猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

出来るのは、記すことだけ。

2009年05月07日 19時35分50秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

私は、誰かが言った、
「日本人は宗教は持たないが、信仰を持つ」という言葉が好きです。
相変わらずの無神論者、でも、今年のGWも巡礼してました。
祈りある場所は美しい。

 

「戦争が終わってね。
 『内地へ帰れる』と言われてね、喜んで船に乗ったらね。
 着いたのは、シベリアだったんだよ」

その、小さな小さなおじいちゃんは言った。

「マイナス30度でも、休ませてもらえなかったよ。
  たくさんの仲間が死んでいった」

.....と。

 

今年めぐることにしたのは、玉川八十八ヵ所霊場。
多摩川を中心に、神奈川県川崎市・横浜市、
東京都大田区・目黒区・世田谷区・品川区にあるお寺を周ります。
GW前半三日間を費やし、現在四十五ヵ所を周り済み。
ただし、御朱印をいただいたりするには、事前連絡が必要とのことで、
今回は御朱印はなしの、お参りのみでの巡礼です。

 

「私は伐採の仕事をさせられた。
 マイナス30度でも休ませてもらえなかったよ」

繰り返し、何度も、何度も、
そのおじいちゃんは言った。

静かなお寺の境内で。

その静けさより、
ずっとずっと、静かな瞳をしたままで。

 

昨年の、旧小机領三十三所観音霊場めぐりとは違い、周る順番もバラバラ。
こちらは本来一番寺となる川崎大師ですが、
我が家からのルート上、今回二番目に訪れることになりました。
さて...ここから八十八ヵ所すべてを周り、まとめるには
.....やっぱり別ブログを立ち上げるべきか、思案中。

 

このGW。

玉川八十八ヵ所霊場めぐりをしていた我々が、
とあるお寺で出会ったその人は。

そこで何をしていたのか、
また、そのお寺とどんな関係の方なのかはわからなかったが。

我々が「こんにちは」と会釈をすると、
ニコニコとそばに来て.....

そのお寺と、向かいにある神社の歴史について、
丁寧に説明をしてくれたのだった。

「この山門はね、すごく古いものなんだよ。ほら、木の目が他と違うでしょう。
 他はみんな戦争で焼けちゃったからね」

 

ここのところ相次ぐ仏像盗難のためか.....
本堂の扉も閉まったままのお寺も多かったですが。
それでもどのお寺さんも境内は美しく。
あらためて私たちの周りには、美と『思い』があふれていると.....。
そう実感しました。

 

そして......

続いて、ニコニコしたままで。

「私はシベリアの収容所にいたんだよ」と。

そう、抑留の経験を、話してくれたのだった。

私とゴンザはといえば、思いもかけず、
また、あまりに胸に迫る話に、ただただ、言葉を失い。

「本当に、ご無事にお帰りになられてよかった.....本当に」
と、そう絞り出すようにしか言えず。

「お会い出来てよかったです。どうぞこれからもお元気で!
 貴重なお話を本当にありがとうございました」

そう頭を下げながら。

なぜ私たちはここでこの人に出会ったのだろうと。

そこにはどんな深い意味があるのだろうと、
こみ上げる涙をどうにか押しとどめながら、
小さなおじいちゃんに別れを告げたのだった。

 

こみあげる思いを胸に、おじいちゃんにお願いして、
一緒に撮らせてもらった写真は、私たちの宝物。
ここには載せられないのが残念ですが、代わりに、
こちらも巡礼中に出会ったウサギちゃんの写真を。
とっても人懐っこくて、この子を連れていたお兄さんによれば、
「大の字で寝たりする」ほどの大物だとか。

 

昨年のように、何かの御開帳であるとかではなく。

ただ自分たちだけで計画をたてたのみで、
御朱印を押してもらうわけでもなく、
ときには門さえ開いていないお寺を巡りながら、
人っ子ひとりいない境内も多い中。

その人に偶然出会い、お話を伺えたのは......

やはり仏様の、お導きだろうか。

 

おじいちゃんの話を聞いて、思う。
私が生かされているのはなぜだろうと。
遠い異国の地で、過酷な労働、虐待、栄養失調、病と、
辛い思いをした末に、凍土の下に眠らねばならなかった人たちの.....
その思いのぶんだけ、我々は一生懸命生きているだろうかと。

 

そういえば、このGWに周れた、八十八ヵ所中、
四十五ヵ所のお寺の中には。

太平洋戦争の慰霊碑がある場所も多かったが。

私がここで、おじいちゃんの話をすることも.....

もしかしたら、あの出会いに、
さらなる意味を持たせることが出来るだろうか。

 

遠く異国の地で、今も眠る方々は.....
死を前にして、故郷のことをどんなに想ったろう。
私になど、そんなことを言う資格はないとわかっているけれど。
どうか、この静けさと祈りが......かの地に届きますように。

 

「私はシベリアから帰ってきたんだ。でも多くの仲間が死んだんだよ」

......おじいちゃんは、その目にとても不思議な色をたたえて、そう言った。

シベリア抑留による死者は、六万人とも、
また、それを遥かに上回る人数とも言われている。

コメント (2)
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