蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋風立つ

2014年09月10日 | つれづれに

 雨の8月が去り、ようやく訪れた快晴。空を行く雲は、早くも秋の佇まいだった。入道雲を殆ど見なかった夏。熱中症で運ばれる救急車のサイレンが激減した夏、庭のいたるところに緑色の苔が生えた夏、日照時間が1980年(昭和55年)以来、史上2番目に少なかった8月、降り続いた雨は462.5ミリに及んだ。身体中に黴が生えそうなほどの、濃密な湿度に喘ぐ毎日だった。
 だから、朝晩吹き始めた秋風の先駆けがいつになく爽やかに懐かしく感じられる。夜毎蟋蟀の声が冴えわたる季節である。エンマコオロギ、ツヅレサセコオロギ、ミツカドコオロギ……それぞれの音色で、秋の夜長を少し切なく紡いでいく。我が陋屋を「蟋蟀庵」と名付けた所以である。

 庭木の山茶花に、チャドクガが異常発生した。雨続きで遅れに遅れていた消毒に、出入りの植木屋がすっ飛んできた。
 ネットに曰く「毒針毛は非常に細かく、長袖でも夏服などは繊維のすきまから入り込む。直接触れなくても木の下を通ったり、風下にいるだけで被害にあうことがある。またハチの毒などと違って幼虫自身の生死に関わらず発症するので、幼虫の脱皮殻や、殺虫剤散布後の死骸にも注意が必要である。被害にあったときに着ていた衣服は毒針毛が付着しているので、取扱いに注意する。成虫も毒があり、卵塊は成虫の体毛に覆われているので、幼虫の時期のみでなく年間通じて注意が必要である。」
 虫好きとは言っても、ありがたくない客である。

 更に曰く「毛そのものに毒があり、非常にもろく折れやすいため、痒みを感じて掻き毟ることで知らぬ間に断片が細分化・伝播し、腕全体や体の広範囲に発疹が生じる場合が多く予防も困難である。毒針毛の知識をもたず、単に蚊に刺された程度と軽く考え、ほうっておくとだんだん全身におよび、痛痒感で眠れなくなる。発熱やめまいを生ずることもあり、そのままにしておくと長期に亘ってかゆみが続くので、速やかに医師の診察を受けたほうが良い。…一般市販薬ではまず効果はみられないので、症状が重くなる前に迷わず医師の診察を受け処方薬を使用するのがよい。」(中学時代に飼育箱で飼ったことがあった。大胆にして無謀!侮るには恐ろしい毒虫である。)
 
 散布後、山茶花の枝から300匹ほどの幼虫が落ちた。死滅後も、毒針は風に舞うから、皮膚が弱い家内には、当分山茶花に近寄らないように言い聞かせた。
 犠牲もある。消毒剤を庭中に散布したから、八朔の下でアゲハの幼虫が1匹、松の木の下で名前を知らないイモムシが4匹、スミレの鉢の傍でツマグロヒョウモンの幼虫が1匹落ちていた。コオロギの声も暫く途絶えるだろう。

 仲秋の名月。空は見事に晴れ上がり、石穴稲荷の杜の上から綺麗な満月が昇った。昼間、思い立ってススキを探しに走った。竈神社の脇を抜けて細い田舎道を走り登る。ない。内山、北谷辺りの人影のない山道を走り続けたが、やはりない。一旦戻って、四王寺山に駆け上がった。林道をひたすら走ったが、ススキの影も形もない。頂きを越え、宇美町方面に下り切ったところで、ようやくひと群れのススキを見付けて車を停めた。

 眩しい夕日に目をそばめながら走り戻り、玄関先の泡盛の甕に差した。秋が来た。

 あまりに美しい月の姿に、300ミリの望遠を嚙ませたカメラを向けてみた。微かに映るウサギの餅つきが、月の神秘をうかがわせる。あそこに人類が下り立った……なんてことは、今夜は思い出したくない。「影踏み」という遊びを記憶の底から呼び醒まして、かぐや姫と戯れるひと夜としよう。
               (2014年9月;写真:仲秋の名月)

<追記>
 生成りのヒガンバナが立った庭に、七色に輝くハンミョウが還ってきた。虫たちの命は逞しい。軒先に吊るした唐辛子の真っ赤な色が、一段と冴える朝である。

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