GWの関東地方は、五月二日、三日、四日と、
とてもいいお天気でした。
昨日も少し触れましたが。
今年のGWは、昨年に引き続き、巡礼をしておりました。
今年もよく走ってくれたゴンザ号(手前オレンジ)と、erima号。
チャリンコちゃんたち、ご苦労さま&ありがとね!
今回周ったのは、玉川八十八ヵ所霊場の、
四十五ヵ所。
(時間を見て、今後、残り四十三ヵ所を巡る予定)
天気の良かった前半三日間で、
チャリンコ漕ぎ漕ぎ......
総走行距離は、昨年を遥かに超えたと思われ。
毎度のことながら、迷ったり、寄り道したり、
楽しい旅でありました。
ナガミヒナゲシの揺れる土手を走ったり。
お団子食べたり。
思えば、巡礼というのはきっと、
元来歴史的にもっと、宗教的な意味合いが強いものだったのでしょうが。
何やら調べてみれば、どうも途中から、
大衆化して、旅行としての要素も加わったようで。
なるほど、それに照らし合わせて考えてみれば、
ゴンザによる、巡礼への解釈、
『オトナのオリエンテーリング』というのも、
あながち間違ではいないのかもしれません。
昨年の子年観音の御開帳のように、目印の旗があるわけでもないので、
地図で調べながら、山門や本堂表にかけてある、
ご覧のような『○番札所』という看板を目安に、お寺を巡ってゆきます。
しかし、中にはこれをちゃんと掲げていないお寺があったり、
灰皿の裏に無造作に放置してあるお寺もあったりで.....
もしかしたら、この玉川八十八ヵ所霊場自体が、
あまり知られておらず、めぐる人もいないのかもしれません。
何より、昨年同様、我々には、
巡礼という行為によって生まれる、人と人との出会いこそが。
そこらじゅうにいる、日本の小さな神様や仏様の、
教えそのものに思えて仕方がないのです。
.....こんなこと言うと、
神様や仏様には叱られるかもしれないけれど。
都会の喧噪のすぐそばに、
ひっそりと、小さなお寺が佇む不思議。
しかし、同時に私が大好きなのは、
無神論者の私でも、思わず信じずにはいられない、
道端の小さな石ころや、か弱い虫や、風に揺れる花々に、
神や仏を見出す、日本のゆる~い宗教観で。
これさえあれば、平和は続くのじゃないかと、
そう思いたい。
ときどき出会うおびんずる様には、
自分の病んでいる箇所と同じところをさすり、
平癒を願うのだとか。
信じるものは、己の中にあり、そこら中にもあり、
人には押しつけない。
いや、むしろ、信ずるものがしっかりあるからこそ、
人には押しつけないで済むのかも.....という。
小さな虫にだって、魂があるんだもの。
白山さまは歯の神様。
巡礼はオトナのオリエンテーリング。
そこには、どんなものにもあまねく降り注ぐ、さりげなく深い慈悲があり。
小さな寺の山門の先には、無限の空間が拡がっています。
こんなこと言ったら失礼になるかもしれないけど、
あちこちで出会う、ユーモラスな神様や仏様は、
今でいう『ゆるキャラ』の原点なのかもしれません。
もともと日本人は、とてもおおらかな民族だったとか。