おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

関の彌太ッペ

2019-09-03 08:25:58 | 映画
「関の彌太ッペ」 1963年 日本


監督 山下耕作
出演 中村錦之助 木村功 十朱幸代
   上木三津子 大坂志郎 武内亨
   夏川静江 鳳八千代 遠藤辰雄
   月形龍之介 岩崎加根子 安部徹

ストーリー
常陸の国結城在、関本に生れた、若くていなせな弥太ッぺは、十年前両親に死に別れ、祭りの晩にはぐれた当時八つの妹お糸を探して旅を続けていた。
途中、甲州街道吉野の宿で、旅の娘お小夜が溺れかかっているのを救ったが、お糸のためにと肌み離さず持っていた五十両の大金を、お小夜の父和吉にすり盗られた。
がその和吉も箱田の森介にきられ、お小夜を旅篭“沢井屋”に届けてくれと頼みながら息をひきとった。
沢井屋の女主人お金は、緑のない子供と拒絶したが、13年前誘拐された娘の落し子と知って驚喜した。
それから十年弥太ッぺは、お糸の病死を賭博仲間の才兵衛から知らされ、すさんだ生活に身をおとし、飯岡の助五郎一家の客人となっていた。
笹川の繁蔵一家との喧嘩に加わった弥太ッぺは五十両が縁で兄弟分の契を結んだ森介の姿をみつけた。
一緒に大綱楼にくりこんだ弥太ッぺに、才兵衛は、お小夜の恩人を探してくれるよう依頼されたと話した。
しかし弥太ッぺは黙秘し森介と別れたのだが、吉野宿の祭礼でお小夜らしい娘を見つけてハッとした。
沢井屋の裏手で、夕闇の中にお小夜の姿を認めて身じろぎもできない、純心な弥太ッぺなのだ。
才兵衛から話を聞いた森介は、お金の前に自分がお小夜の恩人だと名のり出て、お小夜を嫁にときり出した。
恩人と信じこむお金も、あまりのたけだけしい森介に当惑する毎日だった。
腕ずくでもと血迷う森介の噂を聞いてかけつけた弥太ッぺは、宝物のように大切にしてきたお小夜のために、兄弟分の縁を切って森介を斬り捨てた。
そして森介が詐し取った四五両の金を返す弥太ッぺをじっとみつめるお小夜の脳裏に、十年前の弥太ッぺの面影がよみがえって来た。
“待って下さい”と追いすがるお小夜をあとに、かねて約束の助五郎一家との果し合いをせかせる、暮六つの鐘の音が鳴り響いた。


寸評
股旅ものというジャンルがあるとすれば、本作は間違いなくその中の傑作のひとつに数え上げられるべき作品だ。
所々でとらえられるショットが素晴らしい。
例えば関の弥太郎(中村錦之助)が女郎となっている妹を訪ねて、その死亡を女郎仲間のお由良(岩崎加根子)から聞かされるシーンだ。
薄暗い小部屋をとらえた画面の左半分で二人が悲しげに話し込んでいる。
右半分は女郎屋らしい建具がぼかし気味に映り込んでいる。
カメラは二人に向かってゆっくりとゆっくりとズームアップしていく。
妹を亡くした弥太郎の悲しい気持ちが徐々に高まっていく効果を狙った美しい画面構成だ。
10年後、助っ人家業に身を落とした弥太郎の顔がいきなりアップで登場する。
先ほどまでの若々しい弥太郎とは似ても似つかぬ顔となっていく。
頬に傷を負い、目元は黒ずみスゴミを増した顔つきで、10年の間に弥太郎が歩んできた苦難の道を無言のうちに物語っていて、観客をドキリとさせ無駄なセリフなど必要としないいいシーンだ。
甘い雰囲気を出すのが弥太郎と成人したお小夜(十朱幸代)が語らうシーンだ。
二人の間には紫のむくげの花が垣根のように咲き誇っていて二人を隔てている。
瞼の君を慕うお小夜と、助っ人家業に身を置く弥太郎をわけ隔てる境界の様でもある。
ラストシーンに於ける飯岡の助五郎(安部徹)一家の待ち受ける二本松へ向かう弥太郎の姿をローアングルからとらえたシーンも余韻を残す素晴らしいものとなっている。

弥太郎は助けた少女に「悲しいことや辛いことが一杯ある。だが忘れるこったあ。忘れりゃ明日になる」と言ってはげますのだが、この粋なセリフが最後にもう一度登場する。
お小夜の十朱幸代がハッと気がつくいいシーンだ。
成人したお小夜の登場シーンはそんなに多くは無いが、この作品のヒロインにふさわしい存在感があった。
最初に登場する祭りのシーンでの、赤い風車を落として弥太郎に拾ってもらうシーンから可憐さを出していて、後にその赤い風車が小さな壺に生けられているショットを挟むなどして細かい配慮がなされている。

木村功の箱田の森介は悪そうな雰囲気ながら案外といい男として登場し、やがてその本性を見せることで作品に大きな転換を与える。
堺の和吉(大坂志郎)に盗まれた金を取り戻したら、それが50両もあって弥太郎のものと知り、いつの日か返そうとずっと持っていて、それが縁で弥太郎と兄弟分の盃を交わす。
また飯岡の助五郎と笹川の繁蔵の出入りでは、示し合わせてトンズラを決め込むなど、このあたりまではひょうきんな面も見せるいい男として描かれている。
それが沢井屋に現れた時から豹変するということで、この作品に変化をつけているのだが、この構成の面白さは原作者の長谷川伸によるものだろう。
ほとんどが撮影所のセット撮影だが、野外シーンにおける手の込んだセットは職人の腕を感じさせる。
山下耕作、会心の一作といえる中の1本であると思うし、前述したラストシーンは数ある時代劇中でも指折り数えられるラストシーンとなっていたと思う。