おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

セルピコ

2019-09-08 17:13:57 | 映画
「セルピコ」 1973年 アメリカ


監督 シドニー・ルメット
出演 アル・パチーノ
   ジョン・ランドルフ
   ジャック・キーホー
   ビフ・マクガイア
   トニー・ロバーツ
   コーネリア・シャープ
   バーバラ・イーダ=ヤング

ストーリー
1971年2月、ニューヨーク市警の警官フランク・セルピコが重傷を負ってグリーンポイント病院に担ぎこまれた。
これより11年前、セルピコは希望と使命感に燃えて警察学校を卒業した。
82分署に配属され、はりきって勤務についたものの、日常茶飯事として行なわれていたのは同僚たちの収賄、さぼりなどで、理想と現実のギャップはみるまに彼の内部で広がっていった。。
犯罪情報課勤務に変わって、彼は向上心の満足と息ぬきをかねてニューヨーク大学へ勉強に行くようになり、そこで会ったレズリーというバレー・ダンサーと知り合い、やがて同棲するようになった。
私服刑事になるための訓練を受け始めた彼は、ブレアというプリンストン大学出の同僚と仲良くなった。
訓練が終わると、2人は私服刑事として、セルピコは93分署に、ブレアはニューヨーク市長の調査部に配属されることになったのだが、配属された最初の日、セルピコは何者かにワイロの分け前を渡された。
ブレアに相談し、調査部長に報告したが、部長はただ忘れてしまえと忠告するだけだった。
それと同じくして私生活の面でもレズリーを失った。
失意のセルピコは再びマクレインに会い、ブロンクスの第7地区に勤務を変えてもらうが、ここはさらに酷いもので、前の分署で顔見知りだったキーオという男が、ここの分け前は今まででも最高だとセルピコに耳打ちした。
彼が受け持たされたのは、ルベルという同僚とワイロ回収の仕事だったが、どうしても金をうけとろうとしないセルピコの立場は徐々に孤立せざるを得なかった。
ブレアとセルピコは、市長の右腕として働いていたバーマンに実情を訴えたが、この夏には暴動がおこる公算があり、市長としても警察と対決するわけにはいかないという理由でとりあげてもらえなかった。


寸評
セルピコは実在の人物で描かれた内容は事実と言うことだから、その人物像はリアルである。
主人公のセルピコはダーティ・ハリーのようなスーパーマンではなく、組織や社会に対する怯えを抱え、人間不審や苛立ちによって愛する人も失ってしまう人間的な弱さを持つ、いわば普通の男だ。
しかし、何処にでもいる普通の人であるセルピコが悪から目を背けることができなくなり、打ち負かされそうになりながらも自らを奮い立たせて組織悪に立ち向かう姿が観る者の心を打つ作品となっている。

それにしても警察組織の腐敗はひどい。
警察組織だけではない。
市長だって警察との摩擦を避けたいばかりに、セルピコの訴えを無視してしまう有様である。
警察庁長官だって、組織の存続を第一に考え報告を無視していた。
セルピコは警官になることを夢見て、それを実現させた警官だったが、その組織は汚職にまみれていた。
警官たちはまるで日本の暴力団がみかじめ料を取り立てるように、悪の組織から取り立てを行っている。
そのなかで清く正しく任務を遂行しようとするセルピコはのけ者となっていく。
セルピコは誘われても金の受け取りを断るが、仲間を売るようなことはしない。
そんな極限状態ともいえる仲間との関係の中で、理想の警官を追求すればするほど、警察社会からのけ者になっていくという理不尽さが痛ましい。

内部告発への報復だと思うが、セルピコは最も危険なブルックリンの麻薬地帯に転勤を命じられる。
捜査中に同僚に見捨てられ顔を撃たれたセルピコは一命をとりとめるものの聴力を失い、左半身が麻痺した身体となってしまい警察を退職する。
ラストシーンはセルピコが巨犬となった友人アルフィーとボストンバックひとつを持ってスイスへと旅立つ姿を映し出すが、それは晴れ晴れとしたものではなく淋しい姿だ。
しかしこのラストシーンは僕達にアメリカを捨てスイスへ旅立つ勇敢なヒーローを見送らせていたのだと思う。
麻薬課への転属時にランドルフ局長が「ワナにも気をつけろ」と忠告していたが、セルピコが撃たれたのはワナだったのだろうか。
その前に、「危ない目にあっても助けようとしないで抹殺を図る」というようなことが語られていたから、やはりあの二人はセルピコを見捨てたのだろう。
それでも彼等は金バッジを貰ったというひどい話が付け加えられている。
パチーノが演じたフランク・セルピコは、警察組織内の汚職と闘い、1971年には汚職を告発した警察官としてアメリカでは有名な人物らしいが、なんだか報われない人生を送った人物に見えてしまう。