いよいよ「ま」です。
「麻雀放浪記」 1984年 日本
監督 和田誠
出演 真田広之 大竹しのぶ 加賀まりこ
鹿賀丈史 高品格 加藤健一
加藤健一 内藤陳 篠原勝之
名古屋章 城春樹 天本英世
ストーリー
敗戦直後の上野。哲(真田広之)は終戦後も学校へは戻らずブラブラしていたが、ある日、勤労動員の工場で働いていた時にバクチを教えてくれた上州虎(名古屋章)と偶然会った。
そして、虎に連れられてチンチロ集落に足を踏み入れる。
なけなしの金しかない哲は、プロのバクチ打ちであるドサ健(鹿賀丈史)の張りにノッた。
ドサ健のおかげで相当な勝金を得ることができた哲だか、その大半をコーチ料としてドサ健にとられてしまったが、そんなドサ健に哲は強烈な対抗心と同時に奇妙な友情を抱く。
数日後、二人はアメリカ兵相手の秘密カジノ「オックス・クラブ」へ乗り込んだ。
しかし、ドサ健は勝つだけ勝つと、哲が金を持っていないのを承知で帰ってしまい、哲は負け金が払えずアメリカ兵に打ちのめされてしまう。
哲を介抱してくれたのはカジノのママ(加賀まりこ)だったが、その夜、哲はママに抱かれ、初めて女を知った。
翌日からママのもとで本格的な麻雀修業が始まり、それにつれてママへの思慕も深くなっていった。
ある日、哲は魔術師的なプロの出目徳(高品格)に出会う。
この徳から哲は“二の二の天和”というコンビ技を仕込まれ、いよいよドサ健と対決することになる。
その頃ドサ健は、情婦のまゆみ(大竹しのぶ)の家を雀荘にして大層な羽振りだった。
哲と出目徳、そしてドサ健一派との対決は、哲たちの圧勝に終わった。
ドサ健は持ち金全部では足りず、まゆみの家の権利書まで手離すほどだった。
ドサ健は再度の対決を期し、タネ銭を得るため、まゆみを吉原に売ることにするが、ゼゲンの達(加藤健一)のおかげでまゆみは女郎にならずにすみ、そして再び対決の日が来た・・・。
寸評
僕の身近にギャンブルで財産を失くした人がいる。
権利証が行ったり来たりせず、一方通行で何億もの資産を失くしてしまった。
ギャンブルで身を持ち崩すのは馬鹿げているのだが、映画世界で描かれるギャンブラーが持つ生死の境目を渡り歩く姿の緊張感は絶好の題材である。
「麻雀放浪記」は麻雀映画の最高峰で、イラストレータの和田誠が驚くほどの完成度で撮りあげている。
僕の学生時代には、大学の周囲に何軒もの雀荘があった。
雀荘はいつも学生であふれかえっていたが、当時麻雀はそれほど身近な娯楽だった。
最近は文教地区指定などもあって学生街で雀荘はあまり見かけない。
それどころか、街中に数多くあった雀荘も少なくなってきた。
4人集まらないと遊べないゲームが煩わしくなってきたのだろうか。
一人で遊べるパソコンの麻雀ゲームは結構人気があるとのことだから、たぶんそうなんだろう。
麻雀自体に懐かしさを覚えることもあるが、モノトーンの画面がそれ以上の郷愁を感じさせる。
戦後の荒れ果てた風景も、彼等の淋しい心の内を表しているようだった。
有り金すべてをかけて戦う姿、イカサマを仕込んでも勝ちにかかる様子なども面白いが、男と女のいびつな愛情表現も見るものを引き付けるのである。
「死んだお袋とこの女には迷惑かけたってかまわねえんだ」というドサ健の言葉は、スゴイ愛情表現だ。
ドサ健は借金のために女を売り飛ばしてしまうような男なのだが、大勝負で勝ったところで「まゆみ!身請けしてやったぞ!」と叫ぶ時の痛快さがたまらない。
結局、ドサ健は取られていた家の権利証も取り返す。
このドサ健を始め、絶対的なヒーローがいないのがいい。
ドサ健の鹿賀丈史もいいが、もっといいのが出目徳の高品格だ。
出目徳は注射を打ちながら勝負を続け、最後に九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を完成したところで死んでしまうのだが、九蓮宝燈は上がれば死ぬと言われる幻の役である。
普通の人ではない彼等は、死んだ出目徳の現金はもとより、金目のものを身ぐるみ剥いでしまい、ゴロゴロところがして水たまりに放り込んでしまうのだが、彼等にしてみれば、それが出目徳への供養なのだ。
彼等の中にある狂気というか、麻雀に憑かれた人たちの地獄を見事に描いていたシーンだ。
ギャンブラーたちは魅力的だったが、登場する女たちも添え物ではなく光り輝いていた。
女はまゆみとママなのだが、バクチで生きる男の物語の中で彼女達がちゃんと命を与えられていた。
大竹しのぶのまゆみは男から見れば理想的な女なのだが、彼女は売られてしまう。
それでもドサ健から離れられないのだが、まゆみによれば「アンタが私に惚れているから」だと言う。
加賀まりこのママは真田広之の哲に思われるが、男の囲い者で若すぎる哲の前から突如姿を消してしまう。
それぞれの女が見せる男への愛情表現が、男の観客である僕の心をくすぐる。
上州虎を引き入れて再び勝負に向かうラストは、ギャンブルで身を持ち崩してしまう悲劇を感じさせたなあ。
「麻雀放浪記」 1984年 日本
監督 和田誠
出演 真田広之 大竹しのぶ 加賀まりこ
鹿賀丈史 高品格 加藤健一
加藤健一 内藤陳 篠原勝之
名古屋章 城春樹 天本英世
ストーリー
敗戦直後の上野。哲(真田広之)は終戦後も学校へは戻らずブラブラしていたが、ある日、勤労動員の工場で働いていた時にバクチを教えてくれた上州虎(名古屋章)と偶然会った。
そして、虎に連れられてチンチロ集落に足を踏み入れる。
なけなしの金しかない哲は、プロのバクチ打ちであるドサ健(鹿賀丈史)の張りにノッた。
ドサ健のおかげで相当な勝金を得ることができた哲だか、その大半をコーチ料としてドサ健にとられてしまったが、そんなドサ健に哲は強烈な対抗心と同時に奇妙な友情を抱く。
数日後、二人はアメリカ兵相手の秘密カジノ「オックス・クラブ」へ乗り込んだ。
しかし、ドサ健は勝つだけ勝つと、哲が金を持っていないのを承知で帰ってしまい、哲は負け金が払えずアメリカ兵に打ちのめされてしまう。
哲を介抱してくれたのはカジノのママ(加賀まりこ)だったが、その夜、哲はママに抱かれ、初めて女を知った。
翌日からママのもとで本格的な麻雀修業が始まり、それにつれてママへの思慕も深くなっていった。
ある日、哲は魔術師的なプロの出目徳(高品格)に出会う。
この徳から哲は“二の二の天和”というコンビ技を仕込まれ、いよいよドサ健と対決することになる。
その頃ドサ健は、情婦のまゆみ(大竹しのぶ)の家を雀荘にして大層な羽振りだった。
哲と出目徳、そしてドサ健一派との対決は、哲たちの圧勝に終わった。
ドサ健は持ち金全部では足りず、まゆみの家の権利書まで手離すほどだった。
ドサ健は再度の対決を期し、タネ銭を得るため、まゆみを吉原に売ることにするが、ゼゲンの達(加藤健一)のおかげでまゆみは女郎にならずにすみ、そして再び対決の日が来た・・・。
寸評
僕の身近にギャンブルで財産を失くした人がいる。
権利証が行ったり来たりせず、一方通行で何億もの資産を失くしてしまった。
ギャンブルで身を持ち崩すのは馬鹿げているのだが、映画世界で描かれるギャンブラーが持つ生死の境目を渡り歩く姿の緊張感は絶好の題材である。
「麻雀放浪記」は麻雀映画の最高峰で、イラストレータの和田誠が驚くほどの完成度で撮りあげている。
僕の学生時代には、大学の周囲に何軒もの雀荘があった。
雀荘はいつも学生であふれかえっていたが、当時麻雀はそれほど身近な娯楽だった。
最近は文教地区指定などもあって学生街で雀荘はあまり見かけない。
それどころか、街中に数多くあった雀荘も少なくなってきた。
4人集まらないと遊べないゲームが煩わしくなってきたのだろうか。
一人で遊べるパソコンの麻雀ゲームは結構人気があるとのことだから、たぶんそうなんだろう。
麻雀自体に懐かしさを覚えることもあるが、モノトーンの画面がそれ以上の郷愁を感じさせる。
戦後の荒れ果てた風景も、彼等の淋しい心の内を表しているようだった。
有り金すべてをかけて戦う姿、イカサマを仕込んでも勝ちにかかる様子なども面白いが、男と女のいびつな愛情表現も見るものを引き付けるのである。
「死んだお袋とこの女には迷惑かけたってかまわねえんだ」というドサ健の言葉は、スゴイ愛情表現だ。
ドサ健は借金のために女を売り飛ばしてしまうような男なのだが、大勝負で勝ったところで「まゆみ!身請けしてやったぞ!」と叫ぶ時の痛快さがたまらない。
結局、ドサ健は取られていた家の権利証も取り返す。
このドサ健を始め、絶対的なヒーローがいないのがいい。
ドサ健の鹿賀丈史もいいが、もっといいのが出目徳の高品格だ。
出目徳は注射を打ちながら勝負を続け、最後に九蓮宝燈(チューレンポウトウ)を完成したところで死んでしまうのだが、九蓮宝燈は上がれば死ぬと言われる幻の役である。
普通の人ではない彼等は、死んだ出目徳の現金はもとより、金目のものを身ぐるみ剥いでしまい、ゴロゴロところがして水たまりに放り込んでしまうのだが、彼等にしてみれば、それが出目徳への供養なのだ。
彼等の中にある狂気というか、麻雀に憑かれた人たちの地獄を見事に描いていたシーンだ。
ギャンブラーたちは魅力的だったが、登場する女たちも添え物ではなく光り輝いていた。
女はまゆみとママなのだが、バクチで生きる男の物語の中で彼女達がちゃんと命を与えられていた。
大竹しのぶのまゆみは男から見れば理想的な女なのだが、彼女は売られてしまう。
それでもドサ健から離れられないのだが、まゆみによれば「アンタが私に惚れているから」だと言う。
加賀まりこのママは真田広之の哲に思われるが、男の囲い者で若すぎる哲の前から突如姿を消してしまう。
それぞれの女が見せる男への愛情表現が、男の観客である僕の心をくすぐる。
上州虎を引き入れて再び勝負に向かうラストは、ギャンブルで身を持ち崩してしまう悲劇を感じさせたなあ。