おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

マッシュ M★A★S★H

2020-04-09 10:39:24 | 映画
「マッシュ M★A★S★H」 1970年 アメリカ


監督 ロバート・アルトマン
出演 ドナルド・サザーランド
   エリオット・グールド
   トム・スケリット
   ロバート・デュヴァル
   サリー・ケラーマン
   ジョー・アン・フラッグ
   ゲイリー・バーゴフ

ストーリー
朝鮮戦争たけなわのころ。ここ第4077M★A★S★H(米陸軍移動野戦病院)に、ある日、ホークアイ、デューク、トラッパーたち3人の軍医が着任。
彼らは3人とも名医だったが、揃いも揃って、常軌を逸した型破りの曲者たちであった。
M★A★S★Hには、隊長のブレイク大佐のほかに、歯科医ワルドウスキー大尉、美人婦長ディッシュ、“レーダー”と呼ばれるオリーリー伍長がいた。
デュークはさっそくディッシュ婦長の尻を追いかけ始めたが、亭主もちの彼女は、彼をたくみにいなしていた。
セックスの猛者と評判のワルドウスキー大尉は、ある日、自分は潜在性のホモだと3人組に告げ、自殺したいと言い出したので、3人は、彼のために最後の晩餐会を開き、自殺できる薬といつわり、睡眠薬をのませた。
そしてディッシュ中尉に彼を看病させるのだった。
翌朝、転任地に向かう彼女の頬には、満足気な微笑が浮かび、ワルドウスキーは憂うつから開放されていた。
ディッシュの後任には、グラマーなホーリハン少佐が着任。
そうしたある日、トラッパーはバーンズ少佐の卑劣な行為に怒り、彼を殴ってしまったが、居合わせたホーリハンは、バーンズを助け、自分のテントにつれて行った。
そこで2人の仲は急速に深まり、かたぶつを装っていた2人は濃厚な抱擁をくりかえしたが、この様子は“レーダー”の隠しマイクを通じ部隊中に公開され、その日以来、ホーリハンは“熱い唇”とあだ名されてしまった。
ホークアイ、トラッパー、デュークの3人組は、“熱い唇”が生粋のブロンドか否かの賭けを催し、彼女がシャワーを浴びている最中にテントを捲きあげた・・・。


寸評
朝鮮戦争を舞台にしているが、制作された年度から考えるとベトナム戦争が頭にあることは明白だ。
僕はリアルタイムでこの作品を見ているのだが、実際この頃はベトナム戦争に対する批判映画や、戦争後遺症ともいえる作品が数多く撮られていた。
戦争に皮肉を込めたブラック・コメディ作品としては、僕の中では「まぼろしの市街戦」と双璧だ。
戦場を舞台としているが爆撃シーンや戦闘シーンは出てこない。
わずかに負傷した兵士をヘリコプターが運んでくるシーンがあるくらいで、大半は移動野戦病院での手術シーンと、腕は確かだがおバカなことばかりやってる軍医の行動が描かれている。
可愛そうなくらいに三人の攻撃対象になるのが看護婦長のホットリップス(熱い唇)である。
彼女の本名はホーリーハンと言うのだが、バーンズ少佐との情事の様子をスピーカーで流され、その時叫んだ言葉から半ばバカにしてホットリップスとしか呼ばれなくなったのである。
そのように呼ばれ、からかわれるのは彼女がオツにすましているからである。
そう、ここでは気取っている者や、権力を振りかざしている者が徹底的にからかわれているのだ。
彼女が本当に金髪かどうかを確かめるシーンは包括絶倒である。
犬までが鎮座して見学していて、すごく印象に残るシーンとなっている。
ここまでコケにされると、ホットリップスもさすがに泣き叫び三人の非道を訴えるが取り合ってもらえない。
金髪かどうかの賭け事や、フットボールの対抗試合などはいい加減無茶苦茶に描いておきながら、負傷兵の手術シーンとなると急にリアルになる。
しかもおバカなノリと、テントでしつらえられた手術室の緊迫感が同じウエイトで描かれている。
この対比のコントラストが、主人公たちが直面している過酷な戦場の現実をあぶりだしている。
手術シーンは、医療ドラマのような臓器を映し出して医療技術のトリビアを見せるのでなく、大量出血をしている傷口を見せるだけであとは手術器具だけが写り込むだけのものである。
それだからこそ、戦場における移動野戦病院としての緊迫感がなお一層出ていた。

歯医者のワルドウスキーが自殺願望をもち皆に見送られながらも、美人のディッシュ看護中尉に看病(?)してもらっただけで何もなかったように現場復帰を果たしているのは、主題歌の「自殺のすすめ」を具現化していたエピソードで、「自殺のすすめ」はテーマそのものでもある。
移動野戦病院は攻撃を受けるような場所にはないので、彼等はパーティに興じ、映画に興じることが出来るのだが、同じように攻撃を受けないアメリカ本土の人々も安全な中でパーティや映画に興じていただろうと想像する。
しかしその一方で、戦場に赴いた人間は次から次へと負傷し死亡しているのだというコントラストが強烈だ。

朝鮮戦争なんだけれど、やたらと日本が出てくる。
東京放送の変な歌だとか、主人公が小倉へ手術に出かけ芸者遊びのようなことをやるとか。
確かに朝鮮戦争には日本も物資供給でかかわっていたと思うが、日本をこれほど出した意図が僕には理解不能だった。
自由奔放に振舞ったホークアイだが、それでも戦場は楽しいところだとはならなくて帰国の喜びを出させたことで、やはり戦争はむなしいものなのだとの訴えが感じ取れた。