ゴールデンウィークの喧騒が去り、さあ年中連休の年金族の天下が還って来た…と張り切った矛先を捻じ切るように、「母の日」を前に戻り寒波の冷たい雨が軒を叩いた。
連休の間、例によって沖縄・座間味のダイビングに備え、庭にサマーベッドを持ち出して、五月晴れの陽射しを浴びながら甲羅干しを楽しんだ。6月末の梅雨明けの沖縄は、まだ梅雨真っ盛りの本土の若者が動き出す前の穴場の時期である。航空券も宿の手配も済んだ。ハワイでのダイビングを経て、アメリカから帰って来る娘夫婦からも、「手配完了!」のメールが届いた。いきなり真夏の沖縄の海に肌を曝すと、苛烈な陽射しがひどい日焼けをおこし、とんでもないことになる。この時期の甲羅干しは、座間味に出かける私の「下焼き」という恒例行事なのだ。
スキューバ・ダイバーのライセンス・カードを繰り返し取り出して眺めながら、心はもうエメラルド・グリーンの座間味の海に飛んでいた。
「母の日」の夕方のNHKニュースで、驚愕の数字を見た。アメリカでの18,000人の主婦に対する調査である。家事・育児の労働を賃金に換算すると、年間1,200万円に相当するという。月収100万円……5ヶ月のボーナスがあると仮定しても、月70万円を稼いでいる男が、一体どれだけいるというのだろう。貧しい日本の殆どの亭主は、主婦の家事・育児に見合うだけ働きをしていないことになる。これは、ショッキングなデータだった。
たまたま縁あって、太宰府市の「男女共同参画審議会」の委員を仰せつかっている。請われて、来週その関連団体の総会で40分の卓話をすることになっているが、これは格好のネタである。数百年の間、男の物差しで作られて来た社会や企業に大きな転機が訪れ、全国の自治体で相次いで「男女共同参画推進条例」が作られた。理念として充分納得しながらも、私達の世代は朝早くから夜遅くまで働きに働くことを美徳とした価値観・文化の中で生きてきた。「企業戦士」という言葉には、それなりの男の誇りと悲哀がこめられている。
男としての言い分がない訳ではないが、時世の流れに逆らうのは所詮蟷螂の斧。家事・育児を家内任せにして来た後ろめたさに苛まれながら、まるで遅れ馳せの罪滅ぼしのように、条例の推進に微力を尽くしている。しかし、遅れ馳せでも、気付く機会を与えてもらえたことを寧ろ感謝しよう。
確かに条例は出来た。しかし、数百年の歴史が一朝一夕で覆ることは望むべくもなく、まだまだ啓蒙の時間がかかることだろう。おそらく、言葉だけが先行するままに、やがて私達の世代は「後期高齢者医療制度」という姥捨て政策の中に埋め込まれていくのだろう。(民の痛みを知らない暗愚な為政者が考え出し、説明責任も果たさぬままに打ち出した近来稀に見る悪の法令である。絶望感さえ漂う昨今の利権・金権に奔走する政治屋の愚挙・暴挙。清廉潔白な真の政治家は、果たして何人いるのだろう。……滅びを加速する政治の貧困である。)
こんな愚痴を言い出すこと自体が、後期高齢者への急坂を転げ落ちている証かもしれない。(呵呵)
そんな人間の愚かさを他所に、今年も庭の隅々に小さな踊り子の群舞が始まった。例年になく緑の繁茂が速く感じるのは気のせいだろうか。雨上がりの五月晴れに、山がぐんと迫ってきた。飛行機雲がよく似合う「母の日」の空である。
(200年5月:写真:ユキノシタ)