「化石」 1975年 日本
監督 小林正樹
出演 佐分利信 岸恵子 小川真由美 栗原小巻 山本圭
佐藤オリエ 長谷川哲夫 早川純一 杉村春子 中谷一郎
井川比佐志 宇野重吉 宮口精二 小山源喜 神山繁
近藤洋介 滝田裕介 稲葉義男
ストーリー
一鬼建設社長の一鬼太治平(佐分利信)は、仕事一筋に生き、男手一つで育て上げた二人の娘(小川真由美、栗原小巻)を嫁がせ、生まれて初めて仕事を離れ社員の船津(井川比佐志)を連れて保養のためにヨーロッパへ旅立った。
ある日、パリでふと美貌の日本女性と出会ったが、話しかけることもなく通り過ぎた。
その女性が、ヨーロッパ支社のパーティの席上、マルセラン夫人(岸恵子)であることを知った。
一鬼は体の異変に気づき船津の勧めもあり、医者に診てもらった。
数日後、船津あてに、病院から診断の結果を知らせてきたが、一鬼は自分を船津だと偽って聞いた。
病名は癌で、あと一年しか生きられないと一鬼は慟哭する。
二、三日して落ち着きを取り戻した一鬼は、若い日本人の岸夫婦(山本圭、佐藤オリエ)に、パリ近郊のブルゴーニュ地方にあるロマンの寺の見物をすすめられた。
この見物には、意外な事に岸夫婦が親しくしているマルセラン夫人も一緒だった。
そして、一鬼が死を意識する度に喪服の同伴者が現われ、彼と内面の対話を交す。
やがて帰国した彼は、癌で一カ月後には死ぬという友人・須波(宮口精二)を見舞った。
その須波に一鬼は一年後の自分を見るような気がした。
久し振りに一鬼は義母(杉村春子)を訪ねるが病気の事は告げず、ふたたび仕事にうち込み始める。
だが、今度は、以前と違って常に死を意識しながらの生活である。
やがて、一鬼の体の異変に気づいた娘たちのすすめによって、手術を受けるが、思いがけなく成功してしまう。
既に死を覚悟していた一鬼にとって、ロマンの寺もパリの寺院も過去の全てが「化石」としての存在でしかなくなっていた……。
寸評
映画の半分はフランス、スペインを巡る旅番組かと思われるくらい登場人物は散策し旅をする。
今では海外旅行も珍しくもなくなったが、当時はやっと一般人の海外旅行が始まった頃ではなかったか。
僕は1977年にハネムーンでパリへ行く計画を練っていたが、僕の病気で国内旅行に切り替わってしまった。
パリの街も随分描かれるがエッフェル塔や凱旋門は語りの中でワンショット映されるだけで、どちらかと言えばマニアックなところを訪れている。
一鬼が岸夫婦と出かけるのもブルゴーニュで、パリの喧騒とは違う静かな村の景色を見ると僕も行ってみたいと思ったし、名前も知らなかったロマンの寺にも興味がわいた。
ナレーションで物語の状況が説明され、一鬼の心の内が語られるので、小説を読んでいるような雰囲気もある。
当初は憧れもあってパリの景色楽しんでいたが、途中から井川比佐志の演じる船津に神経が集中していった。
彼は一鬼社長の秘書なのだろうが、その忠誠ぶりと献身的な振舞いに社会人時代を思い起こしていた。
僕も会社の中では立場上社長とかかわることが多かった方である。
ワンマンであった社長と付き合うことを嫌っていた社員もいたが、僕は社長をそれほど毛嫌いはしていなかった。
それでも何か月も一緒に旅をしたなら、僕は船津ほどの振る舞いはきっとできなかっただろうと思う。
献身的ではあるが、ずけずけとものを言う船津が羨ましいと思う自分がいた。
旅先でガンを宣告されて戸惑い悩む一鬼の姿を描いているが、余命わずかという事に苦しむ単純な人間ドラマとしていないのは岸恵子の存在である。
マルセラン夫人として一鬼の憧れの女性として登場しながら、一方では死に神として登場しているのがいい。
平板な内容に変化を与えている。
死に神の岸恵子がいなければつまらない作品になっていたような気がする。
作品が平板だと感じる要因は、かなりのキャスティングをしているのに、それぞれに関して深く描いていないことにもあると思う。
二人の娘の描き方も僕は物足りなかった。
特に妹の栗原小巻に関しては、親子の感情が中途半端でフラストレーションがたまった。
後妻であった杉村春子を嫌って中学生の時に家を飛び出していた一鬼だが、年老いた義母を訪ねると認知症がみられるようになっている。
それでも義母は義理の息子に気遣いを見せて招き入れる。
若い時と違って歳をとってからの義母と義息の間に生じている感情は、それだけでもドラマが一つ出来そうなものであるが、この親子関係も単なるエピソードの一つに終わっていたように思う。
日本に帰った一鬼は入院中の須波や、戦友の矢吹辰平と会い、自分の死を益々考えるようになる。
残り少ない人生をどう生きるか。
ところが、一鬼は手術に成功して余命は随分延びることとなる。
途端にそれまでの純粋な生への思いに邪念が生じてくる。
人間はどれほど強欲な動物なのかと思う。
人としての生き方は死を前にした時にしか出来ないものなのだろうか。