蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

歩き納める

2015年12月29日 | つれづれに


 刈り上げた頭に早朝の風が滲みて、思わず首を竦めた。朝一番の理髪店、もう40年以上の付き合いである。先代が昨年亡くなられ、今は二代目さんが手のかかる短髪の白髪頭の面倒を見てくれている。
 ようやく低い山の頂から注ぎ始めた日差しに誘われて、今年の散策納めに歩き始めた。道端で杖を突いて休むお年寄りが、「足が元気で、よかですなぁ」と声を掛けてくる。さほど違わない歳とお見掛けしたが、本当に羨ましそうな声に、少し申し訳ない気持ちになる。
 毎年百八つの煩悩を払う除夜の鐘を撞いていた、光明寺の山門の前を過ぎる。先年、住職が変わってから鐘を撞かせてくれなくなって、太宰府の大晦日の風物詩がひとつ失われた。心無いことである。

 九州国立博物館へのなだらかな九十九折れをゆっくりと辿る。ツワブキの枯れ花が侘しげに道端に立ち、この時間の人影はない。既に年末休館となった博物館は、お掃除をする人たちだけが黙々と働き、元旦から始まる特別展「黄金のアフガニスタン」(守りぬかれたシルクロードの秘宝)の開会に備えていた。
 水仙が甘い香りを漂わせる雨水調整池を廻る散策路に降りると、道端ののり面はイノシシの乱暴狼藉!まるで耕耘機で耕したように掘り返され、春の芹摘みを楽しむ湿地の水たまりも、イノシシが転げまわる「ぬた場」(身体についた虫や汚れを落とすために泥浴びをする場所)となっていた。近年、この辺りもイノシシが増えた。タヌキやノウサギは前から棲んでいたが、イノシシの激しい出没は此処数年のことである。人間に対する大自然の逆襲が始まっているのだろう。町内でも猿の目撃情報が出始めている。
 115段の急な階段を上がり、すぐに左に折れて「野うさぎの広場」への道に登りあがる。いつものように長めの枯れ枝を拾い、それで道に散った枯れ枝を左右に払っていく。次に歩く人のために、自分に課しているささやかな決め事である。といっても、行き止まりのこの道は知る人も少なく、いつも殆ど人に出くわすことはない。今日も、鳥の声と風の音だけの静寂だった。
 緩やかな上り下りの果てに登り詰めて、小さな広場に辿り着く。「野うさぎの広場」と名付けた、私の秘密基地のひとつである。時には急ぎ足の散策に煽る動悸を鎮め、滴る汗を拭い、ポットのお茶で渇きを潤し、季節によっては汗に慕い寄る藪蚊やぶよを叩きながら、落ち葉の褥にシートを敷いて木漏れ日を浴びる。時には静寂に包まれた至福の空間に、野性の雄叫びをあげそうな衝動に駆られることもある。そんな独り占めの、得難い自然の懐である。
 熱く火照った身体を風になぶらせながら倒木に腰をおろして、木立の向こうの博物館の青い屋根を無心に見下ろしていた。

 山道を戻って天神山を廻る道に移り、天満宮に下っていく。たまに行き交う散策者は、なぜか私も含めて高齢の男性ばかりである。この慌ただしい年の瀬に、おそらくあまり役に立たない「大型粗大ごみ」みたいな存在なのかな?と、ひとり自嘲しながら、それでも楽しく歩みを進めていった。
 やがて左手に、十数人の人々が立ち働く「鬼すべ堂」が見えてきた。普段は柱だけのお堂に板を張り、その前に藁を積み上げて、日本三大火祭りのひとつ「鬼すべ神事」の準備が進められていた。この神事が執り行われる1月7日は、何故かいつも酷寒の夜となる。40年以上太宰府に住みながら、寒がりの私は一度も見たことがないという「幻の神事」である。焚火の煙を盛大にあげながら立ち働く氏子たち、師走ならでは目立たない陰の風物詩である。 
 博物館のエントランスにはいり、散策の仕上げに、エスカレーターを横目に見ながら120段の階段を上がる。わずかな間に、お掃除の人の数が増えていた。

 男女3人連れの若い人たちが、記念写真を撮っていた。うん、そこは惜しい!
「此処が、絶好の撮影スポットですよ!」と声を掛けて招いたら 
 「スミマセン、シャッター押していただけますか」
 丸い「九州国立博物館」と書かれた看板の脇に3人を立たせ、バックに博物館の全景を入れてシャッターを落とした。総ガラス張りの壁面に山の緑が写り込み、自然に溶け込むことを趣旨とした、この世界屈指の博物館の全容が写し込まれるのは、此処が最高の立ち位置なのだ。
 「ありがとうございました!」という声に、ちょっと気分を良くして89段の石段を下りきった県道は、三が日は車で埋まり、寸刻みで動く数時間がかりの初詣渋滞となる。

 道を横切って住宅地にはいり、筑紫女学院大学の裾を巻くように家路につき、角を曲がって我が家が見えた瞬間、携帯電話(ガラ携!)の歩数計が高らかにファンファーレを奏でた。目標の8,000歩達成!山道と階段の8,000歩だから、平地の15,000歩くらいには相当するのだろうか?痛めた膝を気にすることもなく、それなりにハードな強歩を楽しめるのも、もう2年近く続けている毎朝の30分のストレッチの成果だろう。
 年の瀬に為すべき納めを、ほぼ終えた。今年のブログも、ここら辺りでファンファーレを流して納めることにしよう。
                (2015年12月:写真:「鬼すべ堂」準備風景)
<注釈>「鬼すべ神事」
 太宰府市編纂の「太宰府市民族資料編」によれば、「鬼すべ」は寛和2年(986年)、菅原道真の曾孫・大宰大弐の任にあった菅原輔正によって始められたと伝えられる、福岡県無形文財指定の火祭り。総勢500人もの氏子達が招福・攘災を願って繰り広げる炎の祭りである。
 悪魔の象徴の鬼を太宰府天満宮の「鬼すべ堂」に追い込み、煙で燻し出して退治するというもので、太宰府天満宮の門前町六町の氏子たちが、鬼、鬼の味方・敵方に分かれて繰り広げる。
 午後9時に各町内を出発した氏子たちは、「鬼すべ斎場」に集結。堂の前に作られた燻釜に火が放たれ、唐団扇で扇ぐ燻べ手と堂内の板壁をテン棒で打ち叩く。その間、鬼係に囲まれた鬼は堂内を七回半、堂外を3回半回り、堂内では宮司に、堂外では氏子会長に一回りごとに豆を投げつけられ、卯杖で打たれ、堂の奥に退散して、「鬼すべ」は幕を閉じる