ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

エシカル就活について

2024-06-13 09:46:54 | 日記
「エシカル就活」という言葉をご存知だろうか。
「エシカル」は、英語で「倫理的」を意味する。これが「就活」と結びつくと、

企業の規模や知名度ではなく、環境問題や社会問題への取り組み、自分と企業の価値観がどれだけ合致するかなどを重視した企業選びのスタイルを指す造語

になるという(NHK NEWS WEB 6月7日配信)。

なるほど、今の「就活生」は、大企業かどうか、安定企業かどうかではなく、その企業が環境問題に取り組んでいるかどうか、社会問題に取り組み、社会に役立っているかどうか等々で就職先を決める傾向があるらしいのだ。
悪いことではない。自分の安定した暮らしよりも、「地球環境のため」とか、「社会のため」を優先する生き方は、むしろ素晴らしいことだと言えるだろう。

ーーと、まあ、ここまではよいのだが、考えなければならないのはここから先の問題である。べつに水をさすつもりはないが、このところずっとデイサでスキマ時間に読んでいる新書本『人新生の「資本論」』(斎藤幸平著)のことがふと頭をかすめたのである。

この本によれば、地球環境問題の元凶は資本主義の論理であり、限りなく成長をめざす「資本主義」そのものを打破しない限り、地球環境を守ることはできない。
とすれば、今の「就活生」がどういう企業に就職しようと、その企業が資本主義の論理に取り込まれている限り、地球環境に「やさしく」はできないことになる。
その企業が「我社はSDGs(持続可能な開発目標)を達成しようと頑張っています」などと口当たりのよいキャッチフレーズをかかげても、資本主義の論理にとらわれて「成長」路線を歩もうとする限り、その企業は地球環境に負荷をかけ続け、事態を悪化させていることになる。

就活生が「我社はSDGsを・・・」などという美辞麗句に誘われてその企業に就職したとしても、彼らは「資本主義の欺瞞」に騙された哀れな被害者に過ぎないのだ。

そんなことを考えながら、私は、自分が大学の卒業間近だった頃のことを思い返した。私はどんな企業にも魅力を覚えず、小説家になることを夢見ながら1年を無為に過ごし、仕方がないので結局、県庁に就職した。

一般の企業に就職しようとしなかったのは、「資本主義の欺瞞」に気づいていたからではない。ただ、自分は体質的に、企業が求める「モーレツ社員」にはなれないと思ったからである。そう思わざるを得ないほど、私には「グータラ生活」が垢のように染み付いてしまっていた。

コメント
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