「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

同じ気持ち

2009年12月30日 | ドラマについての小ネタ
ってなわけで、年賀状を書くのにも飽きてきたので、ちょっと気分転換に原稿などを(笑)。

なんか、押し詰まってきましたねぇ(笑)。

なんか、家族は台所で、わいわいやってるので、

こそーっと自分だけ、こそこそとPCの前に(笑)。

もう表情も、「俺知らんもんね」的な表情で(笑)。こういうの得意ですから(笑)。

ま、無用な突っ込みをいれられる前に、書きたいことだけ、書いちゃいましょうかね(笑)。


で、何か、というと、「「日清開戦」について、よくもあれだけ書きよったな」、といろいろ言われるので、

まあ、「評価」のところで、「自分なりの評価方法を確立したかった」とその思いを書いたんですけど、

まあ、それは、表向きの考え方で、それ以外にも実は思っていることがあったんですよねー、ということについて、

書きます。まあ、ちょっとした雑談、ということになりますかねぇ(笑)。


まあ、このブログを立ちあげて、「坂の上の雲」スペシャルドラマのレビューを始めたわけですが、まあ、ドラマだけ見てるのも、

あれだし、ってんで、原作を引っ張り出してきて、ほんとに久しぶりに読み始めたんですね。もう、ほんと10何年ぶり(笑)。

そいで、こう、スペシャルドラマが進むのに合わせて、読んだりしていくうちに、自分の中は、もう、「坂の上の雲」で

一杯になって・・・って、言うほど一杯じゃないけど、そのドラマ世界に親しくなったわけです。

なんて、やってたら、自分の中で、大きく育ったのが、いわゆる、のぼさんなわけです。素直に感情を表現するのぼさんが、どんどん自分の中で、

大きくなりまして・・・、まあ、いわゆる好ましい存在になったわけですね(笑)。

そいで、まあ、スペシャルドラマを見ながら、さらに原作も読み進むうちに、「はた」と気がついたことが、あるんです。

のぼさんも、いろいろなことを試しながら、俳句につきあたる。そして、その俳句の世界で、なにかを見つけるために、散逸していた、

過去の句集をかき集め、それら全てにあたり批評をくだすことで、自分の実力を培い、「写生こそ命」という句境に至った。

それを見ていて、これは、自分のやってることとなんとなく、同じ部分があるのではないか?といつしか思うようになっていたんです。

スペシャルドラマのセリフを全て起こし、そのすべてにあたることで、その内容を吟味し、制作陣の意図を感じ取る作業。

それを進めることで、レビュアーとしての能力を培い、いつしか新しい境地に立つことを望む自分、と。

いつしか、自分の中に育っていたのぼさんが、そんな自分を見て、こうささやくのです。

「あしと同じことをしてるだけじゃー(笑)」

(大丈夫か・・・俺?(笑))

ふと、そんなことを思って、「そうだ、俺、のぼさんと同じことをしている・・・」

と思うようになっていたんですねぇ。

そして、もうひとつ。このドラマを見始めて、そして、原作を読み直すことで、思ったのは、

「明治人ってのは、どんだけ、生きるのに、必死だったんだ?。いつも全力、すげえよなあ」

ということです。いわゆる、羨望の眼差しで、眺めていたわけなんですねぇ。

というのも、自分の世代は、よく他人に、「しらけ世代」などと言われ、ある意味、全力で事にあたることを、

「ださい」とか「かっこよくない」とか、敬遠していた世代でした。まあ、若い頃は、その態度こそ、かっこいいと勘違いし、

多くの成長の機会を逃してきたものです。でも、今になってわかるのは、その態度は、その瞬間瞬間こそ、かっこいいかもしれないけれど、

人間の健全な成長を阻害する以外、なにものでもない態度であることを、今では痛感しています。誤った態度なんです。


こんな風潮を作ったのも、その当時放映されていた、地上波によるものですが、それからもわかるように、TVなんて、有害以外なにものでもありません。

まあ、自分がTV、特に地上波を否定する立場に立っているのも、そういう何もわからない若い時代に、簡単にTVに騙されていたということが、

年齢を重ねてようやくわかってきた、というところにあるわけです。まあ、日本人というのは真面目ですから、なにかの目的を任されると全力でやってしまいますからね。

TVの製作者達も広告主のために全力をつくしますから、ああいった、おかしなことも堂々と主張してしまうんですね、広告主のために(笑)。

だから、好古じゃないけど、自分ができあがらない人間は、TVの地上波さらに民放などは、見ない方がよいのです。

まあ、安易な娯楽対象ではあるし、20代の終わりくらいまでは、熱心なTV信者でしたけどね。


んで、その「全力で生きる」ということに、感銘を受けてきたわけです。まあ、「坂の上の雲」のヘビーウォッチャーですから、

簡単に影響を受けるわけです。それで、自分も「全力で生きたい」願望がつのり、そのひとつの試みとして、このドラマのレビューに全力を傾ける気持ちで、

ああいう、「セリフの全抜き書き」「すべてを一つのセリフから感じてみる」「すべてのシーンに対して考察を加える」「自分なりの評価基準をつくる」

という行動につながったのです。そして、その行動につながった理由が、もうひとつあります。

それは、真之の行動です。まだ、本編では、それほど、真之は活躍していません。まあ、その活躍期は、後半になりますから、あたりまえなのですが、

その「智謀湧くがごとし」と後年言われるようになる人間をつくりあげるのは、彼が古今東西の全てのいくさに対して、レビューを加えてできあがった、

彼なりの独自な考え方にあったんだそうです。まあ、原作にそう書いてあったわけです。海のいくさだけでなく、陸戦についても、すべての戦いについて、

そのレビュー範囲をひろげ、すべてのことにあたり、自分なりの方法論を確立したそうなんです。

わかりますよね、これ。

のぼさんと同じなんです。すべてのことにあたり、レビューを加えることで、自分なりの方法論を確立する。

そして、そのことに刺激されたのが、自分なんです。

だから、ああいうレビュー態度になり、自分なりに評価基準をつくっているんです。

要はのぼさんや、真之のものまねなんです(笑)。


「全てのものごとの最初は、まずものまねから、入る」

とは、よく言われることです。

そういえば、今回「留学生」の回で、のぼさんが、

「ヨーロッパは16世紀において、お互いの国がものまねしあった。日本はそれが、19世紀になっただけじゃ」

というようなことを言っていましたね。

そうなんです。ものまねから入り、最終的に、自分なりの新しい方法論を打ち立てるのが、もっとも理想的なやり方なんです。

そんなのぼさんの「はげまし?の声」を聞きながら、自分は、レビュー記事を書いてきたのです(笑)。

だから、今、自分の中に、のぼさんが、住んでます(おいおいおい(笑))。

なので、レビュー記事を書いていると、

「そこは違うぞなもし。もっと違う表現で書かないと読んでいるひとに不親切になるぞな、もし」

などと、ささやく声が聞こえたりするのです(おいおいおい、やばいよやばいよやばいよー(笑))。

「そういう風に、私のゴーストがささやくのよ」

なんて、有名なセリフもありますが、今、自分のゴーストは、のぼさんに設定されているわけです(笑)。

「次、30メートル先、右折です」

とか、いうナビみたいに(笑)。

そして、生きることに「全力であたろう」という気持ちが日増しに強まっています。

「全ての時間を全力で使いきり、無駄な時間など、一切もたない」

という思いが強いです。そのおかげで、このブログにも全力であたっているのです。

まあ、有名な動画ですが、

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4660488

の修造くんのように、自分もどんどん熱くなっています。そして、理解されないことを悩んで・・・は、いないな(笑)。

そして、考え方が、サムライのようになってきています。

攻撃するべきは、攻撃し、柔軟な発想で、いつもしなやかにし、硬軟自在にしている。

いつでも、果し合いができるようにしておく。

そのための準備はおこたらず、事にあたって、しぶとい。

そう。東郷さんのような、あり方になりたい、

と、自分は思い始めているのです(笑)。

どんだけ、「坂の上の雲」に影響されているんだよ!(笑)。だって、ヘビーウォッチャーだもん(笑)。

「それでええぞな、もし」

そう、のぼさんナビが、笑いかけてくれます(おいおいおい)。


ま、言ってみりゃ、そんな感じかなぁ、と年末の押し詰まった我が家で、こたつに入りながら丸くなって、濃いお茶をすすって、パソコンに向かって、

そうつぶやいてみる、自分なのでした(笑)。

もろ、影響うけまくりー(笑)。

笑っちゃうね。


ではでは。


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