蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

年の納めに……

2015年12月21日 | つれづれに

 師走の雨の中を、足早に年の瀬が迫ってくる。玄関の羊の飾り物の後ろには、早々と「繁栄」と書かれた木札を従えた猿の置物が蹲って出番を待っている。お気に入りの香川県出身の彫刻家・三枝惣太郎の鋳鉄の干支を集め初めて12年、最後の猿を先日天満宮の参道で求めてきた。次にこの置物を飾ることはあるのだろうか?……そんな感懐に耽ることの多い近年である。年賀状の投函も終わり、昨日植木屋さんが整えてくれた庭木には、春を待つ新芽が芽吹き始めていた。

 家内が主宰する「たまには歌舞伎を観よう会・はしばみ会」は、恒例の「博多座文楽公演」で年を納める。11回を重ねる年末二日間限りの昼夜4公演、初日と千秋楽しかない舞台だから、チケットを取るのに苦労する公演である。幸い、「はしばみ会」の団体は、一般売りに先立ってチケットを押さえることが出来るから、今回もA席34名の希望者全員の観劇を実現することが出来た。歌舞伎公演は、たまに100枚を超すこともあるが(特に要望がない限りは、3階のC席で観ることを主旨としている)、年に1回の文楽はまだまだ動員が少ない。それでも、その度に「初めて観ます!」という仲間が増えることを、家内は何よりもの楽しみにしている。

 初代吉田玉男没後10年、還暦を越えた吉田玉女が2代目を襲名、その披露公演と銘打った貴重な舞台であることに加え、三味線の鶴澤清治・鶴澤寛治、人形遣いの吉田蓑助と、3人の人間国宝の「芸」に酔いたくて、二日に分けて昼夜の席に座った。いつも思うことだが、文楽の客席には美しく着こなした着物姿の女性が多い。ついつい前の席の女性の襟足に見入ってしまうのも、文楽鑑賞の隠れた魅力のひとつかもしれない。

 「足遣い十年、左遣い十五年」と言われる文楽の人形遣いは、長い修行を経て主遣いとなる。しかし、人形浄瑠璃は「とざ~い!」と紹介されるのは義太夫の太夫と三味線だけで、人形遣いが紹介されることはない。「ユネスコ世界文化遺産」として守られる日本の伝統芸の、不思議なしきたりである。私自身も、義太夫七分人形三分で、専ら義太夫を聴くことに意識を集める。
 文楽の襲名披露口上を初めて観たが、歌舞伎と違って吉田玉男本人の挨拶は一切ない。裃を着て平伏するだけの姿に、新鮮な驚きがあった。

 芝居の詳細を語るのは、この道に造形深い家内の分野であり、迂闊に書くと娘に「お母さんの世界を侵害しないで!」と叱られるから措くとして(笑)、やはり圧巻は「一谷嫩軍記」だった。「熊谷陣屋」の段で、床本の文字を目で追いながら、竹本千歳太夫の情感豊かな義太夫に聴き惚れた。吉田玉男遣う袈裟白無垢姿となった熊谷次郎直実が「……十六年も一昔、あァ夢であったなァ」と詠嘆する名場面で、歌舞伎の中村吉右衛門の姿が彷彿し、思わず「播磨屋ッ!」と声を掛けたくなった。

 「釣女」で、鶴澤清治の三味線を聴けたのは何よりだった。短いこの狂言だけの出演で夜の部に出番はなく、「随分年を取られたなァ…」と淋しさが付きまとう。2014年5月26日、国立劇場小劇場で「恋女房染分手綱」沓掛村の段のキリを務め、68年の太夫人生に幕を下ろした竹本住太夫と共演したテレビ番組、「闘う三味線 人間国宝に挑む~鶴澤清治~」の映像を思い出しながら、耳と目で鶴澤清治の姿を追っていた。

 翌日観た夜の部、「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」六角堂の段で、吉田蓑助が普段なら決してやらない筈の端役・丁稚長吉を遣っていたのも、襲名公演ならではのご祝儀だろう。(蓑助の出番も、この段だけだった。)

 家内はC型肝炎最後の治療中、「やっぱり私は夜は用心しておく」というので、今回は一人で観た夜の部で、嫌なことがあった。早めに着いて席に弁当と、筋書とオペラグラスを入れた袋を置き、トイレに立った。帰って来ると、その袋だけが見当たらない。周囲の人や博多座の係員も一緒になって座席の廻りを探してもらったが出てこない。諦めかかっていたが、ふと気になって後ろの席の中年の女性の足元に置かれた袋を見せてもらったら「あ、あなたのものだったんですか」
 探しているのを見ていながら、この言いぐさにムカッときた。善意に解釈すれば「昼の部のお客さんが忘れていったのかも」と思ったのかもしれないが、だったら博多座に届けるべきだろうし……探しているのを知っていながら知らん顔していたのは、あわよくば猫ババしようとしたのだろう。
 問い質そうかとも思ったが、今日は年の納めの観劇、腹立ちを鎮めて舞台に見入った。因みに、この女性、始まるとすぐに鼾をかいて寝ていた。博多座の観劇マナーはまだまだである。

 舞台の余韻に浸りながら一人走る都市高速は、暖かい雨が降りしきっていた。師走の年の瀬が迫ると、いろいろ納めることが増えてくる。願わくは、人生の納めとなりませんように!
           (2015年12月:写真:「博多座文楽公演筋書」)

 <注釈>床本(ゆかほん、ゆかぼん):義太夫節の太夫 (たゆう) が床で語るときに使う、舞台用の比較的大形の義太夫本。それを読みやすい活字にして、筋書の中に挟んである。耳に馴染まない義太夫節も、これを読みながら聴くとよく理解できる。