蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春はそこまで……

2015年02月14日 | 季節の便り・花篇

 久し振りの青空だった。
 朝の空気は切れるように冷たかったが、午前中の気功教室で1時間半身体をほぐし、車を走らせて「太宰府食堂」で好きなお惣菜を選んでお昼を食べた。焼物・揚げ物は、その場で焼きたて・揚げたてを供してくれる家庭的な食堂である。

 午後の日差しの温もりに誘われて、早春の散歩に出た。年末以来の疲労・心労で少し風邪気味の家内から、「早春のひと齣の写真撮って来て」とカメラを託される。目指すは「野うさぎの広場」と天神山散策路……いつもの変わり映えしないコースではあるが、その時その時で新鮮な発見があるから、毎日歩いても飽きることはない。
 お正月明けに、アメリカから帰省していた次女と途中までは歩いたが、帯状疱疹から完全に回復していなかった次女が痛みを訴えたため、「野うさぎの広場」の登り口を確かめたところで引き返した。以来、一か月振りの散策だった。

 毎年、一面の土筆と芹に覆われる博物館裏の湿地は、相変わらず猪のぬた場となって見るも無残に荒らされていた。木道の外れに佇むネコヤナギが、ようやく蕾を膨らませて日差しにキラキラと輝いていた。木立を縫う100段あまりの急な階段を上がって、車道から博物館の裏山にはいる山道の入り口に、石楠花が固い蕾を空に突き上げている。
 檜の樹林と孟宗竹の林の間を抜ける木漏れ日の山道は、まだ冬枯れのまま落ち葉と枯れ枝に覆われていた。行き止まりの山道だから訪ねる人も少なく、風の音と鳥のさえずりだけの静寂の空間である。辿り登った行き止まりの小さな台地、そこが私の秘密基地「野うさぎの広場」である。

 いつもの倒木に腰をおろし、水を口に含みながら汗ばんだ身体を風に弄らせた。見上げる木立越しに青空が広がり、煌めき落ちる木漏れ日が優しい。やがてひと月もすれば、此処は一面のハルリンドウが咲き誇る。待ち遠しい春の訪れである。

 車道に戻り、少し道なりに辿って天神山の尾根を縫う散策路に渡る。紅梅・白梅はまだ三分咲きにとどまっていたが、その根方に一面オオイヌノフグリが咲いていた。早春の花である。「青空のかけら」と名付けて、この道で早春の便りを探すのが、毎年の恒例となって久しい。微かなときめきが心を弾ませる。
 その傍らの側溝の縁に、一輪のスミレを見付けた。嬉しい一瞬である。早速携帯(我が家はスマホではなく、しぶとく「ガラ携」を死守している)で写真に撮り、オオイヌノフグリと一緒に、「早春賦」と書いて家内に写メした。折り返し「春はそこまで」と返信が来る。

 種子を散らせた後のウバユリの枯れ花を見ながら、天神山から「だざいふ遊園地」の脇に下る。膝に負担を掛ける階段を避け、落ち葉をサクサクと踏みながら脇の坂道をゆっくりと降りて行った。散らばるドングリに、10羽余りの野鳥が群がっていた。こんな時、野鳥の名前に疎いのが悔やまれる。

 丁度2時間、8700歩の散策だった。久し振りの長歩きで、少し膝が震える。いつも仕上げに登る120段の博物館への階段を、今日はエスカレーターのお世話になって家路についた。

 冬空を飾っていたオリオン座、そしてオリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンが形作る壮大な冬の大三角が、中天を過ぎる時間が少しずつ早くなる……こうして、季節は冬から春へと移ろっていくのだ。
 
 蟋蟀庵の紅梅・白梅の蕾は、まだ固い。
               (2015年2月:写真:早春のオオイヌノフグリ)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿