「戦場にかける橋」 1957年 アメリカ
監督 デヴィッド・リーン
出演 アレック・ギネス
ウィリアム・ホールデン
早川雪洲
ジャック・ホーキンス
ジェフリー・ホーン
ジェームズ・ドナルド
アンドレ・モレル
アン・シアーズ
ピーター・ウィリアムズ
ヘンリー大川
ストーリー
第2次大戦下のビルマ・タイ国境近くにある日本軍捕虜収容所長の斎藤大佐は教養の深い武人だった。
ここに収容されているアメリカの海軍少佐シアーズらは激しい労役に脱出の機会を狙っていたが、そんなある日、収容所にニコルスン大佐を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。
バンコック・ラングーン間を結ぶ泰緬鉄道を貫通させるためクライ河に橋梁を建設せよとの命が司令部から斎藤大佐に下り、その労役に送られてきた捕虜である。
斎藤大佐は捕虜全員に労役を命じたが、ニコルスン大佐はジュネーブ協定に背反すると将校の労役従事を拒否したため、営倉に監禁された。
その夜シアーズは仲間2人と脱走し、1人だけ助かってコロンボの英軍病院に収容された。
一方、収容所では三浦中尉の工事指導が拙劣なためと捕虜のサボタージュのため架橋工事が遅れていた。
斎藤大佐は焦慮の余りニコルスンら将校の翻意を促したが彼らは応じない。
やがて陸軍記念日となった日、斎藤大佐はニコルスンらの頑固さに負け彼らの恩赦を伝えた。
ところがこのとき、意外にもニコルスンは自ら架橋工事に当ろうと申し出た。
彼は、サボタージュが軍紀の弛みだとみて捕虜たちに建設の喜びを与えることによって本来の軍人の姿へ鍛え直そうと考えたのである。
架橋の主導権はニコルスンに移ったが、期日までに橋を完成するために、斎藤大佐はその屈辱に甘んじた。
その頃英軍病院にいるシアーズのもとにワーデンという英軍少佐が訪れ、落下傘で挺身隊を降下させ橋を爆破する為の道案内を依頼した。
寸評
戦後の証言によれば、日本軍の行った捕虜を使っての労役にはもっと非人道的なものがあったとも言う。
木の根を食べさせられたという証言もあるようだが、どうやらそれはゴボウのことだったらしい。
日本軍も自分たちと同じものを食べていて、過酷な状況下に置かれていたのは同じだったとの証言も目にしたような気がする。
敵味方を問わず、戦場の最前線は悲惨な状況を呈していたのだろうことは想像に難くない。
戦争を題材とした作品として、その内容が史実に基づいたものであるかどうか、時代考証的に疑問があるかどうかなどの詮索は無意味であろう。
歴史上の事実とこの作品の良さは別次元で語られるべきであろう。
僕たちはこの戦争映画をドラマとしてしか観る事ができないかもしれないが、描かれた内容は非常に感動的で、人間ドラマとしての素晴らしさとスペクタクルの醍醐味を持っている。
米英の合作映画であるが、描かれるのはニコルスン大佐に代表されるイギリス人の誇りの高さである。
アメリカ兵のシアーズが命こそ一番で、捕虜としてとどまっていても死ぬことに変わりはないと脱走を試みるのに対して、ニコルスンはシンガポールにおいて司令部から降伏を命じられたので脱走は軍律に反するとして軍隊規律を律を遵守する。
そして建設作業の指揮は日本軍ではなく自らが率いるイギリス軍が行うと申し出る。
彼のイギリス人としての誇りの高さは、橋の完成と同時に英国軍が建設したとのプレートを打ち付けることでも表現されている。
もちろん最も現れるのが友軍による爆破を知った時にそれを阻止しようとする場面にあることは言うまでもない。
彼らが提案する工事計画を検討する場面では主客転倒する様が描かれていて滑稽だ。
そして彼等は自分たちの威厳をかけて工事を進めていくのだが、同時にそれは敵国に積極的な協力をすることでもあり、軍医はその矛盾を問い詰めるが、ニコルスン大佐には歴史上に名を残すことしか頭にない。
その姿勢は、橋の完成後に自分の人生を振り返り斎藤大佐に独白する場面につながっている。
現地の住民がシアーズ達に協力する背景が不明確で、特に若い現地女性が積極的に協力している動機がよくわからなかった。
日本軍にひどい目にあわされている反日感情からなのだろうが、命を危険にさらしてまでゲリラ活動まがいの行動を取る理由が描かれていなかったのは、日本軍への敵対行為は周知の事実ということなのだろうか。
途中ではピクニック気分の様なシーンもあるので、そのあたりの状況説明に物足りなさを感じた。
ニコルスン大佐の粘りに負けて、斎藤大佐が頭を抱えて悔し泣きする場面は少々漫画的だったし、ラストで軍医が「狂気だ」と叫ぶのは、もちろんそうなのだが何か通り一辺倒な叫びのような気がした。
戦争における狂気はもっと悲惨なものなのではないかと思ったりもするのである。
「クワイ河マーチ」は名曲で、いつまでも耳に残るテーマ音楽の一つである。
英国人捕虜たちの威厳の象徴として用いられており、ニコルスン大佐一行が収容所に登場するシーン、同じく完成した橋の上を行進するシーンには、感動を呼び起こされる。
監督 デヴィッド・リーン
出演 アレック・ギネス
ウィリアム・ホールデン
早川雪洲
ジャック・ホーキンス
ジェフリー・ホーン
ジェームズ・ドナルド
アンドレ・モレル
アン・シアーズ
ピーター・ウィリアムズ
ヘンリー大川
ストーリー
第2次大戦下のビルマ・タイ国境近くにある日本軍捕虜収容所長の斎藤大佐は教養の深い武人だった。
ここに収容されているアメリカの海軍少佐シアーズらは激しい労役に脱出の機会を狙っていたが、そんなある日、収容所にニコルスン大佐を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。
バンコック・ラングーン間を結ぶ泰緬鉄道を貫通させるためクライ河に橋梁を建設せよとの命が司令部から斎藤大佐に下り、その労役に送られてきた捕虜である。
斎藤大佐は捕虜全員に労役を命じたが、ニコルスン大佐はジュネーブ協定に背反すると将校の労役従事を拒否したため、営倉に監禁された。
その夜シアーズは仲間2人と脱走し、1人だけ助かってコロンボの英軍病院に収容された。
一方、収容所では三浦中尉の工事指導が拙劣なためと捕虜のサボタージュのため架橋工事が遅れていた。
斎藤大佐は焦慮の余りニコルスンら将校の翻意を促したが彼らは応じない。
やがて陸軍記念日となった日、斎藤大佐はニコルスンらの頑固さに負け彼らの恩赦を伝えた。
ところがこのとき、意外にもニコルスンは自ら架橋工事に当ろうと申し出た。
彼は、サボタージュが軍紀の弛みだとみて捕虜たちに建設の喜びを与えることによって本来の軍人の姿へ鍛え直そうと考えたのである。
架橋の主導権はニコルスンに移ったが、期日までに橋を完成するために、斎藤大佐はその屈辱に甘んじた。
その頃英軍病院にいるシアーズのもとにワーデンという英軍少佐が訪れ、落下傘で挺身隊を降下させ橋を爆破する為の道案内を依頼した。
寸評
戦後の証言によれば、日本軍の行った捕虜を使っての労役にはもっと非人道的なものがあったとも言う。
木の根を食べさせられたという証言もあるようだが、どうやらそれはゴボウのことだったらしい。
日本軍も自分たちと同じものを食べていて、過酷な状況下に置かれていたのは同じだったとの証言も目にしたような気がする。
敵味方を問わず、戦場の最前線は悲惨な状況を呈していたのだろうことは想像に難くない。
戦争を題材とした作品として、その内容が史実に基づいたものであるかどうか、時代考証的に疑問があるかどうかなどの詮索は無意味であろう。
歴史上の事実とこの作品の良さは別次元で語られるべきであろう。
僕たちはこの戦争映画をドラマとしてしか観る事ができないかもしれないが、描かれた内容は非常に感動的で、人間ドラマとしての素晴らしさとスペクタクルの醍醐味を持っている。
米英の合作映画であるが、描かれるのはニコルスン大佐に代表されるイギリス人の誇りの高さである。
アメリカ兵のシアーズが命こそ一番で、捕虜としてとどまっていても死ぬことに変わりはないと脱走を試みるのに対して、ニコルスンはシンガポールにおいて司令部から降伏を命じられたので脱走は軍律に反するとして軍隊規律を律を遵守する。
そして建設作業の指揮は日本軍ではなく自らが率いるイギリス軍が行うと申し出る。
彼のイギリス人としての誇りの高さは、橋の完成と同時に英国軍が建設したとのプレートを打ち付けることでも表現されている。
もちろん最も現れるのが友軍による爆破を知った時にそれを阻止しようとする場面にあることは言うまでもない。
彼らが提案する工事計画を検討する場面では主客転倒する様が描かれていて滑稽だ。
そして彼等は自分たちの威厳をかけて工事を進めていくのだが、同時にそれは敵国に積極的な協力をすることでもあり、軍医はその矛盾を問い詰めるが、ニコルスン大佐には歴史上に名を残すことしか頭にない。
その姿勢は、橋の完成後に自分の人生を振り返り斎藤大佐に独白する場面につながっている。
現地の住民がシアーズ達に協力する背景が不明確で、特に若い現地女性が積極的に協力している動機がよくわからなかった。
日本軍にひどい目にあわされている反日感情からなのだろうが、命を危険にさらしてまでゲリラ活動まがいの行動を取る理由が描かれていなかったのは、日本軍への敵対行為は周知の事実ということなのだろうか。
途中ではピクニック気分の様なシーンもあるので、そのあたりの状況説明に物足りなさを感じた。
ニコルスン大佐の粘りに負けて、斎藤大佐が頭を抱えて悔し泣きする場面は少々漫画的だったし、ラストで軍医が「狂気だ」と叫ぶのは、もちろんそうなのだが何か通り一辺倒な叫びのような気がした。
戦争における狂気はもっと悲惨なものなのではないかと思ったりもするのである。
「クワイ河マーチ」は名曲で、いつまでも耳に残るテーマ音楽の一つである。
英国人捕虜たちの威厳の象徴として用いられており、ニコルスン大佐一行が収容所に登場するシーン、同じく完成した橋の上を行進するシーンには、感動を呼び起こされる。