蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

生存確認

2020年11月12日 | つれづれに

 戸建てばかりの小さな住宅団地である。20年前から6年間自治会長を務め、全ての世帯の住民台帳を管理していた。子供たちから高齢者まで、道端で会う人たちのほとんどが顔見知りとなり、「どこで倒れても大丈夫だね!」と軽口を叩くほど、住民同士の交流があった。
 住民の訃報は組長を通じて自治会長に届けられ、すぐに享年、通夜葬儀の日時を全世帯にメモとして配布、交流の密度に応じて、それぞれが仏事への参列などを行って来た。

 個人情報に煩くなって以来、徐々にそんな情報交流が薄れていった。そして、ここ数年で、殆ど町内の訃報を知ることがなくなった。今年、一段と「誰にも言わないで!」という訃報が、ひそかに囁かれることが増えた。コロナのせいばかりではないだろう。
 気功の集まりで、メンバーが耳にした訃報の噂をまとめてみた。今年になってから10月までに、既に12人が物故者となっていた。私が担当した6年間の物故者は36人、年平均が6人だから、その倍!ほぼ10軒に一人が亡くなっていることになる。しかも、昨年から歴代自治会長が3人も亡くなった。年齢的には次は我が身と思うと、さすがに少し滅入るものがある。
 高齢化、世代交代が進んでいるだけの当たり前の現象ではあるが、あまり気持ちのいいものではない。

 コロナ籠りが、一段と人と人とのナマの交流を希釈していく。特に高齢者にとっては、人との交流が断たれることは、認知機能の劣化につながる由々しい事態である。まして、情報弱者と言われるアナログ人間が多いから、若い人たちのように、ネットの中で世界を広げることも出来ない。
 我が家は、カミさんと二人共そこそこにパソコンとスマホを使いこなして(?)いるが、所詮は指先でつながる小世界であり、ナマの交流とは比べようがない。気が短く、弱くなっていく自分を感じながら、狭い日常生活圏の中で、マスク・手洗い・うがいを重ねる短い余生を愛おしんでいる。

 そんな老親の日常を心配して、長女が横浜から「生存確認」にやった来た。昨年亡くなった私の妹の一周忌の日、丁度1年振りの帰省だった。(その一周忌も、時節柄お寺が合同で執り行い、参列者は家族だけに制限されて行くことが出来なかった。)
 航空券だけ買うより、ホテル1泊付きの方が安くなるという不可解な仕組みを使い、福岡市内のホテルで「自分一人の時間」を楽しんで、翌日やって来た。

 パソコンとスマホの「情報弱者サポート」だけでほぼ一日分の時間が費やされる。高いところがついつい疎かになる年寄り所帯の台所周りの片付けや掃除など、てきぱきと済ませてくれた。おそらく私の母の時代からと思われる、昭和時代のベーキングパウダーが戸棚の奥から出てきて、これはもう笑うしかない。
 横浜から立川まで、電車を乗り継いで1時間半の通勤をこなしている娘である。コロナへの感染対策は徹底しているから、微塵も心配はしなかった。それでも、食事の時以外は家の中でもマスクを外さない徹底振りだった。

 親として感謝の気持ちを表すには、結局美味しいものを食べさせるくらいしか出来ない。歩いて10分の近場にある、糸島の新鮮な魚を食わせてくれる店で、河豚のフルコースを奢った。鰭酒から始まって、刺し身、唐揚げ、ちり、雑炊、デザートで五千円ほどという、都会では信じられないほどの値段である。刺身も、絵皿の下地が透ける薄造りではなく、豪快な厚切りの歯ごたえがたまらない。下戸なのに、このコースの香ばしい鰭酒は外せないのだ。

 冬が立った。驚くような速さで、師走が走りこんでくる。
                    (2020年写11月:写真:河豚刺し)

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