蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

宴の始まり

2014年07月11日 | 季節の便り・虫篇

 肩すかしで鹿児島・阿久根に上陸し、南九州を横切って紀伊半島を掠め北に去った台風8号。被災地の惨状をニュースで追いながら、被害を免れたのは僥倖と謙虚に受け止めて、1時間かけて台風対策を原状に戻した。空しく疲れたという思いはある。

 一喜一憂する我が身をよそに、さりげなく今年も蝉の羽化が始まった。ヒグラシの初鳴きも昨年と同じ7月3日、そして同じく台風前夜の7月9日に今年初めてのヒグラシが、まとめて5匹誕生した。台風にすかされた日の夜、夕飯もそこそこに懐中電灯とカメラを片手に庭に下り立ち、八朔の枝先を覗いた。いるいる、今夜も2匹のヒグラシが脱皮を始めていた。殻から抜け出し、全身を反らせて、螺旋状に畳まれた緑色の翅を今まさに広げ始めるところだった。
 もう毎年のように連続写真で一部始終をカメラに収めているから、今年は幾つかのシーンを捉えるだけにしよう。カメラを向ける間に、仰け反っていた身体をゆっくりと起こして抜け殻にしがみついた。一番転落しやすい危険な瞬間は過ぎた。あとは時間を掛けて翅を伸ばし、朝には翅が乾いて見事な成虫になっていることだろう。胸の共鳴板の大きさから雄と見極めて、シャワーを浴びに戻った。
 1時間後、瑞々しい緑の翅脈をスッキリと伸ばし切ったセミの姿があった。

 翌朝、いつものようにときめきながら、6時前に起きて八朔の下に立った。脱皮した抜け殻の傍らにとまるヒグラシの雄の成虫がいた。やがて日が昇れば、元気に翔び立っていくことだろう。これからしばらく、蟋蟀庵の庭は夜毎のセミ誕生の宴が続く。アブラゼミ、クマゼミと種類は変わっても、命誕生の感動は尽きない。4つのシーンを一枚に編集して、今日のブログを飾ることにした。

 台風接近をよそに、国の宰相は外遊して誇らしげに集団的自衛権を吹いて回っている。屁理屈とお涙頂戴で強引に暴挙・愚挙を断行した宰相。時の政権が勝手に憲法を解釈して、「戦争が出来る国」に日本を追い落とすなど、決して許されることではない。こんな愚かな宰相が国策を恣に捻じ曲げることを許すとは、この国はいったいどうなっていくのだろう?「戦わない自衛隊」だからこそ、戦後69年もの長い間、世界は日本を「平和な国」として認めてきた。もうその信頼は喪われた。このツケは途方もなく大きなものとして、日本の歴史を汚していくことだろう。与党に批判する者なく、野党に牽制する力がない。この国の政治が、底知れぬ暗黒の深淵に呑みこまれていく。
 台風騒動が主役となり、報道の目も集団的自衛権への厳しい批判から逸れてしまっている。この大型台風を一番喜んでいるのは、あのしたり顔の宰相かもしれない。ニュースにあの顔が現れる度に不快感が募り、急いでチャンネルを変えるのが習慣になった。
 無力な年寄りが、蟷螂の斧を空しく振り上げて遠吠えしている……そんな自嘲が、やたら哀しい。

 ようやく温帯低気圧に衰えた台風が北の海に去った午後、石穴稲荷の杜からアブラゼミの初鳴きが届いた。昨年9日に鳴いたクマゼミの声が、今年はまだ聞こえて来ない。しかし、四季にどれほど乱れがあっても、長い目で見れば小さな生き物の営みに躊躇いはない。その小さな命の息吹が、疲弊しがちな心を束の間癒してくれるのだ。

 鉛色の雲が黄昏を呼び寄せ、待っていたかのようにヒグラシの声が湧きあがってきた。
              (2014年7月:写真:ヒグラシ誕生四態)

<追記>
 昨夜も3匹のヒグラシが誕生した。早朝の風に乗って2匹はすでに飛び立ってしまっていたが、いつまでも抜け殻にしがみつく1匹がいた。
 午後、あまりにも遅い旅立ちに、そっと指で触れてみたら、命の灯は既に消えていた。何があったかは知るすべはないが、小さな命が厳しい大自然で生きていくことは、これほどに厳しい。
 美しく伸びきった翅を風に揺らす姿が愛しくて、そのまま枝先にとどめておいた。