蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ロマンと真実

2014年07月20日 | 季節の便り・虫篇

 夕風に吹かれながら、八朔の下に置いた小さな椅子に座り込み目を凝らす。黄昏が迫り、石穴稲荷の杜から届くヒグラシの声が一段と濃くなる時刻である。

 7月9日に始まったセミの羽化は、夜毎2匹から11匹と途絶えることなく続き、20日夜現在、既に73匹を数えた。昨年より8日遅れて、17日にクマゼミが一斉に鳴き始めた。我が家の八朔やハナミズキの枝でも「ワ~シ、ワシワシワシ!」と暑熱を呼び込む姦しい鳴き声が響き始めた夜から、羽化するセミもヒグラシからクマゼミに徐々に変わってきた。幼虫や羽化する過程での素人の判別は難しく、翌朝も既に飛び立っていることが多いから悩ましいのだが、クマゼミの方が幼虫の形も少し大きいし、たまたま今夜は産卵に来たのか、すぐそばの枝にクマゼミの雌がとまっていたから、多分間違いないだろう。

 地面から這いだす瞬間をカメラに収めたくて、纏わり着く藪蚊を引っ叩きながら目を凝らしていた。見当たらないままにやがて夕闇が迫り、夕餉の時間となった。羽化する過程に影響があってはいけないから、安易に殺虫剤を噴霧するわけにもいかず、ここは痒みに悶えながら耐えるしかない。「物好きだな」と自嘲しつつも、やっぱり楽しいのである。命誕生のすべてを観たいというのは、虫ジジイのかねてからの夢だった。
 夕餉を慌ただしく済ませて再び八朔の下に蹲り、懐中電灯で照らしながら目を凝らす。30分の食事の間に、既に1匹が枝に登って足場を探していた。藪蚊が苛む。耐える、ひたすら耐える。ツキが来ないうちに「軍師官兵衛」の時間が来た。ひと先ず中断し、大河ドラマを観て戻る45分の間に、更に4匹が枝先にしがみつき、そのうち2匹は既に羽化の過程にあった。やっぱり寝食(?)を忘れる根気がないと、蝉とは付き合えない。

 事実、地中に生き、しかも成虫の飼育が難しいことから、蝉の研究は遅れているという。一般的に儚さや短命の象徴みたいに言われている「生まれて1週間」というのも俗説らしく、「地中に7年」というのも根拠が乏しいという。
 木に産み付けられた卵は翌年の梅雨ごろに孵化し、すぐに地面に落ちて長い長い地中生活にはいる。木の根から樹液を吸いながら数回脱皮を繰り返して、やがて地上に這い出て羽化する。地中で過ごす期間は、国内種で3年から7年。(海外には13年蝉、17年蝉というのがいる。何故か素数であり、「素数蝉」あるいは「周期蝉」と言われる。)アブラゼミが6年というのは、ほぼ定説になっているようだ。
 羽化してからの寿命も、実は2週間から1ヶ月で、昆虫の中ではむしろ長命の部類に入る。夏場の蝉は暑さに弱く1週間ほどで命を終えるが、秋の蝉は場合によっては2ヶ月も生きるという。……以上、全てネットから得た付け焼刃の知識である。
 
 知ってしまうと、何となく現実味があり過ぎて味気ない。「1週間の儚い命を、懸命に伴侶を求めて鳴き続ける」と思う方がロマンがあるし、「八日目の蝉」という小説やドラマも、七日の命だからこそ意味がある。(ドラマの解説に「一般的に蝉の雄は約七日で短命と言われていますが、実は雌は産卵のために八日以上生きます。つまり「八日目の蝉」とは、夫がいない妊婦のことです」とあった。)

 月面のクレーターを見て、「兎さんが、お餅を搗いてる」という夢が消えた。アポロの月面着陸で、「かぐや姫」への憧れも色褪せてしまった。虚は虚のままの方がロマンを残すし、知らない方がいいこともある。真実は、時として残酷である。
 明日の夜も、藪蚊に苛まれながら目を凝らしてみよう。7年も地中で辛抱していた蝉に対し、ひと晩で諦めては申し訳が立たないではないか。
              (2014年7月:写真:クマゼミの幼虫と成虫)

<余談>仮りに7年として今年の羽化の数から計算すると、今この瞬間にも向こう7年分の蝉の幼虫が八朔の根方の地中で生きていることになる。
 その数、実に500匹以上!それだけの幼虫を育てている八朔に脱帽する。