おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

戦争と人間 第一部 運命の序曲

2019-09-13 07:22:57 | 映画
「戦争と人間 第一部 運命の序曲」 1970 日本


監督 山本薩夫
出演 滝沢修 芦田伸介 高橋悦史
   浅丘ルリ子 中村勘九郎
   佐藤萬理 三国連太郎
   高橋幸治 石原裕次郎
   高橋英樹 二谷英明 三条泰子
   伊藤孝雄 吉田次昭 田村高廣
   加藤剛 岸田今日子 山本学
   地井武男 江原真二郎
   南原宏治 栗原小巻 水戸光子
   松原智恵子 丹波哲郎

ストーリー
昭和三年。新興財閥伍代家のサロンでは、当主伍代由介(滝沢修)の長男英介(高橋悦史)の渡米歓送会が開かれていたが、話題は期せずして、張作霖打倒のため蒋介石が北伐をはじめた満州の状勢に集まった。
関東軍を出兵させ張作霖軍を武装解除させるべきだという強硬論者は、英介と喬介(芦田伸介)であった。
とくに“満州伍代”と呼ばれる喬介は関東軍参謀河本大佐(中谷一郎)等の強硬派と気脈を通じ、より大きな利権を求めて画策していた。
その両腕が、匪賊との生命がけの交渉によって運送ルートを作りあげた男、高畠正典(高橋幸治)と阿片売買やテロルなどに暗躍する凶暴な男、鴨田駒次郎(三国連太郎)であった。
喬介や英介の意見に反対を唱えたのは、まだ中学生の俊介(中村勘九郎)であり、それに無言の支持を示したのは自由主義者の矢次(二谷英明)だった。
由紀子(浅丘ルリ子)は妻帯者である矢次を愛していたが、にえきらぬ態度に彼女は若い柘植中尉(高橋英樹)との恋に走った。
出兵のための奉勅命令が得られないあせりから関東軍は列車爆破によって張作霖を暗殺するという挙に出たが、その陰謀は張作霖の息子張学良と蒋介石の和解、統一抗日勢力の強化という方向に事態を動かした。
喬介は新参謀石原中佐(山内明)の依頼で、運送隊の中に偵察特務員を潜入させたが、匪賊はその報復に、高畠の愛妻素子(松原智恵子)を連れ去り、そして彼女はふたたび帰って来なかった。
昭和六年九月、関東軍は奉天郊外の柳条溝付近で、自らの手で満鉄列車を爆破、それを張学良の謀略挑戦であるとして一斉攻撃を開始したが、それはいわゆる満州事変の始まりであった。


寸評
僕は太平洋戦争は自衛戦争だったが、満州事変とそれに続く日中戦争はやはり侵略戦争だったのではないかと思っている。
「戦争と人間」の第一部である本編では、大正時代に勃興した新興財閥の伍代家の人々を中心に、昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)の第一次上海事変が起きるまでの満州及び関東軍の状況が描かれている。
伍代財閥は満州での権益を強化しようとしているが、流通業だけでなく裏ではアヘンを扱う闇の部分もある。
当時大陸へ進出していた企業の総てが悪徳企業ではなかったと思うが、伍代財閥は悪い資本家の象徴として描かれ、関東軍を軍国主義の急先鋒として描いている。
歴史的に見れば関東軍の暴走が日本を悲劇へ導いたと思うし、軍隊は戦うために存在している組織だから、当時の軍人達は戦いたい気持ちを内在していたのだろう。
現在の自衛隊は戦えない軍隊として存在しているが、だから、そこがいいのかもしれない。

張作霖爆殺事件を策略した関東軍の参謀・河本大作大佐の名前は知っているし、柳条湖事件を起こした板垣征四郎や石原莞爾の名前も知っている。
だから「戦争と人間」は大勢の人物が登場する人間群像ドラマであると同時に歴史ドラマでもある。
群像ドラマとして見れば、ここで描かれる図式は案外と単純なものだ。
伍代財閥は戦争を食い物にしようとする資本家の代表だが、その中で大人たちに異を唱えて疑問を呈するのが中村勘九郎の伍代俊介少年である。
高橋悦史の伍代英介をひどい人物として描いているので、物語を考えた場合、同じ伍代家に対極の人物を登場させる必要があったのではないかと思われる。
このあたりは脚本というより、原作者である五味川純平の構想によるものだろう。
そのような対比は、同様に伍代喬介の部下として働いている二人、高畠と鴨田にも言える描き方であるし、軍国主義に警告を発する人物として二谷英明の矢次や、石原裕次郎の篠崎書記官を登場させバランスをとっている。
これだけ多くの登場人物を描くと、どうしてもこのような二極化した描き方になってしまうのかもしれない。

満州の混とんとした状況や、関東軍が暴走していく様子をお堅い部分とすれば、色恋と言う柔らかい部分を担う名うのが、浅丘ルリ子の伍代由紀子、松原智恵子の素子、栗原小巻の端芳である。
端芳は英介によって犯され、素子は朝鮮族にさらわれ自殺するという悲劇に会う。
由紀子は矢次に思いを寄せていたが、やがて軍人の柘植に魅かれていくのだが、なぜ柘植に乗り換えることになったのか、微妙な女心の変化は描かれてはいない。
それを丁寧に描けばメロドラマになってしまうからだろう。
とにかく由紀子は柘植に思いを寄せることになるが、柘植は軍部批判により台湾に行かされたり、金沢に行ったり、最後には上海へと飛んでいくことになる。
すれ違いドラマの要素を持っているが、二人の別れの描き方は湿っぽいものではないので、やはりこの映画は男性映画なのだと思う。
第一部の最後で柳条溝事件がおこり、上海事変へと突入していくが、なぜ日本はその道をたどってしまったのか、僕は山本薩夫なりの解釈で深層に斬り込んでいるとは言い難い物を感じて、その点に少し不満が残る。