おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

真昼の決闘

2020-04-15 08:56:35 | 映画
「真昼の決闘」 1952年 アメリカ


監督 フレッド・ジンネマン
出演 ゲイリー・クーパー
   グレイス・ケリー
   トーマス・ミッチェル
   ロイド・ブリッジス
   ケティ・フラド
   アイアン・マクドナルド
   ロン・チェイニー・Jr

ストーリー
1870年、西部のハドリーヴィルの町、ある日曜日の午前のことである。
この町の保安官ウィル・ケインは、事務所でモルモン教徒のエミイと結婚式を挙げていた。
彼は結婚と同時に保安官の職を辞し、他の町へ向かうことになっていた。
突然、そこへ電報が届き、ウィルが5年前に逮捕して送獄した無頼漢フランク・ミラーが、保釈されて正午到着の汽車でこの町に着くという知らせだった。
有罪にしたウィルや判事に復讐すべく、駅ではミラーの弟ベンが仲間の2人と、ミラーの到着を待っていた。
時計は10時40分、引き返してきたウィルは再び保安官のバッジを胸につけた。
エミイはウィルに責任はないと言って、共に町を去ろうと主張したが、彼は聞き入れなかった。
エミイはひとり正午の汽車で発つ決心をし、ホテルで汽車を待つ間にウィルのもとの恋人のメキシコ女ヘレン・ラミレスと会い、彼女も同じ汽車で町を去ることを知った。
一方、ウィルは無法者たちと戦うため、助勢を求めて、酒場や教会を訪れ、最後に2人の親友に頼み込むが、みんな尻ごみして力になってくれない。
彼は1人で立ち向かう決心をして遺言状を書きつづった。
時計が12時を指すと共に汽笛がきこえ、到着した列車からミラーが降り立ち、エミイとヘレンが乗った。
エミイは一発の銃声を聞くといたたまれず汽車から降り、町へ走った。
ウィルは2人を倒し、エミイの機転であとの2人も射殺した。
戦いが終わって町の人々が集まってくる中をウィルとエミイは黙ったまま馬車を駆って去って行った。


寸評
傑作西部劇の1本である。
ゲイリー・クーパーはヒーローに違いないが、西部劇によくある圧倒的強さを見せるヒーローではない。
むしろ恐怖におびえる側面も見せる普通の男である。
使いから戻った少年が目にしたのは孤立無援となって泣き崩れているケインの姿だ。
かれは必至で仲間を集めに回るが、皆は卑怯うりょく的だ。
法律だ、正義だと叫んでも、本当は何も考えていないのだという大衆の姿は、面倒なことにはかかわりたくないという現代人への皮肉でもある。
それでも次の保安官が着任するまではその責務を果たそうとするゲイリー・クーパーの姿はアメリカ人が好みそうなヒーロー像だ。

ケインを取り巻く色んな人々が登場するが、登場人物それぞれの思惑が入り乱れるのは、西部劇を超えた人間ドラマの様相を呈していてこの作品を面白くしている。
有罪判決を下した判事は殺されては判事を続けられないと逃げ出してしまう。
正義感にとんだ協力者が現れるが、協力するのが自分一人と知ってしり込みしてしまう。
ケインに協力しようという者も居れば、これはケインとミラーの個人の問題で我々は関係ないと主張する者もいる。
ケインの理解者であった者も、ケインがこの町を出ていってくれれば問題は起きないと言い出す。
牧師は教会で結婚式をあげなかったケインを批判し、意見を求められると「人を殺しに行けとも言えないし、殺されに行けとも言えない」と宗教家らしいどっちつかずの意見を述べる。
悪人ミラーがいた時の方が儲かっていて、ケインをよく思っていない人だっているんだと言う店主もいる。
酒場ではここにはミラーの友人もいるんだと言われたりする。
主人公が助けを求めながら孤立無縁となる筋立ては、ヒーロー像を否定しているようだが、かえって普通の男がヒーローになる構図を際立たせている。

劇中時間と実上映時間をシンクロさせた事は、作品を貫くリアリズムに貢献している。
公開時においては、その実験的発想が勝利を得たと思われるが、この手法はこれ以後の作品でも時々見受けられるようになって珍しいものではなくなった。
フレッド・ジンネマンの世界が西部劇を西部劇以上に昇華させている。
「ハイ・ヌーン」のメロディと歌声がしょっちゅう流れるが、ケインのエミィへの気持ちと切羽詰まった気持ちを表す歌詞もいいが、何といってもそのメロディは耳に焼き付くもので哀愁がある。
だんだんと高まってくる緊迫感は、何も起こっているわけではないのに手に汗握らせる。
決闘と言ってもケインは身を隠しながら応戦するというものなのもリアル感がある。
その中で、モルモン教徒で極度に殺人を嫌うグレース・ケリーが相手の一人を射殺するシーンが衝撃的で、この映画の見どころの一つだ。
グレース・ケリーはその後、モナコ王妃となって映画界を引退するが、優雅さをもった古典的美人で、今は存在しないと思われるタイプの雰囲気を持ったスターである。
ゲイリー・クーパーとっても代表作の一本になっていると思う。