎は泥棒一味からも逃げ出すことに成功するが、盗んだ大金をうっかり持ち逃げする形になってしまう。
行く当てのない俊太郎は、靑木館という小さな映画館に流れ着いた。
靑木館にはかつて名を馳せた弁士・山岡秋聲(永瀬正敏)がいたが、今は酒びたりで落ちぶれていた。
主に客を呼んでいるのはスター気取りで傲慢な弁士の茂木(高良健吾)で、館主の青木夫妻(竹中直人・渡辺えり)や職人気質で熱血の映写技師・浜本(成河)など、靑木館の人物は曲者ぞろいだった。
その頃、タチバナ館の社長・橘重蔵(小日向文世)と娘の琴江(井上真央)のもとには、安田の姿があった。
安田のボスは橘で、さらに琴江は茂木の引き抜きも画策していた。
ある日、俊太郎は代役として全盛期の山岡そっくりの喋りを披露して観客を沸かせる。
青木夫妻は客席の盛り上がりを見て大喜びするが、茂木は気に食わない。
期待の新人活動弁士として目立つ存在になった俊太郎は、安田に見つかってしまう。
さらに泥棒一味を追う木村刑事も登場し、俊太郎は、安田と木村刑事の両方から追われる羽目になる。
ある日、映画館の客席には女優の夢を叶えた梅子(黒島結菜)の姿があった。
2人は再会を喜ぶが、梅子は茂木とつながっており、彼には逆らえない事情を抱えていた。


寸評
僕が映画を見始めた頃はまだ白黒映画が主流だったがトーキーにはなっていた。
したがって、話には聞くものの活動弁士による上映を見たことがない。
回顧上映として活動弁士がいる無声映画の上映会なども開催されているが、僕はそちらへも参加したことがないので、活動弁士という人種にお目にかかったことがない。
この映画を見ると、活動弁士は監督であり、脚本家であり、役者でもあるようなことをやっていたのだなと分かる。
そもそも活動弁士という上映スタッフを有していたのは日本だけではないか?
無声映画を取り扱った洋画を何本か見ているが、そこに活動弁士の存在を見たことがない。

さて映画の方は、そもそも偽活動弁士である染谷俊太郎の活躍物語である。
弁士として俊太郎以外に、インテリ気取りの弁士や、俊太郎が憧れていた山岡秋聲、傲慢な弁士の茂木などが登場するが、当時の映画には人気弁士の存在が欠かせなかったことが分かる。
作品の出来もさることながら、弁士の優劣によって作品から受ける印象が随分変わったであろうことも推測できる。
また弁士目当てに来館する人もいたであろうし、映画スター以上に弁士は人気があったのだろう。
僕は活動弁士として徳川夢声の名前しか思い浮かばない。

冒頭で子供の頃の俊太郎と梅子のエピソードが描かれ、成人してから再びめぐり逢うラブロマンスでもあるのだが、そちらの要素をもう少し踏み込んで描いても良かったように思う。
全体としてはシリアスなドラマではなく、ドタバタ喜劇に近い描き方で肩がこらない。
チャップリンやバスター・キートンへのオマージュも感じられるし、過去の映画人への尊敬も見て取れる。
映写技師の浜本は切り取ったフィルムをコレクションしているが、映写室に入ったことのある者には(僕も映写室には入ったことがある)それが映写技師の性であることが容易に想像できる。
場内は禁煙ではなかったが、可燃性のフィルムを扱う映写室は当然禁煙だった。
当時の映写機が手動だったことは知らなかった。

俊太郎は山岡秋聲に憧れていて、子供のころからそれを真似ることで弁士の才が磨かれている。
それが幸いして青木館で弁士をやることになるが、青木館には座付きの弁士がいる。
当時の映画館にはそのような弁士が居たのだろうし、中には茂木のような嫌味な弁士も居たに違いない。
スター気取りに代表される思い上がりの態度見せる嫌われ者はどこの世界にもいる。
映画館の間では弁士の引き抜き合戦も行われているが、タチバナ館側の井上真央の描き方は中途半端で、彼女を含めて喜劇としてのパンチ力不足は否めない。

刑事の木村は「人生にも続編がある」と俊太郎を励ますが、刑期を終えた俊太郎に続編はあったのだろうか。
映画はこの後トーキーの時代に入っていき、多くの弁士がその職を失う時代が来るのだ。
その事を匂わすこともなく、映画は活動弁士華やかりし頃で終始している。
活動写真は弁士がいて楽団がいてという大層な娯楽だったのだろうが、どこか優雅な娯楽だったような気もする。
日本人は外から入ってきたものでも独自の文化に変えてしまうDNAを持ち合わせているのかもしれない。