蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

砂山の謎

2013年06月06日 | 季節の便り・虫篇

 例年になく早い梅雨入り宣言から10日、二日ほどにまとまった雨が降った後、青空が戻って気温だけが上がっていく。近年の豪雨禍に怯えた気象庁が、ちょっと北上して様子を窺った梅雨前線の斥候(梅雨のはしり)に慌てて、宣言を急ぎ過ぎたような気がする毎日が続いている。
 そんなある朝、庭先に幾つもの砂山が出来ていた。直径5センチにも満たない小さな砂の塊が、洗ったような白さで盛り上がっている。そっと砂を払ってみると、小さな真円の浅いトンネルが現れた。何かの虫が這い出た跡だろうか?しかし、蛹らしい抜け殻も見当たらず、ただ砂の山だけがある。見回せば、砂山のない穴も幾つかある。5ミリに満たない綺麗な円形のトンネルだが、周りを探してもそれらしい虫もいない。何だか気になって、幾つも掘り起こしてみたが、それ以上のことはわからなかった。背中に滲む汗を感じながら、暫く蹲って遊んでいた。
 庭石から犬走りにかけて、曲がりくねった蟻の道が浅く穿たれていた。雨の季節の前に、必ず現れる長い長い移動の道である。こんな大自然のさりげない仕草に、いつもながら癒される。

 大分県姫島村でマーキングされて放されたアサギマダラが、北海道で見付かったという記事が新聞に出ていた。移動距離、実に1,160キロ!僅か翅を広げて10センチほどの蝶である。人間の身長170センチに置き換えると、19,720キロに相当する。地球1周が赤道周で43,077キロ(極周40,009キロ)というから、ほぼ地球半周の距離である。これはもう、脱帽するしかない。その距離を、春に北上し秋に南下する。往復すれば、地球1周の旅である。
 ところが、上には上がある。北米カナダから南米メキシコまで、片道5,000キロを翔ぶオオカバマダラという凄い蝶がいる。3世代から4世代かけて北上し、何と、カナダで生まれた世代は寿命を延ばして、1世代で5,000キロの南下を為し遂げる。北米では、別名モナーク蝶「蝶の帝王」という。卵から孵り、幼虫の時代を経た薄緑色の宝石のように美しい蛹は、やがて黒とオレンジのダイナミックな色に変わり、オレンジの地色に翅の縁を黒の斑であしらい、黒い翅脈を走らせて見事な蝶に変身する。
 大陸を越え、海を渡る途中、力尽きて墜ちる蝶も数知れないことだろう。それでも、レーダーに映るほどの大群が大空を渡っていく。人はその長距離移動を「驚異の大冒険」といい、「死者の魂が戻る奇蹟」というが、蝶にとっては本能に従う無心の営みでしかない。だからこそ、脱帽して、ただただ素直に感動してしまう。

 水無月6月。暦の上の入梅は11日、北部九州の平年の梅雨入りは6月5日…今がその時である。向こう1週間の予報に、雨マークはない。降れば降るで鬱陶しく、降らなければ福岡大旱魃の水不足の過去が頭をよぎる。人知を尽くしても、まだ気候・天候の支配には及ばない。それが又、大自然への畏敬の念を甦らせ、人間の卑小さを思い知らせもする。そして、その謙虚さこそ、決して喪ってはならない大切なものなのだろう。制御出来ない原子力に、懲りることもなく又依存しようとする愚かさも、憲法に「軍隊」と謳うことを公言する政治家が急増している怖ろしさも、その謙虚さを喪った証しに思えてならない。
 …と、今日も愚痴で終わってしまった。

 文学講座で「歎異抄」を読む。煩悩・三毒の一つは「愚痴」と学んだ。「愚痴」とは「物事の筋道が見えなくなること」という。
                    (2013年6月:写真:謎の砂山)

<追記>
 数日後、さらに増えた砂山の穴に出入りする小さな蜂がいた。アナバチの一種と知れたが、図鑑で特定出来ずに断念した。蜂の種類は多く、まだ同定されない種も多いという。ツユムシなどのキリギリス科を狩るクロアナバチや、蜘蛛を狩るベッコウバチ、蛾の幼虫を狩るジガバチなど、いずれも地中に穴を掘り、毒針で麻痺させて狩った獲物を引き摺り込み、卵を産み付ける。これらの狩人蜂に比べると、はるかに小さいアナバチである。
 中学生の頃、真夏の日差しに焼かれながら、何日もクロアナバチの巣作りを観察したことがあった。懐かしい「遠い日の花火」である。