ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

人生いろいろ

2024-06-22 11:18:38 | 日記
なんでそんなことを考えたのか、自分でもよく解らない。
先日、デイサであの爺さんと談笑したからだろうか。この爺さん、これまで同じテーブルで何度となく顔を合わせてはいたが、談笑したのはこの日が初めてだった。
爺さんが語る与太話を聞きながら、私は、
「この爺さん、ボケてはいるが、只者ではなさそうだぞ。この人はどんな人生を歩んできて、今、ここにいるのだろう?」
そう考えたのだった。

昨夜は昨夜で、以前テレビで放映されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」をアマゾンの動画サイトで久々に見た。色恋とは無縁そうな主人公・平匡(星野源)の姿に、私は自分を重ね合わせ、そして思ったのである。「その気になれば、自分にもこんな人生があったのかもしれないなあ・・・」

そんな心の経験がどれだけ影響しているのか、自分でもよく解らない。私は久々に高校時代の友人Aのことを思い出し、そして考えたのである。

ーーあ、ここからは何かと差し障りがあるので、(AとBとの)仮定の話として先を進めよう。

Aは高校時代から、異性との交友に現(うつつ)を抜かし、青春を謳歌していた。受験勉強に身を入れることもなく、その後はどこかの三流大学に入学し、卒業後はどこかの中小企業に就職した。その企業で営業マンとして働きながら、仕事は腰掛け程度。「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように、ゆとりのある趣味三昧の生活を楽しみ、定年でリタイアしてからは、気ままにデイサ「観覧車」への通所を楽しんでいる。

他方、Bのほうは高校時代を受験勉強に明け暮れ、その甲斐があってか一流大学に入学することができた。卒業後は中央官庁に就職し、そこでもこれまで通り、ひたすら上をめざしてあくせくと働き、ストレスに悩まされる毎日を送りながらも、無事定年まで勤め上げた。
現役時代の疲れが出たためか、定年後まもなく身体を壊し、デイサ「観覧車」に通いはじめて今に至っている。
贅沢はできないし、そんな気力もないが、そこそこ安定した年金生活を送っている。

AとBとは同じ高校を出てから、それぞれ異なった道を歩き、今また同じデイサ「観覧車」で同じ時間を共有しているわけだが、さて、それぞれが歩んだ生活のうち、どちらが幸福だったと言えるだろうか。

Bは考える。「人生は一度きりだ。Aのようにゆとりある生活を送り、毎日、ちょっとした楽しみを見つけて、そんな自分に満足しながら暮らしたほうが幸福だったかもなあ・・・。俺は何のために、毎日、ストレスと戦いながら、あくせくと味気ない日々を送ってきたのだろう?
あくせく働いても、ゴールが同じ『観覧車』では、あくせくもがいた意味なんてないのではないか・・・」。

他方、Aは考える。・・・?。・・・?
はて、Aはどう考えるだろうか?「俺の人生は良い人生だった」と考えるだろうか・・・。

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