おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

鉄道員(ぽっぽや)

2020-04-03 13:47:45 | 映画
「鉄道員(ぽっぽや)」 1999年 日本


監督 降旗康男
出演 高倉健 大竹しのぶ 広末涼子
   吉岡秀隆 安藤政信 志村けん
   奈良岡朋子 田中好子 小林稔侍
   石橋蓮司 平田満 中原理恵
   板東英二 きたろう 

ストーリー
北海道の幌舞線の終着駅幌舞の駅長・佐藤乙松(高倉健)は、鉄道員一筋に人生を送ってきた男だ。
幼い一人娘を亡くした日も、愛する妻の静枝(大竹しのぶ)を亡くした日も、彼はずっと駅に立ち続けてきた。
だが、その幌舞線も今度の春で廃線になることが決まっていた。
さてその最後の正月、かつて乙松と共に機関車を走らせていた同僚で、今は美寄駅の駅長の杉浦(小林稔侍)が乙松を訪ねて幌舞駅へやってきた。
彼は、今年で定年になる乙松に一緒にリゾートホテルへの再就職を勧めにやってきたのだ。
しかし、鉄道員一筋の乙松はその申し出を受け入れようとしない。
やがて、終電が終わるとふたりは酒を酌み交わし、懐かしい想い出話に花を咲かせた。
数々の出来事が、乙松の脳裡に蘇っていく----。
一人娘の雪子の誕生と死、炭坑の町幌舞が賑わっていた頃のこと、機関士時代の苦労、愛妻・静枝の死。
そんな乙松の前に、ひとりの少女(山田さくや)が現れる。
どうやら、正月の帰省で都会からやってきた子供らしい。
乙松は、あどけない少女に優しく話しかけながら、その少女に雪子の面影を重ねていた。
その夜、昼間の少女が忘れていった人形を取りに来たと言って中学生の姉(谷口紗耶香)が駅舎を訪れた。
乙松は、彼女を歓待してやるが、彼女もまた人形を忘れて帰ってしまう。
その翌日、杉浦が美寄に帰った後に、またしてもふたりの少女の姉と名乗る高校生(広末涼子)がやってきた。
17歳の彼女は鉄道が好きらしく、乙松の話を聞いたりして楽しい時間を過ごした。
だが、実は彼女は17年前に死んだ乙松の子供・雪子だったのである。
彼女は、自分が成長する姿を乙松に見せに現れてくれたのだ。


寸評
木村大作のカメラがいいのか、冬の北海道の大自然が素晴らしいのか、スクリーンに映し出される映像は美しい。
雪の中をD51が走り、乙松夫婦の若かりし頃の写真が写り、「テネシーワルツ」が流れてくる。
僕はこのオープニングのシーンに「あれれ・・」と思った。
「テネシーワルツ」と言えば、歌声が僕の耳に残る江利チエミの代表曲ではないか。
江利チエミは紛れもなく主演である高倉健の元奥さんで、高倉健は江利チエミの命日には必ずお墓に線香をあげに行っていたというし、この作品のテーマ曲選定に高倉健の希望があったということ聞き及んで、尚更この作品への思い入れが高まった。
両人の間で授かった子供は病気のため中絶していた事実を知って再見すると、また違った思いが湧いてくる。

終着駅である幌舞駅から降り立った運転士から乙松の娘だった雪子へのお供えが届けられ、雪子が以前に当年才で亡くなっていることが観客に知らされる。
物語はそのことも含め、過去の出来事や思い出と現在とが交差する形で進んでいく。
前半は鉄道員として苦楽を共にしてきた杉浦仙次との思い出話に過去の出来事がかぶさってくるのだが、僕は乙さん、仙次と呼び合うふたりの関係を羨ましく思った。
ふたりは機関士としても共に働いた同僚であり、家族ぐるみの付き合いをし、お互いに信頼を寄せ、親身になり相手を本当に心配している。
そんな関係を築いた彼らの関係は微笑ましく、実に羨ましいものだった。
職場を通じてそんな関係の人を得れたということに対する、自分が成し得なかった無い物ねだりである。

回想シーンはセピア調の色彩で描かれるが、赤い色だけは鮮明に描かれ続ける。
それは亡き妻の象徴でもあり、やがて彼らの子供に引き継がれていることに気づかされる。
雪の白さと、駅長の黒いコートと共に、この赤は強烈な印象を残す。
乙松は「D51やC62が戦争に負けた日本を立ち上がらせ引っぱるんだって、それでおじちゃん、機関車乗りになった。そして、ぽっぽやを全うしようとしている、悔いはねぇ」と語るが、描かれた過去の時代は彼らの滅私奉公によって支えられていたのだ。
「死んだ子まで旗振って迎えるんだね」と妻に言われるほどの滅私奉公が日本の成長をもたらした時代でもあったのだと思う。
しかし、集団就職する若者への励ましの汽笛とか、落盤事故で孤児となった子供を育てるなどの人情も多分に残っていた時代でもあったのだろう。
小さなエピソードが涙を誘う。

幌舞線の廃線という厳しい現実が伝えられると、物語は逆にファンタジー性を高めていく。
登場する広末涼子が奇跡的なかわいさを見せるのだ。
しかし乙松は自分でも言うように、仕事に打ち込むあまり妻も娘も失って孤独に生きた男だ。
それでも娘の霊は「親孝行できなくてごめん」と深い愛情で父親を包み込む。
男の身勝手な願望だと言われてもしょうがないが、それでも男の僕はラストシーンに涙を誘われた。