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蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

「照之、喰い逃げかよッ!」

2018年08月19日 | つれづれに

 患者は我儘なものである、病気(というより、私の場合は人工的怪我)が落ち着き、リハビリも順調に進んで行動の自由が増すにつれ、「退屈」というワガママムシが蠢き始める。
 6時起床、8時朝食、主治医の回診と朝の検診が済めば、12時の昼食、15時から30分のリハビリ、18時の夕食、そして21時には消灯時間がやってくる。その間は何もすることなく、ラジオを流しながらの読書とうたた寝が延々と続く。
 日頃は23時就寝、5時起床の毎日だから、睡眠時間は6時間……これが21時に眠らされるわけだから、どうしても3時には目が覚めてしまう。術日は痛みで一睡もできず、その分二日目の夜は9時間爆睡した。
 しかし、退院までの夜毎の苦痛!個室ではあっても、夜中に何度も看護婦が懐中電灯を持って見回りに来るから、電気点けて本を読むわけにもいかない。(私はいまだに、看護師という言い方に馴染まない。6階の病棟に関わる30人ほどの人達には何人か男性もいたから、その人には看護師と言って抵抗ないが)
 輾転反側、人間は睡眠中に何度も寝返りを打つことによって、四足から二足歩行に進化したが為に昼間酷使することになった腰や筋肉をリハビリしているという。しかし、左に寝返りを打てば、「尻の一本傷」や、一昼夜大腿骨の出血を抜いたドレンの痕が痛むし、右に寝返りを打つと、まだ回復していない筋肉の為、左膝が内に曲がり込む不安(恐怖)がある。この手術で真っ先に警告されたことは「靴の女脱ぎの姿勢は絶対禁物です。人工股関節脱臼のリスクはその姿勢です!」つまり、左膝を内に入れて腰を曲げてはならないという「禁じ手」である。だから、一晩中直立不動で上を向いて寝る……これは、結構苦痛だった。(それを聞いた友人のYさんが、退院後「主人も愛用しています」と、抱き枕をプレゼントしてくれた。これで、右横向いて寝る不安が消えた。傷の痛みは、10日ほどであまり感じなくなったから、左への寝返りも可能になった。)
 ひたすら「ラジオ深夜便」を聞きながら、遠い遠い夜明けを待ち続ける毎日だった。

 6階東向き病室の窓は大きく、黎明の美しい空や、福岡空港に離発着する航空機の姿が全て見える。退屈紛れにその数を数えたりもした。「年間発着回数は17万1千回(2014年度)で、羽田、成田に次いで国内で3番目に多い。滑走路1本による運用のため、滑走路1本あたりの離着陸回数が日本で最も多い」と言う事実が、夜間の着陸灯を数えていると納得出来る。

 二日ほど、激しい雷が鳴った。東の空に次々に稲光が立ち、雷鳴が轟く。久々に興奮した。自称「雷大好き人間」だから、カメラを担いで雷の「追っかけ」をやったこともある。この病室は、まさしく雷鑑賞の特等席だった。丸椅子を窓に置いて座り、携帯(自慢のガラ携!)で、ひたすらシャッターを押し続けた。落ちて光ってからシャッターを押しても間に合わない。僥倖を期待して、ひたすら偶然の一致に賭けるしかなかった。
 その1枚が、見事に落雷を捉えた。「尻の一本傷」が興奮で震えた。

 こうして仮出所覚悟が、予想外の釈放となり、灼熱の太宰府の陋屋・蟋蟀庵に帰り着いたのだった。
 迎えてくれたカマキリ先生(香川照之)の睨みをカメラにおさめた後、そっと庭に放った。夕方、トレッキングポールを突きながら庭をゆっくりとリハビリ歩きしていたとき、キブシの繁りの中でセミが慌ただしく羽ばたく音がした。葉をかき分けてみたら、予想通り照之がセミをガッチリと鎌で抱え込んでいた。声を立てないという事は、この時期卵を産みに来たクマゼミの雌だろう。哀れとは思ったが、手は出さない。カマキリにとっても、そろそろ産卵のためにエネルギーをため込む季節である。これが自然の摂理、そっと葉を閉じた。
 暫くして見ると、キブシの根方にクマゼミの翅が1枚、カマキリの姿は既になかった。
 そこで、頭に浮かんだ言葉が、「照之、喰い逃げかよッ!」

 今日も、厳しい残暑である。
                     (2018年8月:写真:落雷)