蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

嵐の前に……

2014年07月09日 | 季節の便り・虫篇

 「数十年に一度」という大型台風8号は、宮古島、沖縄本島を「暴風、波浪、大雨の特別警報」というかつてない厳戒態勢の中を甚大な被害を与えて北に抜け、東に転じる機を窺いながら、目下九州南西の東シナ海を鈍足で迫ってきている。
 無駄になることを期待しながら、窓に掛けた天津簾8枚を巻き取り、カーポートの屋根を3本のロープで庭石に括り付け、物干し棹を縛り、植木鉢を広縁に上げ、庭の手入れに使う道具類を物置に仕舞った。北部九州に迫る台風は久しく来ていない。暫くぶりの台風対策に、朝から汗を流した。
 昨日は、台風から吹き込む熱風で、此処太宰府は36.4度まで気温が急上昇。今年初めてのエアコンのスイッチを入れながら、激変についていけない身体を苛々と持て余していた。最近の気候・天候の変化は「ほどほど」という事がない。吹けば烈風、降れば豪雨・豪雪、照れば酷暑と、季節の変化に「いつの間にか移ろいゆく風情」を喪い、突然夏が来て、いきなり冬に突入する。本当に、春と秋が短くなった。

 時折薄日が漏れ、そよ風が庭の木々を揺らす「嵐の前の静けさ」の午後、風に乗って2頭のツマグロヒョウモンの雌が産卵に訪れた。1頭は翅の痛みも激しく、辛うじて風を捕えながら、沈丁花の鉢に零れ生えた一株のスミレにしがみつくようにして尾を曲げ、卵を産み付けていた。迫りくる風に怯えるのか、疲れ果て尽きかけた寿命に焦るのか、食草ではないギボウシやキンミズヒキの葉にまでも産み付けているのが哀れだった。初めて見る異常な産卵行動だった。
 もう少し風上まで舞えば、2本のプランターにびっしりとスミレが植え込んである。庭中に散ったスミレを一株毎に集めて移し植えた、いつもながらのツマグロヒョウモンの食卓である。少しずつ掌で煽りながら、2羽をプランターに誘導した。もうかなり疲れ果てていて、プランターに辿り着いても、スミレの葉に這い寄るのがやっとという有様だった。ようやく産み終ったのか、折からの風に身を任せて何処かへと飛ばされていった。

 隣のプランター2本には、キアゲハ用のパセリが十数本植えてある。夏になれば、此処に色鮮やかなキアゲハの幼虫が姿を現すだろう。傍らに覆いかぶさる八朔の木陰では、やがてクマゼミやヒグラシの羽化が始まる。近年習慣となった、季節の移ろいを確かめる競演の舞台である。

 風の気配を確かめながら、録画していた映画「草原の椅子」を観た。ネットに紹介された粗筋を引用する。
「遠間憲太郎(50歳の会社員)は、幼時に実の母親から虐待を受けていた4歳の少年圭輔に娘を介して出会い、その世話を手伝うことになる。カメラ屋の社長で同じ歳の富樫重蔵との仕事を越えた友情に助けられながら、憲太郎は圭輔へのいとおしさを深めていく。憲太郎はまた、趣味の店で出会った篠原貴志子に密かに惹かれる。憲太郎は富樫と圭輔を伴い、桃源郷ともよばれるパキスタン・フンザに旅する計画を立て、貴志子も同行することになる……。」
 映画のキャッチコピーに「血のつながらない子供を愛したとき、もう一度生き抜くことを決めた二人の男と一人の女」とあった。」佐藤浩市が好演、西村雅彦が見事に脇を固めていた。

 蒸し暑さが募る中、ひとしきり雨が奔った。嵐の気配は、まだ何処にもない。雲が次第に厚く空を覆い始めた黄昏時、律儀にヒグラシが鳴きはじめた。石穴稲荷の杜の初鳴きは、7月3日。奇しくも、去年と同じ日である。自然の営みの底知れぬ深さを実感する初鳴きだった。
         (2014年7月:写真:写真:ツマグロヒョウモン(♀))

<追記>
 翌朝、八朔の枝先で5つのヒグラシの抜け殻が風に揺れていた。雨に濡れた大地から這い上がった一つは、乾いた泥に覆われていた。7月9日夜、宴の始まりである。