猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

オトナのオリエンテーリング

2009年05月08日 21時50分20秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

GWの関東地方は、五月二日、三日、四日と、
とてもいいお天気でした。

 

昨日も少し触れましたが。

今年のGWは、昨年に引き続き、巡礼をしておりました。

 

今年もよく走ってくれたゴンザ号(手前オレンジ)と、erima号。
チャリンコちゃんたち、ご苦労さま&ありがとね!

 

今回周ったのは、玉川八十八ヵ所霊場の、
四十五ヵ所。

(時間を見て、今後、残り四十三ヵ所を巡る予定)

天気の良かった前半三日間で、
チャリンコ漕ぎ漕ぎ......

総走行距離は、昨年を遥かに超えたと思われ。

毎度のことながら、迷ったり、寄り道したり、
楽しい旅でありました。

 

ナガミヒナゲシの揺れる土手を走ったり。

お団子食べたり。

 

思えば、巡礼というのはきっと、
元来歴史的にもっと、宗教的な意味合いが強いものだったのでしょうが。

何やら調べてみれば、どうも途中から、
大衆化して、旅行としての要素も加わったようで。

なるほど、それに照らし合わせて考えてみれば、
ゴンザによる、巡礼への解釈、
『オトナのオリエンテーリング』というのも、
あながち間違ではいないのかもしれません。

 

昨年の子年観音の御開帳のように、目印の旗があるわけでもないので、
地図で調べながら、山門や本堂表にかけてある、
ご覧のような『○番札所』という看板を目安に、お寺を巡ってゆきます。
しかし、中にはこれをちゃんと掲げていないお寺があったり、
灰皿の裏に無造作に放置してあるお寺もあったりで.....
もしかしたら、この玉川八十八ヵ所霊場自体が、
あまり知られておらず、めぐる人もいないのかもしれません。

 

何より、昨年同様、我々には、
巡礼という行為によって生まれる、人と人との出会いこそが。

そこらじゅうにいる、日本の小さな神様や仏様の、
教えそのものに思えて仕方がないのです。

.....こんなこと言うと、
神様や仏様には叱られるかもしれないけれど。

 

都会の喧噪のすぐそばに、
ひっそりと、小さなお寺が佇む不思議。

 

しかし、同時に私が大好きなのは、
無神論者の私でも、思わず信じずにはいられない、
道端の小さな石ころや、か弱い虫や、風に揺れる花々に、
神や仏を見出す、日本のゆる~い宗教観で。

これさえあれば、平和は続くのじゃないかと、
そう思いたい。

 

ときどき出会うおびんずる様には、
自分の病んでいる箇所と同じところをさすり、
平癒を願うのだとか。

 

 信じるものは、己の中にあり、そこら中にもあり、
 人には押しつけない。

 いや、むしろ、信ずるものがしっかりあるからこそ、
 人には押しつけないで済むのかも.....という。

 小さな虫にだって、魂があるんだもの。

 

白山さまは歯の神様。

 

巡礼はオトナのオリエンテーリング。

そこには、どんなものにもあまねく降り注ぐ、さりげなく深い慈悲があり。

小さな寺の山門の先には、無限の空間が拡がっています。

 

こんなこと言ったら失礼になるかもしれないけど、
あちこちで出会う、ユーモラスな神様や仏様は、
今でいう『ゆるキャラ』の原点なのかもしれません。
もともと日本人は、とてもおおらかな民族だったとか。