「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(7)

2009年12月26日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
清国柳樹屯

子規の従軍は、結局は子供の遊びのようなもので終わった。
彼が日本を出発したときには、既に下関に李鴻章が来ており、講和談判が始まっていた。

いやいや、出てきましたよ。日本軍人。笑っちゃうほど、ステレオタイプ(笑)。
ある年齢以上のひとなら、もう、見慣れちゃって見慣れちゃって、なつかしささえ感じるキャラです。
昔TVとかでやってた「兵隊やくざ」とか第二次世界大戦ものには、絶対出てきてたキャラですよねぇ(笑)。
あえてここで出してきたNHKさん、その意気やよし!(by大山)です。
このキャラ登場には、ちょっとしたカラクリがあるのですが、それは評価のところで話しましょう。
もう、その存在だけで笑える。しかもレオ様(笑)。このキャラをレオ様がやってるってとこに、
また大きな意味があるんですね。それも評価のところで話しましょう(笑)。

いやあ、のぼさん、満面の笑み。もう楽しくって仕方ないって感じですが、これは、のちのちに起こるシーンでの
のぼさんの表情を際だたせるための笑みですね。そのできごとによって、大きく感情が振幅したという
表現をしたいがための笑みですね。


「日本人だ!」
と地元の清国人たちは、鬼でもきたかのように、散り散りになるわけです。まあ、事実鬼ですからね(笑)。
まあ、蜂の子を散らすというか、すごい反応です。軍人さん達は慣れてるから、どうってことないわけですが、
初めてそれを体験する新聞記者達は当然驚いたりするわけです。のぼさんもなんか不審顔(笑)。
まあ、軍人と新聞記者の一団は、そこに止まります。と、レオ様演ずる曹長さんが、ひとり前に出て、
これまたわかりやすい言説を述べます。

「この瓦礫とどぶの道がまさに」と言いながら振り返り、一番言いたいことを言います。
「征服者の道や!。今、清国の民草が、我ら日本人のために、最高の礼をもって、迎えてくれとる」

その通り!。素晴らしい。けだし名言ですねぇ(笑)。戦争とは政治の一手段であり、
征服を選んだのであれば、この状況がもっとも望んだ状況と言えますからね(笑)。

と、それを見つめている清国人達は不安そうにしております。

「まさに、はははは、快哉や、ははははは」

と曹長さんです。いやあ、素晴らしいね。よくできたキャラです(笑)。
とその言説に触れた我らがのぼさんは、違和感を感じます。非常な不審顔。当初とは
大違いですねぇ。この不審顔をより強調するために、最初笑ってたんですねえ。
と、のぼさん、新ためて気がついて、まわりにいる清国人たちをながめながら、ゆっくりと歩きます。
不安そうな清国人たち、それを見ながら、なんとなく別の思いが浮かんでいるようです。

「やめてくれ、もっていかないでくれ」
という声が聞こえます。まあ、支那語ですから、のぼさんわからないんですけど。
とにかく、好奇心旺盛なのぼさんは、その声の方に向かいます。

「それをもっていかれたら」と清国のおじさんです。
「うるさい」とどうも軍人が略奪を働いているみたいですね。戦利品を確保している、といった
あたりでしょうか。この頃の軍隊って、そこらへんの意識が普通にあって、
いくさに勝ったんだから、戦利品とるのはあたりまえ、だろ、という風に思っていたんでしょうね。

だから、今現在の感覚で、「そりゃ、普通にどろぼうだろ」という感じで見てはいけないんですね。
まあ、「普通にどろぼうだろ」、と思ってますけどね、そりゃ(笑)。

「もう、この村にはなにもない。すべてあんたらがもっていった」と清国おじさんが訴えるわけです。
「わしらは、一体何を食って飢えをしのげと言うんじゃ」とレオ様曹長にくってかかります。
もちろんここは、横暴にしなくっちゃいけませんから、横暴に「手を離せ」みたいな対応を
しております。
そうすると、副官みたいなのが、出てきて、清国おじさんの胸を銃床で思い切り突きます。
痛がる清国おじさんです。それを見ると、たまらなくなったのぼさんが登場。

「あーっ、兵隊さん、むごいことはやめんかね」といつものひとのよいのぼさんです。
と、近くにいた、小さい子供の頭をなで、
「にーらいにーらい」と言います。どういう意味?。と、今度は、汚い日本人の手に触らせられるか!
とばかりにのぼさんは清国おじさんに突き飛ばされます。まあ、そりゃ、普通の対応だわな(笑)。
「この子の親はお前らに殺された」と清国おじさんがまくしたてますが、のぼさんわかりません。
だけど、その表情で、わかるんですね。「うるせー、てめー、いいかげんにしろ!。しまいにゃ、泣くぞ!」
とか、言ってるように(笑)のぼさんには見える。人間の表情というのは、万国共通。そして、
誰でもわかるんです。

「いつかきっと、この子が親の仇を討つ」いやあ、この清国おじさんもすごい役者だね。ちゃんと怒っている感じが
伝わってきます。
と、それを見たのぼさんはショックを受け、
「何というたんぞね。今」とレオ様曹長に聞きます。で、このステレオタイプ軍人は、ちょっとだまったりしながら、
最終的には、わかりやすーい演技で(笑)
「日本の兵隊さん、ありがとう、と言うちょる」と、明らかな嘘を言うわけです(笑)。
「うそじゃあ。あのじいさん、かなり怒っとったぞな」とこれは、素直な反応ののぼさんです。
で、曹長さんは、新聞記者風情は、ガン無視で、歩いていってしまうわけです。
「ほんとは何と言うとったんじゃ?」と素直に聞くのぼさんですが、このセリフは、「あんた嘘ついたじゃろ」という意味でもあるんですね。
というか、曹長さんには、そう聞こえるわけです。
「嘘ついた」と言われて怒っている曹長さんは、振り向いてのぼさんに何か言おうとします。
しかし、何かそれについて言うと、自分が嘘をついた、ということを認めることになるので、何も言えず、また歩いていってしまうわけです。
その対応に不審を覚える素直なのぼさんは、「曹長さん、曹長さん」と続けるわけですが、
もちろん怒った曹長さんは止まるわけもなく、部隊をひきいて、歩いていってしまうわけです。あーわかりやすい(笑)。

のぼさんは、さっきの子も気になるし、清国おじさんも気になるしで、立ち止まってしまうわけですが、
軍人さんに、
「記者さん、私らから離れたらいかん。いつ何時襲われるかわからん。さ、行くで」
とたしなめられます。と、言われてもあまり事態を飲み込んでない、のぼさんは、さっきの子も気になるし・・・、
なんてやってると、周囲の視線にやっと気づきます。日本人をとりまく、清国人の目。
そして、はじめて事態がどういうものなのか、気づくのぼさんなのでした。って、遅いよ!(笑)。

夜、なんか食堂みたいなところで、夕飯の配分を受けていると、さっきの曹長さんがからんできます。昼間の仕返しというやつですね。ものっそわかりやすい(笑)。
「あんた。どこの記者や、まさか、日本ちゅう新聞社や、ないやろな?」って、知ってていやみいってんのかな?(笑)。
「ほうぞな、それがどうかしましたじゃろか?」と、悪怯れる風でもなく言い返すのぼさんです。
「仮にも日本新聞の記者やったら、もうちと、おのれのほへたにきぃつけんかい」「ほへた」って何?って感じですが、まあ、「しゃべり」ということでしょうか。
「日の丸背負ってる兵隊さんに対して、嘘つきとはなにごとや、あほんだら!」とさっき思ってたことを思わず口にしてしまうんですね。ま、この時点で、
嘘ついてたことを自分で認めたようなもんですが(笑)。
「あほとは、何ですか!。いくら曹長でも暴言は許さんぞな」といつもののぼさんです。かっこいーね(笑)。
「お前ら御用記者風情がなあ、黙ってわしの言う事書いとったらええんじゃい。えーか」いやいや、ここらへんレオ様ちゃんと迫力だしてますな(笑)。
「日本の兵隊さん、ありがとう、これでいいんじゃ」と一瞬メガネの存在のおかげで、つるべーさんに見えましたが、いやなかなかおもしろい。大笑いです。
「でたらめも大概にせんかい。あしは、あしは支那語はわからん」とまわりの新聞記者にとめられてますけど、動じないのぼさんです。
「じゃがの、あのじいさんがひとつもありがたいとおもうておらんのはわかるぞな」言うべきことはきちんという、すばらしいね。
「じゃかしい。あーもーいー(ここらへんわからん)、叩っ斬るぞ」と激昂した曹長さん、背中の刀に手をかけます。どうでもいいけど、ジムみたいだな、あれ(笑)。
「まあまあ、大人気ないですよ。日本からのお客さまを相手に」とここで、「トリビアの泉」で愛の武将に扮したこともある、榎木さんの森鴎外登場!。いやいや、
このひとは朝のテレビ小説「ロマンス」以来だから長いよねぇ。若いときから美男子でしたからねぇ。ダンディです鴎外さん。って、漱石さんとこんなに年齢違ってた?
って、調べてみると、5歳しかちがわないんだけど?今明治28年だから、1896年とすると、鴎外36歳、漱石31歳か。これで36歳かあ、まあ、
なんとか、ギリギリセーフか。子規が鴎外訪れてるのは史実みたいだね。実際は子規が訪ねてあいさつしたそうだけど(笑)。

「君も持つものが違う。脇差しじゃなく、ペンでしょ」ってのぼさん、脇差しなんて持ってたんだ。まあ、元武士だしね(笑)。
「君はひょっとして、日本新聞の正岡くんか?」と、まあ、ここはご都合主義で(笑)。
「はい。ひょっとして、あなたは」と驚きながらののぼさんです。
「兵站軍医部長の森林太郎です」いや、この若さですごいね。まだ、36歳ですよ(笑)。まあ、それだけ鴎外さんがすごかったっていうことだね。

というあたりで、解説書いちゃいましょう。
話題になった、このレオ様曹長。
まあ、この人物は創作ですから、制作陣になんらかの意図があるわけです。丸メガネで、刀を背中に背負い、軽く小太り。
この人物を見れば分かる通り、典型的な第二次世界大戦時の悪者日本軍人的風貌と行動を示しました。おかしい?と思いませんか。
だって、まだ、明治なんですから。軍人はいつでも同じだ?。鴎外全然違うでしょ。好古の周りにも、大山さあの周りにも、淳さんの周りにも、全然いない。突然ここだけに、出てきた。それは、どういうこと?。
つまり、この人物は、表向き、日本軍人の横暴と、清国人の出会った哀しみを描いているように見せかけて、実は、
こういうキャラをつかって、反日の思想や、単純な戦争絶対反対主義的風潮を広めたり、押し付けてきたひとたち、そして、「坂の上の雲」の制作の
邪魔をしてきたひとたちを笑ってやろう、という意思の元につくられたキャラなのです。
今や日本人全員が何かを批評する場を得ていると言っても過言ではありません。ネットとパソコン環境さえそろえば、
作品に対する批評の場をブログとしてもてます。そういう時代にあえて、彼らのやってきたことと同じことをやってみたら、
どうなるか、という壮大な実験を「坂の上の雲」の制作陣は、あえてしたのです。こんなリアルさのかけらもない批判のためだけにつくられた、あいつらの考えた、ダサイだけのキャラクター。それが今これだけ発達した批判の場に耐えられるのか。はっきり言って陳腐です。おお笑いです。ネットで散々叩かれているようです。
それは、とりもなおさず、こういうキャラを使い、反日の思想や、単純な戦争絶対反対思想を広めてきた人間達が、叩かれているのと同じなんです。
「こんなキャラ使ってたんだよ、陳腐だよねー、やることが。こいつら、アホだよねー、ほんと笑っちゃうよねー」と言って笑ってるのが、制作陣のわけですよ。
だから、このキャラは単なるピエロなんです。彼らを笑うためのツールに過ぎないんですよ(笑)。

戦争はおこしてはならない、と艦砲射撃のシーンのレビューで書きました。その思いは同じですし、戦争反対は皆普通に思うことです。
ですが、だからといって、戦争を連想させる映像を放映できないようにする、というのとは、全然別の立場です。

戦争絶対反対だから、特定の映像を放映させないという他人の見る権利知る権利を犯してまで、
自分たちの意見を押し付ける態度というのは、普通におかしいと思うんですけどねぇ。それは、特定の映像をみると、戦争賛成の人間が
できてしまうから、という考えからでしょうが、視聴者を馬鹿にするにも程がある、というものです。

はっきり言って、そういうひとたちは、思考停止者です。考えることをやめている。自分の信じているモノこそ絶対として、
それを他人に押し付けるだけ、それがいかに問題かなど、考えることをやめているんです。

「ひとは、考えるあし、である」という有名な言葉がありますが、逆にいうと、「考えないひとは、ひとではない」とも言えます。
そうです、考えないひとは、ひとですらないんです。

そういう思考停止者は、もう、ひとですらない。だから、せめて、笑ってやろう、というんです。

これは、「坂の上の雲」制作陣が、しかけた罠です。そう、ねずみ公使のごとく、果し合いの気分で、反日思想家や、戦争絶対反対主義者に
放った刺客なんです。このキャラについて、どういうコメントをするかで、そのひとの程度が知れてしまう。
彼らは、このキャラを描いたことについて、一定の評価をするでしょう。しかし、それは自分たちが笑いモノになっているのに、気づいていないか、
気付いていないふりしかできないことに地団駄を踏んでいるかのどちらか、ですね。そして、そういう一定の評価を彼らがコメントすれば、
「あいつら、笑われていることに気づいてないよ。やっぱり思考停止者だよ。笑えるー」と制作陣から笑われてしまう、ということになるんです。

そういう思惑のもとに、このキャラが創作され、演じられたのです。非常によくできた、「お笑い」システムです。

演じたのが、レオ様ですよ。まあ、いろいろあれなひとですが、記号的なモノでかんがえれば、その声から察せられるのは、ソフトな感じとか、
やわらかなイメージです。つまりこのキャラを本気で当時の軍人を批判するつもりで描くなら、本来、六平直政さんとか、ガッツさんとか、
割とそっち系なイメージの役者を使うはずです。そこにレオ様ですよ。ソフトイメージで、「これはポーズだからね。本気にしないでね(笑)」と
制作陣は言っているんですよ。レオ様も制作意図を知っているから、全力で嫌われる昭和軍人を演じたんですよ(笑)。きっと(笑)(知らないけど(笑))。

だから、こんなキャラで運動してきた思考停止者を素直に笑えばいいんですよ。「なんでこの役をレオが?」と誰だって思ったはずです。
理由はそこにあるんです。

NHK、なかなかやるな!(笑)。その意気やよし!(by大山さー)。

今や、肩書など、すでにこの世の中では何の意味もない。思考停止者か、そうでないか、だけが評価の対象です。
東大の教授だろうが、高名な研究者だろうが、何の意味もない。評価点は、唯一、「思考しているか、していないか」だけなのだ。

時代は急速に動いている。

思考停止したら、いけんよ(笑)。

さて、このシーンでは、何を表現したのでしょう。
というわけで、表向き、日本軍人の横暴。清国人の悲惨さ。それをのぼさんをうまく使って描いているという感じですか。
でもまあ、裏の意味は、そういう意味ですから。だって、このキャラおもいきり、浮いている。
それまで、日本人としての美徳的には、・・・と書けていたのに、ここではまったく逆ですから。
それだけ、制作陣の意図的なシーンだったということですよ(笑)。罠です(笑)。

第二軍軍医部長 森林太郎

明治の文豪森鴎外である。

「亡きひとの骸を隠せ春の草。正岡くんらしい写実の句だね。簡潔だ。だからこそ胸をうつ」しかし、あの本はそれっぽくつくってあるね。なんか微妙な感じがいい(笑)。
「あしは俳句復活のたいまつになろうとしております」ここらへん、いつもののぼさん節だね。ちょっとうれしいね(笑)。
「君が新聞に連載していた、「芭風紀行」も「後知らずの句」もよく読ませて頂いた」ほうそうなんですか。
「あしも先生の翻訳された「クラウゼヴィッツの戦争論」を読ませて頂きました」おう、俺も読んだぞ、昔(笑)。いいねえ、こうやって言い合えるのって。
「君はこの戦争の現実をどう見ました?」文学者同士ですからね。素直に聞きたいでしょうねえ。
「日本が勝ててよかったと思うております」いろいろな思いがありながら、結局そうなりますねえ。あの、清国の惨状を見れば。
「勝つには勝ったが犠牲も多くでた」日本側も同じということですね。
「現実はこうだ。今回の戦死者およそ8千。そのうち3分の2は病死じゃ」いくさで死んだわけじゃないんですよね。
「脚気、赤痢、コレラ、凍傷。我が軍は戦わずして悲惨な病に倒れた」戦わずして病というのが、つらいですね。あれ?確か鴎外って脚気の原因を誤って主張して、それで脚気患者たくさん殺したんじゃなかったっけ?。
「残念ながら、我が軍の医療体制の不備をさらけ出すことになってしまった」問題点が指摘されたということでもありますね。
「自分の医者としての無力さを思い知らされました」結局自分の反省になってしまいました。
「森先生は、この戦争をなんじゃったとお思いですか?」と、逆に聞いてしまう、のぼさんです。
「主題ですか?」さすが文学者。
「あ、はい」とのぼさん。
「我が連合艦隊の伊東司令長官は、敵の提督丁汝昌に、君たちは戦後、日本の維新を手本にして」とのぼさんにお茶をいれながら、
「国を作り直すべきだ、という降伏勧告文を送ったらしい」と感慨深げな鴎外さんです。
「じゃが、丁汝昌は毒をあおって、自決したらしいと聞きました」とさすが従軍記者です。
「維新と文明開化の輸出と売り込みってところですかね」とここらへんは、司馬さんの書いているとおりです。
「維新と文明開化の」とのぼさん、よくわかりません(笑)。
「不思議な親切。その不思議な親切さは、朝鮮にも向けられておる。彼らにしてみれば、余計なお世話じゃあ」なるほど、余計なお世話程度の話だったんですね。
「そういう戦争の本質から目を離して、やたらと戦意を煽る新聞は罪深い」とそれは確かです。
「正岡くんの書く従軍記事なら、写実じゃないと、困るよ」ちゃあんと写実を指摘する。さすが文学者ですな。
「はい」ちゃんと自分が思っている一番大切なことを指摘されて、のぼさん、ちょっとうれしいです。そして、鴎外さんもにっこりです。
「亜細亜の国同士の小競り合いは、ひとまず終わりました。じゃが、大清帝国が眠れる獅子ではないということが」と解説口調の鴎外さんです。
「知れ渡ってしまった以上、あとはロシアや、イギリス、フランス等の西洋列強の餌食になって、滅びていくしかありませんね」と現実を聞き、ちょっとよくわからない
のぼさんです。というか、この事実を解説する口調が榎本さんが昔演じていた「浅見光彦」を彷彿とさせてちょっとおもしろいですな(笑)。なつかしす(笑)。
「急患です」という言葉が、まるで清国を指しているようです。
「おう」と鴎外さん、医者でした(笑)。

帝国主義の時代である。列強は、常に牙から血をしたたらせている食肉獣であった。

さて、このシーンでは何を表現していたのでしょう。

のぼさんと、森鴎外という二人の文学者の見た、日清戦争というところでしょうか。
もっとも鴎外ばかりが話してますが。戦争で死んだ人間の3分の2が病気だったこと、という事実。そして、維新と文明開化の輸出という司馬さんの話を
出し、日清戦争の意味を提示している、ということでしょうか。そして、清国の行き先を鴎外に言わせている。
ある意味、解説ですね。アゲもサゲもない。日本人の美徳もない。ただの解説シーンとして、とらえておきましょう。

子規の従軍はほんのひと月余りだったに過ぎない。
5月14日、他の新聞記者達と共に、大連港で、佐渡国丸という船に乗って帰国の途に登った。

「正岡、甲板にあがってみろ、鱶がいるぞ」
「鱶?」とあれはイルカにもみえるが、よくわからない。
というより、のぼさん、急に喀血です。まわりの新聞記者にもひっかかります。
以前の喀血に比べ、量が多い。海を見つめるのぼさんの表情が暗い。そして、泣きそうです。なにか、暗い未来を暗示させるのぼさんなのでした。

と、とりあえず、今回はここまで。

いやあ、いろいろと問題のシーンがありましたが、やっとここまできました。
しかし、レオがピエロだったとは(笑)。
その意気や、よし(笑)。

ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

それでは、次の投稿で、お疲れ様でした。


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