蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

10.300歩の重み

2019年03月15日 | つれづれに

 1,100年以上の歴史を重ねた名刹、京都山科の奥で木立に包まれる、真言密教「醍醐寺」九州国立博物館特別展が間もなく終わる。密教には抵抗があるが、どうしても会いたい仏像があった。重要文化財「如意輪観音坐像」、10世紀平安時代の仏像である。蓮華の上で右膝を立て、六臂の右腕の肘をつき、拳を軽く頬に添えて寛ぐ坐像は、言葉に尽くせない安らぎの姿だった。

 冷たい風の中を歩き、朝一に行きつけの理髪店(昭和の世代に馴染む言い方は「散髪屋さん」)の扉を叩いた。40年来、亡くなった先代の時代から通っている店である。刈り込んだ頭は却って手がかかるらしく、いつもじっくりと時間を掛けてくれるから、開店を待って訪ねるのが恒例である。いつか電車の中で見知らぬ男性から「見事なカットですね!」と声を掛けられた。思わず、「はい、植木屋さんに刈ってもらってます」と答えたくなるほど、丁寧な仕上がりである。裾は刈り上げ、頭頂でも2センチほどの長さしかない。七三に分けて撫で付けていた現役時代、朝に時間を掛けてドライヤーで整えていても、汗をかくと直ぐにだらしなく膨れ上がる直毛剛毛に悩んできた。リタイアして真っ先にしたのが、この刈込だった。シャンプーも少量で済むし、整髪料も要らない。雨が降ろうと汗をかこうと、平然としていられる解放感は何ものにも代えがたかった。

 刈り終えて帰ると2800歩。カミさんが、アレルギー検査の結果を聞きに行きたいという。そういえば、先月末にホームドクターから「帯状疱疹をやると免疫力が落ちるから、いろんな病気が出てくることがある。この前も、調べたら胃がんだった人がいる」と脅され、10年振りくらいに胃カメラを呑んだ結果もまだ聞いていないことを思い出して、「歩いて行って、何処かでお蕎麦でも食べて、序でに天満宮に詣でよう」ということになった。
 カミさんのアレルギー反応は全てゼロ!花粉から食べ物まで、一切心配ないという結果だった。わたしの市からの通知は「今回の検査では、胃がんは認められませんでした。」と、実にそっけない文章が連なっていた。

 参道で唯一手打ちしている蕎麦屋で昼を食べて参道に出たら、今日もワーワーキャーキャーとアジア系旅行者の喧騒!思わず、日本語が懐かしくなるほどの姦しさである。トイレを汚す、ゴミをまき散らす、自撮りで通行を妨げる、そしてやたらにうるさい。「観光公害」は数年前から始まっている。
 馴染みの店で名物の「梅が枝餅」を1個ずつ買い、いつものように「歩き食べ」を楽しむ。この程度の行儀の悪さは良し、と自己判定するのは毎度の事、地元「太宰府原住民」の特権である。
 太宰府天満宮の本殿で、2か月半遅れの「初詣」を済ませた。心に残っていたしこりが一つ消えた。車に貼る交通安全のお札を受けて、博物館に向かった。
 いつもは歩いて上る120段の階段だが、今日は自重してエスカレーターに乗る。トンネルの中の動く歩道を歩きながら、七色に変わる照明を楽しんだ。トンネルを出ると、パッと光が広がり、九州国立博物館の偉容が姿を見せる。左手に、6年間環境ボランティアとして通い詰めた階段が見えて、なんとも懐かしい。
 1月29日に始まった「醍醐寺展」も残すところ10日、もう一つ心に残っていたしこりだった。仏教に帰依しているわけではないが、仏像には目がない。一は興福寺の「阿修羅像」、そして新薬師寺の「十二神将」、長谷寺の「十一面観世音菩薩立像」、室生寺の「十一面観音像」、東大寺の「日光・月光菩薩」、法隆寺の「夢違観音」……枚挙にいとまがない。
 
 少し疲れた脚を労わりながら帰り着いたら、今日の歩数は10,300歩を超えていた。万歩を超えたのは、一昨年12月に左股関節を痛めて以来、実に15か月ぶりだった。これで自信がついた。久住高原の山歩きも、男池(おいけ)の山野草探索も、もう大丈夫だろう。
 俄かに、春への期待が膨らんできた。10.300歩の重みである。

 六光星が、庭一面に輝き始めた。ハナニラ……春を告げる花のひとつである。
             (2019年3月:六光星・ハナニラ)