蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

通り過ぎた時間

2013年06月29日 | つれづれに

 時間には重さがある。そして、その時その時の速さがある。

 少年の頃、一日はアッという間に過ぎた。遊び疲れる間もなく迎える夕暮れの速さに、いつも時を惜しんだ。70歳過ぎた今、また違う意味で駆け抜ける時の速さと、ずっしりくる時の重さに深い感慨がある。

 6月26日、長い長いリハビリが終わった。最後の揉みほぐしと滑車運動を終えた後の診察で、「ここまでくれば、もういいでしょう」という整形外科K医師のお墨付きをもらった。
 12月20日の「左肩腱板断裂修復手術」から、ちょうど27週189日目。術後150日までという決まりを、敢えて1か月以上伸ばして丁寧なリハビリを続けてくれた。同級生の整形外科医や義弟の陰の支援を受けたお蔭もあるが、毎日汗を流しながら筋肉の1本1本を探って揉みほぐしてくれた理学療法士G先生の献身が何よりも大きい。5人の理学療法士と二人の助手の女性に「長い間ありがとうございました」と頭を下げて回りながら、不覚にも目頭が熱くなった。「あと少しなんですけどねェ」と、ある角度でまだ少し痛みが出る肩を、担当の理学療法士のG先生が悔しそうにいたわってくれる。もう、感謝の言葉がない。

 術後2週間目に転院し、1日2回のリハビリが始まった。そして、6週間過ぎたところで三角巾が取れ自力リハビリを開始。病室の壁に貼った10センチ刻みのテープを指梯子で辿り、目の高さの150センチで痛みに呻吟したあの頃。滑車で引き上げる左腕の拳が耳までしか上がらず切歯したあの頃。リハビリ計画に「ラジオ体操が出来るようになりたい」「スクーバダイビングが出来るようになりたい」と書き続けたあの頃が、今では夢に思える。もう、腕立て伏せしても痛みを殆ど感じないまでに回復した。
 6ヶ月あまりの本当に長いリハビリだった。1度風邪で休んだ以外は、欠かすことなく通い続けてきた。60年の余生を残す10代の6ヶ月と、もう10年しか残されていない70代の6ヶ月では、6倍の重さの違いがある。相対速度は6倍の速さの差がある。それだけに、過ぎてみれば愛おしい189日だった。思い返せば、毎日の生活のリズムがリハビリを中心に回っていた。

 最後のリハビリを終えて帰る途中、駐車場の傍らの児童公園に寄った。誰一人遊んでいる子供を見たことがない不思議な児童公園で、先日の新聞記事を思い出しながらカタツムリを探した。盛りを過ぎたアジサイの葉の上に、一匹のツクシマイマイがいた。それを見付けて、どこかホッとしている自分がいた。

 その夜、家内が主宰する「たまには歌舞伎を観よう会」の仲間たちと、博多座大歌舞伎「市川猿之助襲名披露」の舞台を観た。「義経千本桜~川連法眼館の場」で、存分に「澤瀉屋(おもだかや)!」と声を掛けた。これはもう、快感だった。

 翌日夜、今年初めての月下美人が絢爛と咲いた。部屋に馥郁と香りを拡げる大輪の四輪。この花にも、父から母へ、そして私に連綿と繋いできた37年の重く長い時間がある。
 その花に励まされながら、翌日再び家内は入院した。

 それぞれに通り過ぎる時間は、限りなく重く、そして速い。
       (2013年6月:写真:アジサイの葉に憩うツクシマイマイ)