猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

普通で悪いか。

2009年05月16日 19時03分02秒 | ルーツ

先週の日曜は母の日とあって、久々に母に会った。

最後に彼女の言動にブチ切れて電話を切ってから、1年以上か。

その後、必要があって数回電話では話したが.....

顔はずっと見ないでいたのだ。

 

あまり気分のいい話じゃないので、せめて美味しいものの画像でも。
緑園都市【ラ・ベルデュール】の『キャラメルポンム』

 

が。

心優しいゴンザが、

「たまには電話したら?」
「母の日なんだから、食事にくらい誘ったら?」

と、何度も言ってくれるので、
『それでは』と、しぶしぶ電話したら、
ちょうど妹と外で食事をしている最中だというので、
そこへ合流したのだ。

 

こちらは福富町【おがわ】のどら焼き。
10個買ったら、確か、おぐらが6の白餡が4だった。
ってことは...ある方が買われた際には半々だったということから、
やっぱこの比率は日によって違うのか!?
ちなみに、私のでかい声のせいか、「なかなか出てこない」
という噂のおじーちゃんはすぐ出てきました(笑)

 

車を停めに行っているゴンザより先に店に入り、
私は愛想よく、妹や妹夫に挨拶し、腰を降ろした。

.....と。

話しだそうとした私をさえぎるように、母が言いだす。

「どうしたのよ、その顔!その肌!
 こんな姿になり果てちゃって!
 何?その笑い皺!
 それじゃ普通の人と変わらないじゃん!」

 

おそらく、注文してから挟んでくれたのであろうあんこは、
しっかり甘く、どっしり、これでもか!っていうくらい入ってる。
とっても懐かしい味で、「あー、昔のあんこって、これぐらい甘かったよね」と、
日持ちも考えての、あの、あま~く、ねっとりした味を、
子供のころを思い出しながら味わう。

 

『久々に会ってもこれか』

私は相も変らぬ母の言動に呆れながら、
どうにかキレないように、やり過ごそうとする。

「畑帰りだから顔が汚れてるんでしょ?
 それに、そりゃあ人間この歳になりゃ、笑い皺くらい出来るって」

が、しつこい母は、それでもあきらめず.....

「そんなこと言ったって、いくらなんでも酷すぎる。
 どうしてこんな姿になっちゃったんだろうねぇ?」

と、非難することをやめない。

 

おじーちゃんは、すごーく丁寧に包装もしてくれた。
もうひと組待ってたお客さんと我々を仲間と思ったのか、
「おー♪賑やかな団体がやってきたな~」と笑顔。

 

一方、妹や妹夫の前で爆発したくない私は、根気よく、

「別にいいじゃない、普通でも。
 私だって年をとるんだし、笑い皺は毎日楽しいからでしょ?
 太ったのもそうだし、幸せなんだから..... それじゃダメなわけ?」

と。

徐々に『キレますよ』オーラをにおわせつつ、
その話題を、ゴンザが来る前に、どうにか終わらせようとする。

『だからイヤだったんだよ』

.....心の中で、そう思いながら。

 

楽しくない話が続くので、今度はさわやかな写真を。
畑で作業をしていると、飛行船が飛んできました。
思わず手を振る私~(笑)

 

ゴンザが母のことを気遣ってくれるのは嬉しいけれど、
彼女は人の好意を無にする名人で、
ついでに言えば、機嫌のいい我が子の気分をぶち壊しにする名人でもある。

そりゃあ、彼女に言わせれば、

「せっかくモデルが出来る容姿に産んでやったのに、
 そのモデルだってやめちゃってさ。もったいない!」

ということなのかもしれないが、
私は今の生活が気に入ってるのだし、
『普通』が嬉しくて仕方がないのだ。

 

あ、そうそう!
キュウリグサの花が初めてちゃんと撮れたので、それも。
大好きな花だから、これまで何度もチャレンジしたけれど、
コンデジじゃあまりに小さすぎる花を写しきれなくて。
でも、ゴンザのカメラを借りたら.....ほら、ピンボケは免れた!(笑)

 

「これをしたら『ささくれ』が出来ちゃうから、やめておこう」

「これをしたらうなじが日焼けしちゃうな」

そんなことをいちいち気にしないで暮らす自由の喜びは.....

容姿が衰えるさみしさよりも、ずっと大きい。

どのみち人は年をとるのだ。

「別に普通でいいじゃん」

母の言うとおり、体重も増え、笑い皺だらけで、日焼けし、
本当に普通のおばさんとなった私ではあるが、
それが何か悪いことなのだろうか?

まあ、こんな書き方をすれば、

「ま、erimaさん、ずいぶんもともとの容姿に自信をもってらしゃったのね」

と言われそうだが、
実際はその逆で。

私は常にコンプレックスの塊だったし、
そもそも母や、
または自分が思いこんでいたほど、きれいでもなかったはずだ。

 

「なり果てた」姿でも、「楽しそうじゃないか」と、
こうして自分で自分の今を見ても思うのだ。
チャリで走りまわり、畑で遊び、大好きな人と猫と暮らし、
花や鳥や虫を愛でる。
これ以上の幸せがあるだろうか。

 

私はいつも、誰より普通の女で、普通のおばさんである。

そして、そんな私をゴンザは、

「人間らしくなってすごくいいと思うよ」

と、そう言ってくれており。

私はそれがとても幸せなのである。

 「普通で悪いか」

アクセサリー扱いの過去よりも、今がいい。

私が再び母に会うのは、またしばらく先になりそうだ。

コメント (6)
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