蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

駆け抜ける

2019年03月23日 | 季節の便り・旅篇

 羽田も福岡も、いつから空港はこんなに延々と歩かせることになったのだろう?
 手術以来初めての空路、最大の楽しみは、人口股関節が金属探知機に引っ掛かり、「これが目にはいらぬか!」とサイボーグ証明書を掲げることだった。
 無念残念、往路も復路もブザーが鳴ることはなく、呆気なく検査場を通過する羽目になった。「こんな警備で、オリンピックは大丈夫なのか?」と負け惜しみを言ってみたものの、チタン合金は金属探知機に反応しないのかもしれない。

 羽田空港の出口に、娘と上の孫娘が迎えに来てくれた。昼を済ませて、洗足学園音楽大学の前田ホールに向かう。1年生の下の孫娘が、歌劇「カルメン」全4幕の日本語上演に、合唱の一員として出演する。ゼミのメンバーを中心に、1年かけて全て手作りで完成させた舞台である。
 カルメン全曲は初めての鑑賞だった。粗削りながら、ひたむきさに好感が持てる3時間だった。たばこ工場の女工に扮した孫が、アドリブを加えながら自然体の演技で舞台を行き来する。カルメンやドン・ホセ、闘牛士のエスカミーリョが歌い演じる後ろで、終始さりげない演技を続けるのが見事だった。担当のパートがないと、ついつい立ち尽くすことが多いのに、初めての舞台にもかかわらず、見事な演技だった。(孫馬鹿じゃない!)

 翌日は久し振りの歌舞伎座。カミさんの道案内で、迷うことなく東銀座に降り立ち、木挽町広場に辿りついた。夜の部。仁左衛門、雀右衛門、錦之助、孝太郎、秀太郎、左團次による「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」。詳しくは歌舞伎に目がないカミさんの世界であり、そちらに譲る。勘太郎がいつの間にか成長し、高綱の一子小四郎を立派につとめていた。
 「雷船頭」。始めて観た演目だった。幸四郎と猿之助が、偶数日奇数日交代で船頭役をつとめる。今日は偶数日の幸四郎の出番だった。その踊りの見事さは言うまでもないが、亡き富十郎の遺児・鷹之資が、落ちてきた雷の役をおどけた所作で楽しく演じていた。久し振りに「天王寺屋!」という大向うを聴いて嬉しかった。
 最期は「弁天娘女男白浪・浜松屋店先より、稲瀬川勢揃いまで」弁天小僧と南郷力丸を幸四郎と猿之助が、これも偶数日奇数日で交代して演じる。今日は、猿之助が弁天。小気味よく楽しそうに演じていた。
 1階席を奮発したから、大向うで声を掛けられないので、少し欲求不満が残った。

 3日目。多摩美大に走って、上の孫娘の卒業制作を観る。山肌を這い上るようにいろいろな学舎が並ぶ。この前来たのは秋だった。木々の種類が多い学園である。ガラスや金属工芸は文字通りの力作、卒業生たちの気負いと力みが各作品に見られて、なんとも微笑ましかった。
 圧巻はテキスタイルの部だった。染と織りの緻密な彩りが美しく華やかで、ついつい足が止まる。孫が最後に、自分の作品に案内してくれる。ほかの作品と異なり、布ではなく、細引きと糸で織り為した大作だった。
 縦2.5メートル、横1メートル、奥行10センチほどの木枠を2枚立て、様々な太さの細引きや糸を染めて織り、紡ぎ、張った作品には、「透き間」とタイトルがつけてある。
 「プライバシーに敏感になった今の社会では、個人のスペースは閉塞的なものになる傾向にある。故に、より広く光を感じる、風通しが良い、そういった心地よさを公共のスペースに求められるのではないかと思う。
 空間は一本の線で区切ることが出来る。そこで面になりきらない線の集合でも壁になりうると考えた。視線を切る、動線を作るといった機能を持ちつつ、圧迫感が少なく空気を通す室内用の壁として今回の作品を提案する」
 4か月をかけたという労作である。このまま、何処かの美術館に置きたいと思った。(再び、孫馬鹿ではない!)
 間もなく卒業式を終えた上の孫娘は、自動車メーカーに就職し、社員寮で一人暮らしを始める。将来、内装など車の色彩に関わる仕事を目指している。

 その夜、ようやく家族全員が顔を揃え、Hungry Tigerで孫二人の労いと祝いの宴を張り、翌日、婿と下の孫娘に送られて羽田を発った。

 駆け抜けた3泊4日の横浜の旅だった。24度に届くほど温かく、それでいて強い風が吹き荒れる日々だった。孫馬鹿に尽きる……それもよし。それぞれが自分の道を見付け、巣立っていく。
 歳を取るのも、決して悪くはない。
                  (2019年3月:写真:孫の作品「透き間」部分)