蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

情報弱者

2019年03月11日 | 季節の便り・花篇

 嫌な言葉である。マスコミが作ったのか、行政が作ったのか、「弱者」とは、いかにも上から目線の不遜極まりない言い方ではないか。高齢故のこだわりであろうか、「キャッシュレス」をやたらに促進しようとする風潮の中で、スマホを持たなければ生きて行けないような世の中に進みつつある。ガラ携に頑固にしがみついている我が家は、「情報弱者」として時流に取り残されるのであろうか?
 それでも、日常生活に何の支障もないから、スマホに買い替える気は毛頭ない。SNS?聞こえはいいが、ネット社会の様々な問題、無責任に拡散するNET社会の弊害、何処かで破綻する危機感もある。
 やたらに「観光立国」を叫び、激増する観光客の数を得意気に誇る傍らで、「観光公害」が加速していることに目を向けようとしない。日本人が静かに楽しめる観光地や温泉がなくなりつつある。何とかのミクスという訳のわからない政策が何の成果も上げないから、データ―を改竄したりもするし、観光客増加を誇るぐらいしかないのだろう。
 今日の蟋蟀庵ご隠居は、些かご機嫌が悪い。

 東日本大震災から8年。西日本新聞のトップ記事に、「支援もう切られっぺ」と出ていた。政府は「復興は着実に進んでいる」と、いい加減な発言を重ねている。いわき市の応急仮設住宅に住む男性が、噂を聞いての言葉「オリンピックが終わったら、俺たちも支援を切られっぺて」
 「復興五輪」?被災地の実情を見ると、いかにも嘘っぽい。本当は、オリンピックなどやっている場合か!……そんな気がずっとしている。
 「人生が変わってしまった。原発事故なんて、思ってもなかった」、「建物だけを新しくして『復興した』と言われても、帰りたいのは原発事故前の故郷」、「避難者が古里を好きで離れたわけじゃないことは、忘れないでほしい」……これらの言葉の重みを、為政者はどれだけわかっているのだろう。大熊町の自宅に戻れるのは40年後と言われて「帰りたいけど、そのとき俺は100歳。意味ねえよ」と笑う。「行方不明なお2533人」と書かれた紙面が、胸にズシンとくる。
 住民投票で、全市町村が辺野古の基地反対という結果を出しても、全く無視して憚らない姿勢と通じるものがある。今の政治には「心」がない。

 ご機嫌が悪いのには、ほかにも幾つか理由がある。はかばかしく改善されない右腕の帯状疱疹後遺症の神経痛、然り。名残惜しむ間もなく冬将軍を追い立て、やたらに急ぎ過ぎる春への足取り、然り。もう一つ、「情報弱者」を実感させられた出来事があった。
 パソコンが半月使い物にならなかった。インターネットに繋がらない。我が家はケーブルテレビと契約し、テレビも電話も、インターネットもその回線に依存している。突然回線が繋がらなくなった。よくあるケースで、静電気が滞留することがあるからと、無線ルーターやケーブル回線の電源を抜いて差し直すと復帰するのが通例だった。
 ところが、何度差し直しても繋がらない。困り果てて、元SEの長女に電話したところが「電話で指示できるレベルじゃないから、ケーブルテレビに電話して、技術者に来てもらいなさい」と言う。早速、ケーブルテレビの「緊急時故障受付」に電話したところ、「最寄りの店舗に持ち込んでください」という。家内と私の2台を持ち込んでチェックしてもらったら、「ケーブルは繋がってます。念の為2~3日預かって、ウイルスチェックなど総点検しましょう」ということになった。3日後受け取りに行き、持ち帰って接続したが、やっぱり繋がらない。再度緊急受付に電話して、技術者の派遣を要請した。3日待たされて、技術者がやって来た。ちょこちょこっと触って、1分で復帰した。
 犯人は私だった。埃を払うために、無線ルーターの端子を一旦抜いて再接続する際に、Internetに繋ぐべきところを、Lan1に繋いでしまい、すぐに繋ぎ直したが、既にその情報をルーターが記憶してしまってのトラブルだった。
 やっぱり年寄りは「情報弱者」なのだろう。だから、自分自身に対してご機嫌斜めなのだ。

 長女から「生存確認!」というメールが来た。ありがたいけど、何となく切ない。
 
 春が奔る。
 気を取り直して出た庭の鉢に、ムスカリが可愛い花穂を立てていた。
                     (2019年3月:写真:ムスカリ)