おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

青春の蹉跌

2019-09-02 09:27:37 | 映画
「青春の蹉跌」 1974年 日本


監督 神代辰巳
出演 萩原健一 桃井かおり 檀ふみ
   河原崎健三 赤座美代子
   荒木道子 高橋昌也 上月左知子
   森本レオ 泉晶子 くま田真

ストーリー
大学の法学部に通う江藤賢一郎(萩原健一)は、学生運動をキッパリと止め、アメリカン・フットボールの選手として活躍する一方、伯父・田中栄介(高橋昌也)の援助をうけながら、大橋登美子(桃井かおり)の家庭教師をして小遣い銭を作っていたのだが、やがて、賢一郎はフットボール部を退部、司法試験に専念した。
登美子が短大に合格、合格祝いにと賢一郎をスキーに誘った。
ゲレンデに着いた二人、まるで滑れない賢一郎を背負い滑っていく登美子。
その夜、燃え上がるいろりの炎に映えて、不器用で性急な二人の抱擁が続いた。
賢一郎は母の悦子(荒木道子)と共に成城の伯父の家に招待された。
晩餐の席で栄介の娘・康子(檀ふみ)と久しぶりに話をする賢一郎。
第一次司法試験にパスした賢一郎が登美子とともに歩行者天国を散歩中、数人のヒッピーにからまれている康子を救出したことから、二人は急速に接近していった。
第二次試験も難なくパスした賢一郎は、登美子との約束を無視して、康子とデートをした。
やがて賢一郎は第三次試験にも合格したが、それは社会的地位を固めることであり、康子との結婚は野心の完成であった。
相変らず登美子との情事が続いたある日、賢一郎は康子との婚約を告げたが、登美子は驚かず、逆に妊娠五ヵ月だと知らせた。
あせる賢一郎は、登美子を産婦人科に連れて行き堕胎させようとするが医者に断わられる。
不利な状況から脱出しようとする賢一郎だが、解決する術もなく二人で思い出のスキー場へやって来た。
雪の上を滑りながら賢一郎は登美子の首を締めていた。
賢一郎と康子の内祝言の宴席。
賢一郎は拍手の中、伯父や康子を大事にしていく、と自分の人生感を語るのだったが・・・。


寸評
僕はこの映画を見るまで蹉跌という言葉を知らなかった。
蹉跌=つまずくこと。失敗し行きづまること。
監督の熊代辰巳は日活ロマンポルノでもって秀作を連発していたが、東宝から招聘されて撮ったのがこの「青春の蹉跌」である。
公開当時に劇場で見た時には学生運動の終焉も感じ取った記憶があるのだが、今見るとその感情は湧いてこないので、学生運動は遠くなりにけりということだろうか。

自らの野望ゆえに滅んでいく青年の物語なのだが、神代監督の独特な演出は主人公の屈折した人物像を浮かび上がらせていく。
「エンヤドット、エンヤドット」という斎太郎節の歌いだしを主人公が何度もつぶやいているのが印象的だし、ゼロックスのコマーシャルのような即興的な映像が挿入されるのも特徴的。
賢一郎は登美子と雪山で若い男女が凍死している現場に出会うが、女を置き去りにして逃げれば自分は助かったのにと勝手なことをつぶやくような男だ。
賢一郎は打算的な男で、登美子は愛を信じる純真な乙女のように見えるが、実は登美子もそんな女ではなかったことが明らかとなる。
この展開は衝撃的である。

主人公は私大の法学部に籍を置き試験にも合格していくが野望に燃える上昇志向の強い男ではない。
どこかさめていて優柔不断なところがある。
叔父は後継者にと考えているようだが、叔父のヨットでは顎で使われるようなこともあり、叔父の会社に入った後が思いやられるようなしぐさも見せる。
賢一郎も康子も泳げないと言っていたが、二人とも泳ぐことができるという虚構の関係だ。
登美子を背負って戯れた賢一郎は同じようにして康子と戯れる。
そんな男が二人の女性の間を浮遊し、翻弄され、どうしようもなくなって殺人を犯し破滅していく。
賢一郎は母親と共に叔父から援助を受けているが、貧しさゆえに充たされぬ野望をもって社会に挑戦し挫折したという男ではないので、僕は賢一郎に悲劇性を感じない。
それに比べれば二人の女性の方がしたたかだ。
登美子は薄幸な女を演じ、「別れてもいいよ」なんて言いながら、妊娠を口実に徐々に外堀を埋めていき、子供を堕胎したと嘘を言って賢一郎との関係を続ける。
康子は聡明で「新宿の時の女性のことは気にしない。今後は私だけにしてほしい」と迫る高慢な女だ。
二人に比べれば賢一郎などは青臭い。

賢一郎は登美子の実態を知らないで死んでいく。
ラストシーンは賢一郎の死を暗示していたと思うが、賢一郎の死で締めくくるのは公開当時の映画における風潮だったかもしれない。
原作者の石川達三が映画に対して怒りを表明したことが漏れ伝わっている。