おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

マラソンマン

2020-04-21 09:02:07 | 映画
「マラソンマン」 1976年 アメリカ


監督 ジョン・シュレシンジャー
出演 ダスティン・ホフマン
   ローレンス・オリヴィエ
   ロイ・シャイダー
   ウィリアム・ディヴェイン
   マルト・ケラー
   フリッツ・ウィーヴァー
   リチャード・ブライト

ストーリー
ニューヨーク。銀行の貸金庫より出た老人は、雑踏の中で小箱をある男に手渡し、直後交通事故死した。
この事故を近くでマラソン・トレーニング中のベーブ(ダスティン・ホフマン)は見ていた。
彼の崇拝者はあのアベベであったが、ランニング中の事故は不吉なめぐり合わせの始まりだった。
ベーブの兄ドク(ロイ・シャイダー)はアメリカ政府機関の男。
例の箱を売り込もうとしたが、常に命を狙われていた。
ウルグアイにいるナチの残党ゼル(ローレンス・オリヴィエ)は、老人の事故死を知るやニューヨークへ飛ぶ。
ある日ベーブは図書館でエルザ(マルト・ケラー)と知り合うが、公園でデート中に2人の男に襲われる。
ベーブがこの事件を手紙でドクに書いた数日後ドクが帰って来て、エルザを交えた3人が食事を共にしたところ、エルザがドイツ人と知りドクの態度が変った。
その夜ドクはゼルと会う。
彼はゼルの運び屋も兼ねていたのだが、弟に手を出すなと言った矢先、ゼルにナイフで刺された。
ベーブは自分の住む下宿にたどりつき息切れた兄に驚く。
さらに、入って来たドクの同僚ジェニウェイ(ウィリアム・ディヴェイン)に兄の正体を告げられて驚いた。
ベーブは公園で二人の男に誘拐され、地下室に連れこまれ、拷問をうけることになる。
銀行の貸金庫にゼル自身が宝石を受け取りに行っても安全かどうか、ベーブから聞き出そうとしたのだ。
手下のすきをつき日頃のマラソンの訓練を生かしやっとの思いで、脱出に成功したベーブは、エルザの協力の下、郊外の家に隠れるが、そこはゼルの兄の家だった。
エルザも一味の1人だったのだ。


寸評
冒頭でビキラ・アベベの姿が映し出される。
「マラソンマン」というタイトルでもあるし、スポーツ映画かと思わせる出だしであるが、しばらくして老人が銀行の貸金庫から取り出した小さな缶を雑踏の中で秘密裏に手渡しするので全く違うサスペンス作品だと知らされる。
その老人は別の老人と車の運転を巡って言い争いを始めるのだが、頑固だが動作が緩慢な老人同士のカーチェイスは映画的な興味を引く愉快さがある。
二人はユダヤ人とドイツ人で、お互いに「ナチスめ!」、「ユダヤ人め!」とののしり合いながら、タンクローリーにぶつかって死んでしまう。
老人二人のカーチェイスとののしり合いは面白いのだが、これが後々の伏線となっていた。

どうやら犯罪組織が係わっていそうなのだが、彼らが何者なのか、何を企んでいるのかが全く分からない。
ベーブはランニングを日課のようにしていて事故現場を遠目で見るが、彼もなかなか事件に絡んでこない。
エルザと親しくなったベーブがデート中に公園で襲われるが、犯人の目的がエルザらしい雰囲気で描かれてしまっているのは、種明かしがちょっと早すぎたような気がする。
半ばごろになってやっとベーブが事件に絡んでくる。
ここからの展開が面白く感じるのはゼルのローレンス・オリビエが存在感を見せてくるからだ。
ゼルは歯医者の立場を利用して、収容所に入れられたユダヤ人の金歯を盗って財を成した卑劣な奴だ。
そんな男なので、この犯罪集団はプロフェッショナルなすごい組織ではない。
冷酷非情な集団ではあるが金に目がくらんだセコイ連中に見えなくもない。
ゼルはダイヤを隠し持っているようなのだが、そのダイヤの価値も良く知らない男なのである。
その価格を知るためにユダヤ人街の宝石商を訪ねダイヤの値段を知る。
宝石商の店員がユダヤ人らしく、その手に収容所時代の刻印をされている。
またゼルが通りに出たところで、かつて収容所にいたと思われる老婆から悪人がいると叫ばれる。
ナチスから迫害を受けたユダヤ人の憎悪があふれてきて、犯罪そのものよりこの場面が一番迫力があった。

サスペンス映画として見た場合、この作品はいくつかの欠点を持っている。
一番はドクが刺されて瀕死の状態でベーブの所へやって来て何か言い残したようなのだが、それが後半に生かされず、ベーブが何も聞いていなかったような終わり方をしていることだ。
ベーブの父は赤狩りの中で無実の罪によって自殺しているのだが、ベーブは論文を通じてその父の無実を証明しようとしている。
学生と言うには少し歳をとりすぎているダスティン・ホフマンに大学生の設定を押し付けているのはそのためだったと思うのだが、結局そのことは全く関係なかった。
教室での教授とのやり取り、図書館でのエルザとの会話、兄との言い争いなどは何のためのものだったのかと思ってしまう。
マラソン練習が幸いして、追いかけられたシーンでは追手をその脚力で振り切るのかと思ったら追いつかれてしまっているしなあ・・・。
原作者自身が脚本を書いているので面白かったけれど、もう少し突っ込んだ描き方が欲しかったところである。