先週の日曜は母の日とあって、久々に母に会った。
最後に彼女の言動にブチ切れて電話を切ってから、1年以上か。
その後、必要があって数回電話では話したが.....
顔はずっと見ないでいたのだ。
あまり気分のいい話じゃないので、せめて美味しいものの画像でも。
緑園都市【ラ・ベルデュール】の『キャラメルポンム』
が。
心優しいゴンザが、
「たまには電話したら?」
「母の日なんだから、食事にくらい誘ったら?」
と、何度も言ってくれるので、
『それでは』と、しぶしぶ電話したら、
ちょうど妹と外で食事をしている最中だというので、
そこへ合流したのだ。
こちらは福富町【おがわ】のどら焼き。
10個買ったら、確か、おぐらが6の白餡が4だった。
ってことは...ある方が買われた際には半々だったということから、
やっぱこの比率は日によって違うのか!?
ちなみに、私のでかい声のせいか、「なかなか出てこない」
という噂のおじーちゃんはすぐ出てきました(笑)
車を停めに行っているゴンザより先に店に入り、
私は愛想よく、妹や妹夫に挨拶し、腰を降ろした。
.....と。
話しだそうとした私をさえぎるように、母が言いだす。
「どうしたのよ、その顔!その肌!
こんな姿になり果てちゃって!
何?その笑い皺!
それじゃ普通の人と変わらないじゃん!」
おそらく、注文してから挟んでくれたのであろうあんこは、
しっかり甘く、どっしり、これでもか!っていうくらい入ってる。
とっても懐かしい味で、「あー、昔のあんこって、これぐらい甘かったよね」と、
日持ちも考えての、あの、あま~く、ねっとりした味を、
子供のころを思い出しながら味わう。
『久々に会ってもこれか』
私は相も変らぬ母の言動に呆れながら、
どうにかキレないように、やり過ごそうとする。
「畑帰りだから顔が汚れてるんでしょ?
それに、そりゃあ人間この歳になりゃ、笑い皺くらい出来るって」
が、しつこい母は、それでもあきらめず.....
「そんなこと言ったって、いくらなんでも酷すぎる。
どうしてこんな姿になっちゃったんだろうねぇ?」
と、非難することをやめない。
おじーちゃんは、すごーく丁寧に包装もしてくれた。
もうひと組待ってたお客さんと我々を仲間と思ったのか、
「おー♪賑やかな団体がやってきたな~」と笑顔。
一方、妹や妹夫の前で爆発したくない私は、根気よく、
「別にいいじゃない、普通でも。
私だって年をとるんだし、笑い皺は毎日楽しいからでしょ?
太ったのもそうだし、幸せなんだから..... それじゃダメなわけ?」
と。
徐々に『キレますよ』オーラをにおわせつつ、
その話題を、ゴンザが来る前に、どうにか終わらせようとする。
『だからイヤだったんだよ』
.....心の中で、そう思いながら。
楽しくない話が続くので、今度はさわやかな写真を。
畑で作業をしていると、飛行船が飛んできました。
思わず手を振る私~(笑)
ゴンザが母のことを気遣ってくれるのは嬉しいけれど、
彼女は人の好意を無にする名人で、
ついでに言えば、機嫌のいい我が子の気分をぶち壊しにする名人でもある。
そりゃあ、彼女に言わせれば、
「せっかくモデルが出来る容姿に産んでやったのに、
そのモデルだってやめちゃってさ。もったいない!」
ということなのかもしれないが、
私は今の生活が気に入ってるのだし、
『普通』が嬉しくて仕方がないのだ。
あ、そうそう!
キュウリグサの花が初めてちゃんと撮れたので、それも。
大好きな花だから、これまで何度もチャレンジしたけれど、
コンデジじゃあまりに小さすぎる花を写しきれなくて。
でも、ゴンザのカメラを借りたら.....ほら、ピンボケは免れた!(笑)
「これをしたら『ささくれ』が出来ちゃうから、やめておこう」
「これをしたらうなじが日焼けしちゃうな」
そんなことをいちいち気にしないで暮らす自由の喜びは.....
容姿が衰えるさみしさよりも、ずっと大きい。
どのみち人は年をとるのだ。
「別に普通でいいじゃん」
母の言うとおり、体重も増え、笑い皺だらけで、日焼けし、
本当に普通のおばさんとなった私ではあるが、
それが何か悪いことなのだろうか?
まあ、こんな書き方をすれば、
「ま、erimaさん、ずいぶんもともとの容姿に自信をもってらしゃったのね」
と言われそうだが、
実際はその逆で。
私は常にコンプレックスの塊だったし、
そもそも母や、
または自分が思いこんでいたほど、きれいでもなかったはずだ。
「なり果てた」姿でも、「楽しそうじゃないか」と、
こうして自分で自分の今を見ても思うのだ。
チャリで走りまわり、畑で遊び、大好きな人と猫と暮らし、
花や鳥や虫を愛でる。
これ以上の幸せがあるだろうか。
私はいつも、誰より普通の女で、普通のおばさんである。
そして、そんな私をゴンザは、
「人間らしくなってすごくいいと思うよ」
と、そう言ってくれており。
私はそれがとても幸せなのである。
「普通で悪いか」
アクセサリー扱いの過去よりも、今がいい。
私が再び母に会うのは、またしばらく先になりそうだ。