「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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「日清開戦」の構造とまとめ

2009年12月27日 | ドラマについての小ネタ
本作品の構造的特徴について、述べたいと思います。

まず、冒頭におかれるのが、東郷提督を主人公とした、
「高陞号」撃破のシーンであります。

このシーンにて、まず、本作は、日清戦争開戦は、日本としては公正な態度であり、
国際法的にも、理にかなった開戦であったことを主張しております。
それに対して、清国側は、イギリス人を人質にとるような、悪辣なあり方があったと、
非難する立場をとっています。
さらに、いくさの勝利者としての、東郷及び日本を描くことにより、視聴者の気分を
まず、盛り上げています。

本シーンと対になるのが、真之が航海士として、乗り込み砲台に対して、艦砲射撃を実施した
シーンを描いた、「艦砲射撃のシーン」です。
真之らは敵砲台に対して、艦砲射撃を実施するが、艦側も相当な被害を受け、
真之も信頼していた原田水兵以下を亡くします。それは、敗者の風景であり、戦争の実際の悲劇が
描かれています。このシーンに対して、真之と部下との団欒及び信頼関係を描いたシーンが、
その直前にあり、この2つのシーンと、冒頭の「高陞号」撃破のシーンが、いくさの勝者、
敗者という描かれ方で、対となり、本作の強い背骨となっています。

冒頭の「高陞号」撃破のシーンに連なるのが、問題の処理のその後の有様を描く、
「日本首脳の困惑」、「ねずみ公使」、「権兵衛による査問」シーン
となります。この一連のシーンにより、列強に対して侮られない外交の実施、清国をリードする外交の実施、
東郷の正当性の確認、が語られていきます。この流れは、日本と東郷が主人公となって、語られています。

その後、今度は日本陸軍、秋山好古率いる歩兵隊と、騎兵隊の活躍が語られます。
まず、好古と部下たちの風景が描かれ、好古がその戦略的能力が高いことが語られます。それは、大将である
大山も認めるところであります。さらに、好古が部下より慕われている風景が描かれ、その人望の厚さが描かれています。

風景は、まず、好古の幕下の部隊が、前進するところから描かれています。突然巨大な敵部隊と遭遇、
最初からまず、不利で、さらに、ひどくなるが、好古は戦場酒に酔い、そして、潰走した部隊を
立て直すために、たった一騎にて、前線に出て、部下たちを叱咤激励し、酒まで飲み干すパフォーマンスにて、
その立て直しを図ります。部隊の士気は復活し、攻撃力も復活しますが、敵軍主力が押し出してきたため、撤退します。

未だ、整備途中の中途半端な陸軍と騎兵という印象を残します。

しかし、一方で、当初の敵であった、旅順要塞は、日本陸軍の手により、たった一日で陥落させられたことが語られます。

もう一方の主人公である、文学者のぼさんは、俳句革新の旗頭として、主に蕪村の再評価の仕事を実施しています。
しかし、国家への恋心やまず、従軍することを、その師、陸羯南に申しでます。陸は、子規の体調を心配し、
これを認めませんでしたが(「新聞日本での日々」シーン)、ついに従軍を許可します(「従軍許可」シーン)。
清国に渡ったのぼは、その眼で、清国の悲惨さを見ると同時に、日本兵の不遜さにも出会い(「従軍により見たもの」シーン)、
戦場で出会った森鴎外と親しく話します。鴎外は、日清戦争の結果について、解説し、
いくさより、病気にて失った兵が多いことを嘆きます(「鴎外との会話」シーン)。
のぼは、帰国しますが、その帰国途上の船で、再度、重度な喀血を起こしてしまいます(「帰国途上の喀血」シーン)。

「艦砲射撃のシーン」に続き、真之の心情を語る「軍人であることへの懐疑」シーンがあり、これにより、自信を喪失し、自身が軍人に向いていないのではないか、
とする懐疑をもつシーンが語られます。真之は部下を失ったことで、傷つき、深い懐疑の闇に落ち込みます。

その「軍人であることへの懐疑」シーンにに続き、連なるのが、最終シーンとなる、「東郷との再開」シーンであります。
自信を失った真之は、「高陞号」を打ち破り、「権兵衛による査問」でその将たる能力を絶賛された東郷により、癒され、
新たな道を見出し、自信を取り戻します。そして、この二人の再開シーンは、未来への予兆を提示し、
終了となります。物語の本筋は、「高陞号」撃破のシーン、「艦砲射撃のシーン」、「軍人であることへの懐疑」、「東郷との再開」シーンであり、
別の流れとして、「のぼさんの流れ」「好古の流れ」が並列に流れています。

今回は、「のぼさんの流れ」で、若干違和感のある、シーンが続いたものの、構造的には問題ないと考えています。

「のぼさんの流れ」は、「新聞日本での日々」「紅葉うち」「従軍許可」「従軍により見たもの」「鴎外との会話」のシーンで表現されています。
「従軍許可」のシーンでの、母親の指摘シーンに問題があった他、「従軍により見たもの」に登場する日本兵が、なぜか、昭和の兵であった、
問題がありますが、それ以外は、問題はなかったと考えています。

「好古の流れ」については、「好古と部下」のシーンと、「好古前進」のシーンのみの構成であり、今回はシンプルな構成となった感があります。

その構造について、まとめると、

まず、全ての前提として、日本の日清戦争開戦の正当性を主張した「「高陞号」撃破のシーン」が存在します。
そして、日本を主人公とする、「日本首脳の困惑」「ねずみ公使」があります。
次に、東郷を主人公にする「権兵衛による査問」が続きます。

真之については、「部下との団欒」「艦砲射撃」「軍人であることへの懐疑」「東郷との再会」(ラストシーン)という流れであり、

のぼさんについては、「新聞日本での日々」「紅葉うち」「従軍許可」「従軍により見たもの」「鴎外との会話」「帰国途上の喀血」という流れ、

好古については、「好古と部下」「好古前進」

となっており、のぼさんについて、比較的多く語られたことが、わかります。

一連の流れをみて、まとめると、

日本が、日清戦争を起こした理由は正当であり、国際的にも問題はなかった。清国側は事態を甘くみており、兵の士気も低く、結局敗残した。
東郷は、「高陞号」を国際法的に適性な手順を踏み、撃破した。その将としての資質についても激賞された。
真之は、今回、いくさに従軍し、部下を失い、自信を失うものの、東郷との会話により、自信を回復した。
のぼさんは、俳句革新運動を進めながら、日本国家に恋し、従軍し、いろいろな現実をその眼で見て、帰国途上で喀血した。
好古は、部下から信頼される、戦略眼もある将であるが、未だ、陸軍及び騎兵の発展は、中途半端だった。

となりますね。

のぼさんは、その死が近いから、真之や好古より、分量が多めなのでしょう。少し寂しい気もしますが(笑)。






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