おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

マッドマックス 怒りのデス・ロード

2020-04-11 11:29:05 | 映画
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」 2015年 オーストラリア


監督 ジョージ・ミラー
出演 トム・ハーディ
   シャーリーズ・セロン
   ニコラス・ホルト
   ヒュー・キース=バーン
   ロージー・ハンティントン=ホワイトリー
   ライリー・キーオ
   ゾーイ・クラヴィッツ

ストーリー
核兵器による大量殺戮戦争勃発後、石油も水も尽きかけ生活環境が汚染された世界。
生存者達は物資と資源を武力で奪い合い、文明社会が壊滅していた。
流浪の途上で暴徒らの襲撃に遭い捕縛され、シタデルという砦に連行されたマックスは身体を拘束され、環境汚染からの疾病を患う住人に供血利用される。
そこではイモータン・ジョーを首領とした独自教義を持つ好戦的な集団の支配のもと、潤沢な地下水と農作物栽培を牛耳ることで成り立っている独裁社会が築かれていた。
ガスタウンへと向かう取引当日、ジョーの部隊を統率するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長は、ジョー一族が受胎出産させることを目的として監禁していた5人の妻であるスプレンディド、トースト、ケイパブル、ダグ、フラジールの身柄を秘密裏にウォー・リグに搭乗させ、フュリオサの出生地である「緑の地」に匿う逃亡計画を、3000ガロンのガソリン取引を隠れ蓑に東へと進路を変えて実行に移す。
部下の背任行為と、妻たちと、その胎内の我が子を奪われたと知ったジョーは配下の戦闘集団ウォーボーイズを引き連れ、友好関係にある人食い男爵と武器将軍の勢力を援軍に追走を開始する。
マックスはウォーボーイのニュークスの常備用「血液袋」として追尾車両に鎖で繋がれワイブス追走の争いに巻き込まれることになった。


寸評
ストーリーは有って無いようなもの。
全編を通じて描かれているのはすさまじいまでのカー・チェイスとバトル・アクションである。
ノンストップアクションは留まることがなく、フュリオサが乗る巨大な石油積載車「ウォー・タンク」をはじめ、ユニークな車や武器がテンコ盛りで楽しませてくれる。
長いさおの先につかまった戦士が、車から車に跳び移ったり、和太鼓や火を噴くエレキギターを演奏する人々が登場したりして、見ている僕は思わず「何じゃこりゃ?」と叫びたくなった。
何でもありのやりたい放題で、ここまで徹底してやられたら、それはそれで面白いのだから仕方がないと思わざるを得ない。
この手のアクション映画の最高峰かもしれない。
弱き者たちが無法な権力・暴力に対して一撃をくらわすという背景があるものの、最初から最後まで、トラックで荒野を爆走して逃げる、追いかけるだけというシンプルさが良い。
たったそれだけでドラマを作り、感動的な見せ場を撮りあげているのだが、これこそ娯楽映画の醍醐味というものであろう。

登場する人物たちの設定は滅茶苦茶である。
車の前にくくりつけられてギターを演奏する男などは一体何の意味があるのかと思わせるし、死ぬことが名誉と思っているような白塗りの軍団などは宗教団体を髣髴させる。
そのくせ、植物の種を大事に保管しているオバサン軍団なども登場してくるのである。
美人揃いの女性たちを「緑の地」へ脱出させようとしているフュリオサのシャーリーズ・セロンがその中でも群を抜く魅力を放っている。
古びたオイルを顔面に塗りたくって戦いを挑んでいるのだが、彼女は片腕を失っている。
180㎝近い長身の格闘戦には、女ながらに説得力があるのだ。
彼女の存在はマックスのトム・ハーディをしのいでいる。
トム・ハーディのアクション場面もいいけれど、シャーリーズ・セロンのアクション・シーンには及ばない。

イモータン・ジョーを首領とした集団は彼の独裁下にある。
彼が世界を支配しているのは水と石油を独占しているからである。
水を支配していることで農作物も独占している。
水の重要性を際立たせるために、バトル戦が繰り広げられるのは砂漠地帯の荒野である。
疾走するバイクや車にはガソリンが必要ということで、マックス達が運転しているのは3000ガロンのガソリンを積んだタンクローリーなのだが、未来の架空の車でないのがかえって迫力を増している。
水と石油を支配すれば世界を牛耳ることが出来るということで、水源を買いあさられている日本は大丈夫かと思ってしまう。
この作品はキネマ旬報のベストテンで1位に選出されて評価は高いのだが、僕はこの手の映画はあまり好きではない。
ただし思いっきり楽しめる映画であることは確かだ。