「未知との遭遇」 1977年 アメリカ
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 リチャード・ドレイファス
フランソワ・トリュフォー
テリー・ガー
メリンダ・ディロン
ボブ・バラバン
ケリー・ギャフィ
ストーリー
砂漠。砂塵の中に第二次世界大戦に使われたらしい戦闘機の姿がみえる。
それは、真新しく、20数年前の消失当時と同じ姿だ。
調査団一行のリーダー、ラコームにより、発見の様子が語られる。
又、インディアナポリスの交信コントロール・センターのスクリーンに未確認飛行物体の姿が写し出され、TWA機より、不思議な物体を見たという連絡が入る。
同じ頃、インディアナ州のある人里離れた一軒家では、バリーという少年が周囲の物が震動するので目をさまし、何物かに引かれるように家をとびだしていき、母親ジリアンは彼のあとを追っていた。
そして、一方、同じ町に住む電気技師ロイは、この一帯の停電を調べるため車を走らせていた。
そこへ恐ろしい光が……。ロイは、この光を追い、バリーやジリアンに出会う。
やがて、ロイは怪光に夢中となり、会社もクビとなり、妻ロニーと子供達にまで逃げられる。
またラコーム達は、UFOとのコミュニケーションの可能性を見い出す。
ジリアンは失踪したバリーをさがし、一方ロイはこの異常なミステリーの原因を解こうとした。
そして、ロイのイメージは『山』にひっかかり、その山の模型を作るようになる。
ジリアンもイメージの山の絵を描いたが、それはワイオミング州にあるデビルズ・タワーであった。
そして今、その山は、毒ガス発生のため付近の住民に避難命令が下されていた。
寸評
原題の「Close Encounters of the Third Kind」を直訳すれば三種の閉じられた出会いという事になるのだろうが、日本語では第三種接近遭遇という何だかよくわからない言葉で訳されている。
調べてみると、第一種とは未確認飛行物体を至近距離で目撃した場合を言い、第二種とは未確認飛行物体がその周囲に何らかの物理的な影響を及ぼした場合で、そして第三種は未確認飛行物体の乗組員と接触した場合と分類されているらしい。
原題通り映画では主人公たちが俗にいう宇宙人と接触する様子が描かれるが、彼等の乗り物であるマザーシップが登場してからは迫力十分である。
映画は第一種から第二種に移り、そして第三種を迎えるというプロセスが興味深く描かれていく。
映画では三人の重要な登場人物がいる。
一人は宇宙人が放った光に取り付かれて頭に残った山の模型を作る続ける電気技師のロイだ。
今一人がフランス人UFO研究家ラコーム博士で、これをフランソワ・トリュフォー監督が演じている。
僕が彼の姿をこれだけ長く見るのは1970年の大阪万博におけるフェスティバルホールでの上映会でゲストだった彼を見て以来だ(トリュフォーはピエール・カルダンと共に僕の席の斜め前にいた)。
この映画における彼の存在は子供だましになりがちな作品を上質なものに押し上げている。
三人目が少年バリーだ。
未知の生命体と初めて接触し誘拐されるという難しい演技が要求される役だが、しかし演技を要求するにしてはバリー少年は幼すぎる年齢である。
しかしバリー少年はスクリーン上で見事に未知の生命体に驚き、怯え、笑い、そして涙している。
映画の魔術だ。
彼の演技を引き出すためにカメラに映らない場所でスタッフが涙ぐましい努力を行っていたことが伝えられているが、さもありなんと思う。
ラストシーンで主人公のロイは、妻も子供たちも、心の通じ合うジリアンも眼中になく、憑かれたようにマザーシップに乗って自分の夢をかなえるために宇宙へと旅立っていく。
彼は地球人の心をなくしてしまっていたのだろうか。
ためらうことなく宇宙船に乗り込むが、地球を家族をジリアンを捨てることにまったく躊躇しなかったのか。
宇宙人の子供たちに選ばれたとはいえ、ロイは悩むと言う人間的な心を失っていたような描き方だ。
とは言え、音楽で意思疎通を行うという発想から会話を極力抑えて地球人と宇宙人が交信するシーンは感動的。
過去に行方不明となっていた戦闘機や船が思いもかけぬ場所で当時のまま発見されるというエピソードが伏線となっているのもいいし、正義の地球人が宇宙人や宇宙生物の悪と戦うというドンパチ物にはない、大人が楽しめるSF映画となっていて、そのクオリティは高いものがある。
ここでの宇宙人の姿は「E.T.」に引き継がれている。
そりゃそうで、ここで人形を作ったのがカルロ・ランバルディという人で、彼は「E.T.」も手掛けている。
スピルバーグのSFとして、僕は「E.T.」よりもこの「未知との遭遇」の方がしっくりくる。
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 リチャード・ドレイファス
フランソワ・トリュフォー
テリー・ガー
メリンダ・ディロン
ボブ・バラバン
ケリー・ギャフィ
ストーリー
砂漠。砂塵の中に第二次世界大戦に使われたらしい戦闘機の姿がみえる。
それは、真新しく、20数年前の消失当時と同じ姿だ。
調査団一行のリーダー、ラコームにより、発見の様子が語られる。
又、インディアナポリスの交信コントロール・センターのスクリーンに未確認飛行物体の姿が写し出され、TWA機より、不思議な物体を見たという連絡が入る。
同じ頃、インディアナ州のある人里離れた一軒家では、バリーという少年が周囲の物が震動するので目をさまし、何物かに引かれるように家をとびだしていき、母親ジリアンは彼のあとを追っていた。
そして、一方、同じ町に住む電気技師ロイは、この一帯の停電を調べるため車を走らせていた。
そこへ恐ろしい光が……。ロイは、この光を追い、バリーやジリアンに出会う。
やがて、ロイは怪光に夢中となり、会社もクビとなり、妻ロニーと子供達にまで逃げられる。
またラコーム達は、UFOとのコミュニケーションの可能性を見い出す。
ジリアンは失踪したバリーをさがし、一方ロイはこの異常なミステリーの原因を解こうとした。
そして、ロイのイメージは『山』にひっかかり、その山の模型を作るようになる。
ジリアンもイメージの山の絵を描いたが、それはワイオミング州にあるデビルズ・タワーであった。
そして今、その山は、毒ガス発生のため付近の住民に避難命令が下されていた。
寸評
原題の「Close Encounters of the Third Kind」を直訳すれば三種の閉じられた出会いという事になるのだろうが、日本語では第三種接近遭遇という何だかよくわからない言葉で訳されている。
調べてみると、第一種とは未確認飛行物体を至近距離で目撃した場合を言い、第二種とは未確認飛行物体がその周囲に何らかの物理的な影響を及ぼした場合で、そして第三種は未確認飛行物体の乗組員と接触した場合と分類されているらしい。
原題通り映画では主人公たちが俗にいう宇宙人と接触する様子が描かれるが、彼等の乗り物であるマザーシップが登場してからは迫力十分である。
映画は第一種から第二種に移り、そして第三種を迎えるというプロセスが興味深く描かれていく。
映画では三人の重要な登場人物がいる。
一人は宇宙人が放った光に取り付かれて頭に残った山の模型を作る続ける電気技師のロイだ。
今一人がフランス人UFO研究家ラコーム博士で、これをフランソワ・トリュフォー監督が演じている。
僕が彼の姿をこれだけ長く見るのは1970年の大阪万博におけるフェスティバルホールでの上映会でゲストだった彼を見て以来だ(トリュフォーはピエール・カルダンと共に僕の席の斜め前にいた)。
この映画における彼の存在は子供だましになりがちな作品を上質なものに押し上げている。
三人目が少年バリーだ。
未知の生命体と初めて接触し誘拐されるという難しい演技が要求される役だが、しかし演技を要求するにしてはバリー少年は幼すぎる年齢である。
しかしバリー少年はスクリーン上で見事に未知の生命体に驚き、怯え、笑い、そして涙している。
映画の魔術だ。
彼の演技を引き出すためにカメラに映らない場所でスタッフが涙ぐましい努力を行っていたことが伝えられているが、さもありなんと思う。
ラストシーンで主人公のロイは、妻も子供たちも、心の通じ合うジリアンも眼中になく、憑かれたようにマザーシップに乗って自分の夢をかなえるために宇宙へと旅立っていく。
彼は地球人の心をなくしてしまっていたのだろうか。
ためらうことなく宇宙船に乗り込むが、地球を家族をジリアンを捨てることにまったく躊躇しなかったのか。
宇宙人の子供たちに選ばれたとはいえ、ロイは悩むと言う人間的な心を失っていたような描き方だ。
とは言え、音楽で意思疎通を行うという発想から会話を極力抑えて地球人と宇宙人が交信するシーンは感動的。
過去に行方不明となっていた戦闘機や船が思いもかけぬ場所で当時のまま発見されるというエピソードが伏線となっているのもいいし、正義の地球人が宇宙人や宇宙生物の悪と戦うというドンパチ物にはない、大人が楽しめるSF映画となっていて、そのクオリティは高いものがある。
ここでの宇宙人の姿は「E.T.」に引き継がれている。
そりゃそうで、ここで人形を作ったのがカルロ・ランバルディという人で、彼は「E.T.」も手掛けている。
スピルバーグのSFとして、僕は「E.T.」よりもこの「未知との遭遇」の方がしっくりくる。