おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ダーティハリー

2019-09-28 10:39:20 | 映画
「た」の行に入ります。

「ダーティハリー」 1971年 アメリカ


監督 ドン・シーゲル
出演 クリント・イーストウッド
   ハリー・ガーディノ
   アンディ・ロビンソン
   ジョン・ヴァーノン
   レニ・サントーニ
   ジョン・ラーチ
   ジョン・ミッチャム
   アルバート・ポップウェル
   ジョセフ・ソマー
   メエ・マーサー
   リン・エジングトン

ストーリー
ビルの屋上からプールサイドの女が銃撃され、犯人からの脅迫の手紙がサンフランシスコ警察に届いた。
10万ドルの要求に応じなければ、次の犠牲者を同じ手口で殺す、狙うのは牧師か黒人だ、とあり“サソリ座の男”とサインされてあった。
シスコ市警殺人課のハリー・キャラハンは、少し前に強盗との銃撃戦で脚に重傷を負っていたが、事件を知ると、上司のブレスラーや市長らの意向を無視して、犯人追跡に向かった。
ハリーの意志に反して付けられた相棒のチコは快活な青年で、反抗的なハリーをいぶかしく思ったりした。
第2の犠牲者に屋上から照準を合わせている犯人を警察のヘリコプターが発見したが取り逃がし、ハリーとチコも犯人らしい男を尾行したが、逆に町の与太者たちに袋だたきにあってしまった。
再び犠牲者が出た。“サソリ座の男”の予言どおり黒人であった。
再び警察に「14歳の少女を誘拐して生き埋めにし、少量の酸素を送り込んでいる。すぐ20万ドルの身代金をよこさないと殺す」という脅迫状が舞い込んだ。
ハリーは20万ドルを持って、犯人の指定したマリーナへ急ぎ、ひそかにチコを背後につけさせた。
突然、毛糸のマスクをした犯人から声をかけられたハリーは、銃を奪われ、いきなり脳天を一撃され、更に蹴りあげられて、殺されそうになった。
草むらから飛び出したチコはピストルを乱射してハリーを助けたが、犯人との銃撃戦で負傷した。
しかしハリーの飛びだしナイフは犯人の太ももを傷つけ、必死に逃げる犯人をケザー・スタジアムで捕らえたハリーは、犯人に拷問をかけたのだが、これが思いがけなくハリーを窮地に追い込んだ。
傷を負っている男をきびしく拷問したとして地方検事から告発されてしまったのである。
更に、すぐに釈放された犯人の狂言でハリーは訴えられ、遂に市長とブレスラーから謹慎を命じられた。


寸評
犯人逮捕の能力は抜群にあるのだが、そのための捜査方法が逸脱していて上司からは疎まれているハミダシ刑事と言う設定は、刑事を主人公にした作品ではよくあるものだが、本作はその中でも筆頭の部類に入る作品だし、この手の映画の先鞭をつけたと言える作品だ。

主人公ハリー・キャラハンの有能ぶりを示すのは単刀直入だ。
銀行の前に停車している車を見て銀行強盗を直観し、出てきた犯人に悠然と発砲し取り押さえる。
負傷した犯人の一人が手元近くにある銃を取ろうとしているのに向かって、銃を突きつけたまま弾倉中にもう一発の弾丸が残っているかを当てさせる。
「考えているな?6発撃ったか、5発だったか?俺にもわからない」
「賭けてみるか、“今日はツイてるか?”」
諦めた犯人が「教えてくれ」と言い、キャラハンが引き金を引くと弾は撃ち尽くしていたと言うものである。
このやり取りはラストシーンでも使われていて、オープニングのそれが伏線となっている。

日本でも殺された被害者の人権よりも、生きている犯人の人権が守られたりして憤りを覚えることが度々発生しているが、本作はまさにその典型ともいえる内容である。
キャラハンは少女を誘拐している犯人を追い詰め、無抵抗となった犯人の足を撃ち抜く。
少女の監禁場所を自白させるためであり、拒否する犯人の傷口を踏みつけるという荒手で自白に成功する。
しかし少女はすでに殺されており、さらに捜査令状なしに犯人の住居に踏み込んだので、そこで押収した証拠物件は法律上証拠とならないと言われてしまう。
条痕が一致した凶器が押収されているにもかかわらずである。
犯人が要求した医者や弁護士を呼ばなかったことも人権無視だと指摘を受ける。
それでは殺された少女の人権は誰が代弁するのだ!
僕は人権派を自認する弁護士さんたちに問いたい。
一体、一番守られるべき人権は誰の人権だったのかと。
そんな事件を目にしたなら、日本にハリー・キャラハンが存在してさえおればと思ってしまう。

兎に角クリント・イーストウッドのハリー・キャラハンがカッコいい。
スクール・バスを待ち受けて跨道橋の上にすっくと立っている姿に拍手喝采だ。
キャラハン刑事をヒーローにしているのは、犯人のスコルピオを演じたアンディ・ロビンソンが迫真の演技で見事に狂気に満ちた犯人役を演じ切っているからである。
かれの特異な風貌と本作での熱演が災いし、その後似た様な役しかつかなかったと聞くがさもありなんである。
この作品はダーティー・ヒーローものの典型と見られているし、イーストウッドもこの作品でスターの地位を確立し、彼の最大の当たり役となった。
僕たちの世代の者にとって「ダーティハリー」は間違いなくノスタルジーを掻き起こされる作品で、我が道を行くはみ出し刑事物のバイブル的作品なのだ。
バッジを投げ捨てるシーンも非常に懐かしさを覚える。