蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

梢の向こうに

2014年05月19日 | 季節の便り・虫篇

 木立を揺すって、緑の風が吹き抜けた。時折ウグイスやシジュウカラの澄み切った囀りが降ってくるだけで、此処はいつもの静寂。人影のない木漏れ日の下の切株に腰を掛けて、ペットボトルの麦茶を口に含んだ。枯れ草の褥に、光が煌めきながら降り注ぎ、見上げれば梢越しに五月の青空。「野うさぎの広場」で、緑の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 初夏の日差しが降り注ぎ始めた9時過ぎ、蝶たちの動きが始まる時間を見越して、いつもの散策路に向かった。例によって接写機能付き300ミリの望遠レンズを嚙ませたカメラが、ズッシリと肩に掛かる。バッグには接写レンズを嚙ませた50ミリのマクロレンズと、冷えた麦茶のペットボトルが収まっている。
 まだ涼しい朝風に吹かれながら、博物館への階段を上り始めたら、いきなりおぼろ昆布のようなイシガケチョウのお迎えだった。水の涸れた側溝の斜面にとまって、ゆっくりと翅を開閉させている。立て続けにシャッターを落としながら、幸先良いスタートに少しときめく。

 休館日の月曜日、透明なアクリルの壁を洗う作業員がいるだけで人影のない博物館のエントランスを横切り、散策路にはいった。いつも迎えてくれるハンミョウ(ミチオシエ)の姿がないのがちょっと寂しい。モンキアゲハが山肌を縫うように飛び、キチョウやモンシロチョウが草叢を這うように飛ぶ。しかし、残念ながらこのカメラでは飛ぶ蝶は撮れない。
 ヤマトシジミがチロチロと飛び遊ぶ傾斜を、雨水調整池に下った。密かに希少種ベニイトトンボに出会うことを期待したが、残念ながらその姿は見えず、代わりに葉の上に憩うアオモンイトトンボとおぼしき一匹がいるだけだった。
 白い蓮の花が咲きコウホネの黄色が鮮やかな池の畔に、マガモの雄が一匹、人影に驚いた亀が3匹水に飛び込んで逃れる。ウシガエルがボウボウと鳴く。

 四阿に上がり、お茶を飲んでひと休みして、湿地の木道に歩みを進めた。湿地一面に白い花が咲き、そこは目を奪うような蝶の乱舞である。モンシロチョウが縺れ、アオスジアゲハが群れ為して蜜を吸っている。普段は花にとまることが珍しく、敏捷な飛翔でなかなかカメラに収め難い蝶なのに、今日は撮り放題である。
 黒地の前翅と後翅に半透明の水色の帯が美しく、クロタイマイという別称を持つ。(因みに、タイマイとは絶滅危惧種・鼈甲亀のこと。)この水色の部分には鱗粉がない為に、半透明に透き通るパステルカラーが爽やかで美しい。食草のクスノキは天満宮に有り余るほどにあるから、この辺りではよく見ることが出来るのが嬉しい。

 今日のカメラはこれで満たされた……とはいうものの、折角此処まで来たんだから、私の秘密基地「野うさぎの広場」まで足を伸ばすことにしよう。木道の手摺りの辺りをコミスジがヒララヒララと滑空するが、いつまでまで待っても翅を安めることなく、やがて湿原に飛び去って行った。天を覆う木立の下の仄暗い散策路の階段を上っていく傍らで、クロヒカゲやヒメジャノメ、クロコノマチョウなどの日陰に棲む蝶が木立の下を舞った。

 孟宗竹の落ち葉の絨毯を踏んで山道を登り、広葉樹の落ち葉散り敷く「野うさぎの広場」の切株に座って暫く風に吹かれていた。今日も太宰府は30度の真夏日の予報。
 帰り道の山肌に真っ赤なヘビイチゴが、早くもルビーのような実を輝かせていた。枝陰にガガンボが翅を休めている。
 階段の下りで、よちよち歩きのお孫さんを連れたお婆ちゃんと行き違う。
 「こんにちは!」
 「こんにちは。バイバイ!」
 ほのぼのとした挨拶で、今日の2時間の探蝶散策を閉じた。日差しがジリッと額に熱い。
 夏が、もうそこまで来ていた。
                (2014年5月:写真:アオスジアゲハ)
 

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