蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

かげろう考

2011年07月17日 | 季節の便り・虫篇

 山宿の朝の洗面所に、一匹のカゲロウがとまっていた。羽に触れても飛び立つこともなく、時折尾をもたげては、触角を震わせる。残り少ない命なのだろう、一日限りの儚い営みである。
 「かげろう」…様々な背中を見せる言葉である。脳まで沸騰しそうな暑さに倦んで、ネットで遊んでみた。日本人としては、現れては消える捉えどころのない儚さを、先ず書かなければなるまい。

  なほものはかなきを思へば あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし
                      (藤原道綱の母「蜻蛉日記」)
  
  東の野にかぎろひの立つ見へて かへり見すれば月かたぶきぬ
                      (柿本人麻呂「万葉集」)

  今さらに雪降らめやもかぎろひの 燃ゆる春へとなりにしものを
                      (詠人不詳「万葉集」)

 最初に翅を獲得した昆虫のひとつである蜉蝣は、古くは古生代石炭紀の化石記録さえある。学名の由来となったギリシャ語でephemera、その原義はepi hemeraーーone day、つまり「一日」を意味する。幼虫期を綺麗な水の中で半年から1年過ごすから、昆虫としては決して短命ではないのだが、羽化して1日の命はあまりにも短く儚い。だからドイツ語でもEintags fliegen「一日飛び虫」という。漢字の「蜉蝣」は頼りなげに浮遊するさまに由来するともいわれる。
 羽化する時は凄まじく、川面で大量発生した蜉蝣が橋を埋め尽くし、スリップ事故を多発した記事を読んだ記憶があるが、定かではない。

 カゲロウと名付いていても分類的には縁遠い虫に、ウスバカゲロウ(薄羽蜉蝣)とクサカゲロウ(草蜉蝣、臭蜉蝣)がある。
 ウスバカゲロウの幼虫アリジゴク(蟻地獄)には、誰にも幼い頃の思い出があるだろう。縁の下や抉れた土手の木の根の間など、雨の掛らないさらさらした砂地に擂り鉢状の穴を穿ち、迷い込んだ蟻を襲う。砂ごと掘り採って来て箱に入れ、螺旋状にあとすざりしながら穴を穿つのを見守ったり、蟻を捕まえて来て落とし、逃げようと傾斜を這い上がる蟻を大きな顎で砂を弾き飛ばして引き摺り落とし、大顎に咥えこむところを見て遊んだ。 「薄馬鹿下郎」と言って、仲間とふざけ合ったこともある。
 小学生の頃、白熱電球のアルミの笠に細長い柄をつけた小さな卵が幾つも下がっていた。クサカゲロウの卵である。この卵塊が俗に言う「優曇華(うどんげ)の花」…法華経にある、3000年に一度如来が来ると共に咲くといわれる伝説上の花である。

 そして、もうひとつのかげろう「陽炎」。草いきれと照り返す炎天下の道路の揺らぎ、熱せられた大気で光が屈折する気象現象でしかないのだが、大規模なものになると、砂漠の熱砂に浮かび上がる蜃気楼となる。
 真夏には50度を超すカリフォルニア州デスバレーで迎えた正月元旦、周囲の山々は白雪を頂くのに、砂丘を揺るがせる大掛かりな陽炎を見た。ネバダ州ラスベガスに向かうモハーベ砂漠、地平線まで続く一直線のハイウエーの彼方に、揺らぎ立つ陽炎が消えることはなかった。

 これを書いてる今、太宰府は35.2度の炎熱。南大東島東南東370キロにある巨大台風が、風速50メートルの暴風を伴って、じわじわと九州に迫りつつある。今年ばかりは東北の被災地を避けて欲しいと、切実に祈る思いがある。大自然が牙を剥くとき、人間も所詮カゲロウの微力に均しいのかもしれない。少し謙虚にさせてくれた一匹のカゲロウに感謝!
 この日、門柱の傍らに立つアメリカハナミズキの梢で、遅れていたクマゼミが豪快に初鳴きを響かせ、八朔と南天の葉末に空蝉が5つ並んだ。
               (2011年7月:写真:カゲロウ)

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